「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び
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- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 11 夜の映画会 (編集者, 2015/11/27 8:32)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 12 騎馬戦 (編集者, 2015/11/28 6:46)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 13 棒倒し (編集者, 2015/11/29 6:37)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 14 羽根つき (編集者, 2015/11/30 6:55)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 15 パチンコで缶を射る (編集者, 2015/12/1 10:10)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 16 赤フンドシの締め方 (編集者, 2015/12/2 6:41)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 17 棒を使って川を飛び越す (編集者, 2015/12/3 6:56)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 18 おはじき遊び (編集者, 2015/12/4 6:26)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 19 川原の石投げ (編集者, 2015/12/5 6:35)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 20 ちんどん屋 (編集者, 2015/12/6 6:21)
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夜の映画会 1955年
昭和の時代の描き残したい場面です。夜の映画会はみんな楽しみでした。「学校の映画会」昭和30年(1955年)この時代のいちばんの娯楽は映画。学校の校庭を開放して無料の映画会が開かれた。「おらあ三太だ」「はのなほくすり」「聞け、わだつみの声」「ひめゆりの塔」「二十四の瞳」「ビルマの竪琴」「笛吹童子」「紅孔雀」などなど。映写機が時々止まってしまい係員がテープの巻き直しに一生懸命。早く続きが見たくてみんな映写機を見つめたものでした。
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「騎馬戦」 1985年
描き残しておきたい昭和です「騎馬戦」昭和60年(1985年)騎馬戦です。やっている方も見ている側も大いに盛り上がりました。体重が軽く機転の利く者が騎乗に、馬の首は体重重く頑丈な者がなった。両手が後ろにつながれて自由がきかないから顔で激突する危険な役割だった。勝負は相手の鉢巻を奪いとるか、馬を崩したら勝ち。勢い過ぎて殴ったり重なり合って崩れたりしたら危ない。今このゲームは運動会でやってるのでしょうか。
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棒倒し 1985年
記憶に残る昭和を描いています
「棒倒し。運動会のメインイベント
」昭和60年(1985年)勇気と決断力が試された。臆病と言われたくない。すばしこい奴は狙いを定めて突進、守りの壁を踏み越えて棒へ飛びつく。まごまごしていると素足のカウンターパンチを食らう。大きなけがはないけれどかなり痛めつけられる。危険といえば危険なこのゲーム、私が最後に見たのは昭和60年、娘の通う学校の運動会だった。今はどうなのか。
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羽根つき 1955年
今年最後の描き残したい昭和です。今年もご覧いただきたくさんの「いいね」そして温かいコメントありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。「カーン、カーン 羽根つきの音のお正月」昭和30年(1955年)
国旗掲揚が許されて6年がたちました。このころになると日本は穏やかな正月を取り戻しました。どの家も門口に日の丸の旗を立てました。ご近所に新年の挨拶を交わします。カーン、カーンと響く羽根つきの音。その音を聞いてみんな原っぱに飛び出しました。羽子板の面が凸凹になるまでの羽根つきでした。
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パチンコで缶を射る 1952年
描き残したい昭和「パチンコで缶を射る」昭和27年(1952年) カーン。命中するとタマの威力は缶を倒した。タマは小石(砂利)。手頃の大きさの小石は心がけていつも集めていた。腕を競う。仲間はそれぞれ自慢のパチンコを持っている。丁度いい角度の木の股を切って形を整え、ゴムをつけ、タマを包む牛革を通した。この遊び、応用がきいて文句なく面白い。
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「赤フンドシの締め方」 1951年
描き残したい昭和「赤フンドシの締め方」昭和26年(1951年)プールではみんな褌(ふんどし)をつけました。長さ6尺(180㎝)幅1尺(30㎝)の木綿の晒し布です。水中で見つけやすいようにはじめはみんな赤色の褌を締めました。泳ぎがうまくなれば青色の褌が許されました。早く青色になりたい。赤だといつまでも敗者の感覚でした。泳ぎに被る帽子も赤だったけれども海に行ける人が被ったもので、プールでは丸坊主のままです。日本がアメリカに勝てるものとして日米対抗水泳大会に日本中が沸いていました。選手が着けていた黒色のモダンな水泳パンツがぼちぼち現れる頃でした。
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棒を使って川を飛び越す 1952年
描き残したい昭和 「棒を使って川を飛び越す」
昭和27年(1952年)
川幅が変化するので技量に応じて飛ぶ位置が選べました。「棒幅跳び」とでも言えるかもしれません。竹竿を使って川を飛び越すのですが、失敗すると仲間に対しても自分にも悲惨になるので棒を突く位置をきめるのは真剣でした。東京墨田区の荒川放水路の河川敷は何の整備もしないままになっていたのでこのような細流が縦横にあり、この遊び場所には事欠きませんでした。
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おはじき遊び 1953年
描き残したい昭和「おはじき遊び。おかくぼ」昭和28年(1953年) 弾いたおはじきを取り合う遊び。「おかくぼ」といっていました。
色とりどりの平たいガラス玉。お膳の真ん中にザーッとばら撒く。おはじきの一個を指ではじいて狙いの一個に当てる。当たったおはじきが他のおはじきに当たらなずその間を指が通ればオーケー。その玉を右手に確保(おかくぼ)できる。右手には取ったおはじきがいっぱい握られている。その右手の人差し指で次の当てる玉と当てられる玉の間を玉に触れないように線を引く。そして打つ。これを繰り返すが、失敗すれば取った玉は全部パーになる。やめたいときはカチクといって自分の取り分にする。不正はないか見つめる目は真剣。単純な遊びに夢中でした。
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川原の石投げ 1954年
描き残したい昭和「川原の石投げ」昭和29年(1954年)この遊び、なんという遊びだったかわかりません。でも盛んにやりました。手の大きさに合った平たい石を拾って手のひらで確かめる。投げ具合をイメージして構える。水面の一点に狙いを定め川面を滑らせるように下手投げで放り込む。手首のスナップを効かせる。うまくいくと石は水面をコロコロとそして跳ねながら進んで行く。「おい、今の俺の見てた?」「見てない」うまく行ったときほど人は見てない。東京と神奈川を分ける多摩川。
玉石が河川敷にいっぱい。投げる石は無尽蔵にある。単純な遊びでしたが時間を忘れてやっていました。ー 場所: 東京の多摩川河川敷
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ちんどん屋が来た 1952年
八百屋の開店
ちんどん屋が来た
昭和27年(1952)墨田区寺島町(東向島)の玉ノ井いろは通り。新しく開店するとちんどん屋が出動した。鐘、太鼓、笛で賑やかに囃し立てた。店は気前よく「おまけ」を奮発する。普段から賑やかないろは通りはちんどん屋で一層華やいだ。