[No.689]
裸の島
投稿者:男爵
投稿日:2013/10/26(Sat) 14:32
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> それからつくった
> 「第五福竜丸」は失敗、独立プロは厳しい。
> 借金も増えて、やけっぱち最後の作品と思って作った「裸の島」
> これがモスクワ国際映画祭でグランプリを受賞する。世界各国から買われて借金も返せた。
> 自信をつけた。
裸の島
この映画は新藤兼人監督が、自己資金で、ふつうの映画の製作費の10分の1ぐらいの予算で製作したものである。
出演者もスタッフも最小限度の10名余りに切りつめ、瀬戸内の宿弥島でのオールロケというこの意欲を、日本の配給会社は黙殺。
映画会社の系統館で上映してもらうことを考慮にいれず、結局自主上映の形で公開されつくりあげた。したがって、日本では名画座や貸ホールなどを転々として上映されただけだった。
ところが、翌年モスクワ映画祭でグランプリを受賞するや、たちまち世界じゅうで名声を得て独立プロ運動の起死回生の一作となったのだった
http://nihon.eigajiten.com/hadakanosima.htm
起死回生の逆転ホームラン
> 瀬戸内海に住む夫婦(殿山泰司・乙羽信子)と子ども二人。
> 島には井戸はないから、彼らは毎日、船を漕いで隣の大きな島へ水を汲みに行く。
> 桶に汲んだその水を、天びん棒で担いでは、島のてっべんまで耕されている段々畑を上り下りし、その水を作物にかけてやるのが毎日の主な労働である。
>
> かわいた砂地はたちまち水を吸い込む。
> 新藤兼人は、乾いた土へ水をかけるのは、乾いた心へ水をかけるのだと思った。
> 人の心はみな乾いている。生きるために乾いている、それに一杯の水をかけたいのだ。
> そう新藤兼人は思って映画をつくった。
>
> 「この映画は何も語らない。しかし、すべてを語っている」フランスの映画評論家の讃辞だった。
> 乙羽信子は後に書いている。
> このとき、私は三十六歳だった。彼の愛を注がれて九年たっていた。
> 「裸の島」ではないが、この九年間二人の交わした言葉は、どれほどあっただろう。
> 映画評をまねて「何も語らないが、すべてを語っている」などとはいわないが
> 愛の展望も語られず、乾いた心にくり返し水を注いで時を過ごしていた。
> 「新藤の愛人」でいるべきか、「他の人と結婚すべきか」迷っていたころでもある。