あなたの戦後は?
[新規順タイトル表示] [ツリー表示] [新着順記事] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

[No.584] Re: 元気を呉れた「異国の丘」に大感謝! 投稿者:   投稿日:2011/01/31(Mon) 21:08
[関連記事

> > >
> > > > この歌がヒットすると、いつしか電車の車内に傷痍軍人、たいてい二人組みが現れ、一方がアコーデオンで曲を奏でると、他方がこの「異国の丘」を歌う風景が全国の津々浦々、どこででも見られるようになった。その人たちは、手や足に『名誉の負傷』をしていて、見るからに痛々しかった。
>
> 歌はなんとかわかりますが、このような光景はわかりません。
>
> > > しかし
> > > 私の母は理屈ではわかっていても
> > > 人の集まるところにいるに傷痍軍人風の人たちに
> > > 寄付をしていました。

 戦災で無一文になったToshichan のような、人間と、戦災に無傷な人や、ヤミでぼろ儲けした
人とは、雲泥の差が有った時代やと、思いますわ。

> > >   その都度、母は私の顔を見ながら「やっぱりねぇ」と言いました。
> > >
> > > 彼らは実態は芸人だったのですが、当時の日本人の心をなぐさめてくれました。
> > >   セラピーと経済との調和していた微妙なひととき
>
> 母上は情の厚い方だったのですね。すばらしいです。
>
> >  ラジオに「お好み投票音楽会」というのが、週に、一回あり
> >  1〜10位の音楽を毎週ながしていました。
> >  「あこがれのハワイ航路」が1番の頃「湯の町エレジー」がその内
> > 1位になると、宛てたのですが、
>
> このような番組は知りませんでした。ラジオなどあまり聞いたことなかったです。
> 「あこがれのハワイ航路」って岡晴夫? ちがったかな? 歌っていましたっけ。
> この方にはお会いしたことがあります。すぐそばで長い時間一緒に過ごしました。
> もちろん歌もたくさん歌ってくれました。

 「あこがれのハワイ航路」や「湯の町エレジイ」は今も唄う人はありますが、
「異国の丘」はほとんど、無いようです。

 苦しかった時代を「思い出して」唄うというのが、正しいと考えると、
やっぱり、異国から、帰れた方の、絶対数が、少ないのが、本当に唄われる曲数が
少ない、理由だと、この、ツリーを読んで思った次第です。

                              Toshichan in Kyouto-fu


- 関連一覧ツリー (★ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 返信フォーム (この記事に返信する場合は下記フォームから投稿して下さい)
おなまえ※必須
文字色
書込暗証番号(必須 半角で7080を入力)
Eメール 公開または未記入   非公開
タイトル sage
URL
メッセージ  手動改行 強制改行 図表モード
画像File (←100kB程度まで)
暗証キー (英数字で8文字以内)
プレビュー   

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
- 自分の投稿記事に返信(レス)が付いている場合は修正・削除をご遠慮ください -

処理 記事No 暗証キー