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焼夷弾(しょういだん)

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キャロット

通常 焼夷弾(しょういだん)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/11/1 12:17
キャロット  新米 居住地: 神奈川県  投稿数: 3
私は戦時中は足立区に住み確か国民学校の四、五、年生位の時て゛した。
当時、空襲が激しく毎夜あり確か三月九日だと思うがB29《アメリカボーイング社の大型爆撃機》が上空に何機も飛来し、焼夷弾《=油脂類とさく薬をいれた爆弾》を撒《ま》き散らし辺り一面火の海になり、荒川放水路の河川敷へ家族で布団を頭から被り、西新井橋の近くに借りて居た30坪位の畑へ避難した。今は立派な鉄の橋だが其《その》ころは木造の橋で河川敷は避難の人が右往左往《うおうさおう=混乱のさま》して居る所へ焼夷弾を落とし堤防上の大八車《だいはちぐるま=荷物運搬用2輪車、8人分の仕事をするという意味》やリヤカー上の荷物が燃え上り、直撃を受けて大怪我の人や、燃えるを橋を消火する警防団の人々など大変怖い思いでした。
やっと空が明るくなって空襲も止んで家に残っていた父と姉が私達を迎えに遣《や》ってきた。幸い家は焼けないでホット、致しました。
皆それぞれ煤《すす》けた顔で泣き笑いだった。
今でも怖い思い出です。

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