南方戦線の写真 変蝠林
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投稿日時 2011/1/31 8:23
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
はじめに
スタッフより
この投稿(含・返信)は、メロウ倶楽部の公開サイト「大正の部屋」への投稿(2008/02/21)を、投稿者またはご家族(含・返信者)のご承諾を得て転載するものです。
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BUP さん
壮大なホームペイジ有り難く拝見させて戴きました。
折角駐蒙軍に派遣され乍ら補充兵の悲しさ到着早々に腕時計まで古年兵に召し上げられ、カメラ等も無くて討伐行に見た珍しい山西省の山々の景色も総てが記憶の中のみ。
何方か戦地の情景をアップして戴ければ有難いのですが・・・・・
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
変蝠林(1917-)大兄様
拙サイトをご覧頂き有難う御座います。
輸送機のエンジン交換の際、内地に飛ぶ機会が御座いましたので、その際、自宅に持ち帰った写真が数枚、残っておりました。
その他の写真は、戦後、友人(故人)が写真集を作り仲間に配布した写真集よりの借り物です。
此処に添付した画像は、今、パソコンの前で撮ったバトンバリ(バリ島の木彫り)です。
六十数年を経ておりますので変色しておりますが、バリホテルの売店で買ったときは白檀の香りもして真っ白でした。(当時の想い出のため座右に置いてあります)
これには想い出が御座います。
昭和19年か20年初頭の頃と思います、爪哇島のスラバヤより、バリ、フロレス、スンバワの基地を経て、ニューギニア、珊瑚海の島に飛んだ際、バリ島のデンパッサルの基地で、新設された対空電探の性能テストをやりたいので南に(インド洋方向)少し飛んでくれ、とのことで、離陸後間もなく洋上を浮上航行中の敵潜水艦を発見、直ちに通報、基地より艦攻が出撃しました。
その時の御褒美にバリホテル一泊を頂いたのです。
今では、どなたでも行く観光地ですが、当時は最前線の基地だったのです。
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
BUP 様
引用:
これには想い出が御座います。昭和19年か20年初頭の頃と思います、爪哇島のスラバヤより、バリ、フロレス、
大層な戦歴ですね。 でも生還されて良かった。
私は其の頃、米軍の杭州湾上陸に備えて石仏の大同から上海近郊の大倉鎮に南下をして居りました。
或る夜非常呼集で完全軍装、駅まで十数キロを掛け足、待機の貨物列車に乗り南京で昼の飯上げ中に彼のラジオ放送があったらしのですが揚子江を渡って更に北上途中新四軍の攻撃を数回受け都度停車応戦の為に前車列は山海関を過ぎて入満したのに天津で降ろされ年末まで完全軍装で郊外警備。
御蔭で満州入り即シベリア行きを免れ、更に軍需廠一杯の天津の事、日本軍管理下
毎日菓子煙草が山為して給与、タバコが高粱酒に化けてすっかり酒豪に・・・・・
蒋介石と毛澤東さんの御蔭と、塞翁が馬の采配は正に怪々、四十八キロの補充兵が六拾キロになっての凱旋。
運命と言うものは正に異なものですね。
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
変蝠林(1917-) 様
昔の写真 その1
これはセレベス島の北部 ランゴアン と言う航空基地の在った街です。
(メナドー今はマナドーの近所)
開戦当初、海軍の落下傘部隊が降下した場所です。
(陸軍はスマトラ島のパレンバン)
温泉が湧いておりましたが、ぬる目でした、高原の町で、娘さんはミナハサ美人、よい町でした。
温泉目当てで降下したわけでは御座いません。
下の集会所の写真の暖簾には「瑞気満堂」と左書きで書いてありますが、どういう意味なんでしょうか。
「おでん」の字も見えますね。
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
BUPさん
引用:
これはセレベス島の北部 ランゴアン と言う航空基地の在った街です。(メナドー今はマナドーの近所)開戦当初、海軍の落下傘部隊が降下した場所です。
大変貴重なお写真、ありがとうございました。
それにしても、昭和18年秋当時のセレベス島って、案外、長閑だったのですね。
温泉があったり、「おでん」が食べられたり。
編集者
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投稿数: 4298
マーチャンさん
其のうちに地獄になりますよ。
その2
アンボンです、西ニューギニアの西側、モルク諸島のアンボイナ島の町です。
南西方面艦隊 第24根拠地隊(陸戦隊)が在りました。
真ん中の写真、防空壕の上の屋根は、直撃弾を此処で瞬発させて、被害を抑えると言う目的ですが、気休めでした。
編集者
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投稿数: 4298
引用:
下の集会所の写真の暖簾には「瑞気満堂」と左書きで書
いてありますが、どういう意味なんでしょうか。
「瑞」は 龍や鳳凰が象徴する目出度さ集会所を 戦勝の気が充ち満ちている目出度い場所 と称したのでしょう
編集者
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