[No.367]
Re: 乙羽信子
投稿者:男爵
投稿日:2013/09/24(Tue) 13:12
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> そこで、乙羽信子をとりあげてみたいです。
> 乙羽信子はおしんにでましたね。
> > そのうち、新藤兼人と乙羽信子についても書きましょう。
> 新藤兼人が一生懸命書いた脚本を
> 溝口監督は「これは脚本ではありません。ストーリーです」とつきはなす。
がっかりした新藤は、しかし妻のはげましを受け努力する。
けなされても、彼は脚本を書くしかないのだ。
> 郊外の練兵場で三日間泊まり込み訓練する教育召集が新藤兼人にもきた。
> 彼は急いで脚本を書いて、それを情報局募集の国民映画に投稿した。
> これが幸運にも当選した。
> 溝口健二監督は、新藤兼人を祇園の乙部に連れて行って
> お祝いをしてくれた。
> 彼は、溝口監督からほめてもらったことを妻に言うと
> 妻は泣いて喜んだ。
> しかし、この妻は戦時中で食べ物も少なく、無名の夫と貧しい暮らしをしている中で
> とうとう結核で血を吐いて亡くなってしまう。
> 悲しみをこらえて戦後に、新藤兼人は「愛妻物語」の脚本を書く。
> そして自分が監督になって映画を作った。
> 愛妻物語 1951年公開
> 新藤兼人の妻だった久慈孝子を乙羽信子が演じた。
乙羽信子は私生児だった。
彼女は実母も実父も知らなかった。
有名になったとき、遺産相続の書類のため、義理の妹が訪ねてきた。
そこではじめて実母のことを知る。実母は義妹(養女)にも教えなかったらしい。
義妹は、自分の義理の姉が宝塚出身の百万ドルのエクボの女優と知って驚く。
(実母は知っていたが、誰にも言わなかった)
新藤兼人監督により
「愛妻物語」につぎは「原爆の子」に出る。
「原爆の子」は英国アカデミー賞が贈られた。
「どぶ」で見せた汚れ役に、みんなはあきれる。
宝塚出身の美人がどうして。
http://www.intercritique.com/movie.cgi?mid=14789
新藤兼人との作品を重ねるごとに
汚くなっていく。(養父母は怒る)
しかし、演技は深まり、批評家たちの高い評価を受ける。
彼女はこうして新藤兼人から離れられなくなっていく。