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自作のテレビ

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らごら

通常 自作のテレビ

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/7/19 8:50
らごら  常連 居住地: 横須賀市  投稿数: 46
 昭和26年、世田谷のNHK放送研究所からテレビの試験電波を出していた頃、秋葉原の露店《ろてん 注1》から入手した米軍や日本軍の壊れ《こわれ》た通信機や錆び《さび》た鉄製の真空管(メタルクラッドと云った)などを、空襲による焼け跡から拾ってきた焼けた変圧器やスピーカーなどでいろいろと創意工夫してテレビを完成させました。
写真の左側がモニターで、直径5インチの日本軍のレーダー用ブラウン管で緑色に光り画面でした。
中央が焼け跡から拾ってきたスピーカーで、コーンは画用紙をエッジは布を使っています。
もっとも苦心したのは、技術的なことではなくて資金でした。
中学生から高校生にかけて、宝籤《たからくじ》売り、練炭運び、年末の郵便局の仕事、売血《ばいけつ 注2》電気屋の小僧などで少しずつ真空管や抵抗器やコンデンサなどを買い足してゆきました。
テレビ製作にどうしても必要なテストオッシレーター(計測器)や半田鏝《はんだこて》などは自作しました。
緑色に光るブラウン管に画像が写ったときのドキドキした感激は忘れられません。


注1 露天=秋葉原は戦前から電気関係の商店や電気部品のお店があった、空襲で焼け野原になった跡に電気部品等を露店(簡単な台の上)にならべて売る店があつまっていた。

注2 売血=輸血用血液を有償で採血させること[/color]

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