Ⅰ 『トラ・トラ・トラ』
投稿ツリー
- Ⅰ 『トラ・トラ・トラ』 (とまと, 2005/12/18 21:07)
- depth:
- 0
前の投稿
-
次の投稿
|
親投稿
-
子投稿なし
|
投稿日時 2005/12/18 21:07
とまと
投稿数: 5
この海軍暗号電報は ハワイオアフ島真珠湾基地に停泊中のアメリカ太平洋艦隊を 奇襲攻撃し大打撃をあたえた時 日本海軍
機動部隊指揮官が 発信した第一報である。
暗号電信 トラ(・・-・・ ・・・)・トラ・トラ
電報訳文 (ワレ)奇襲成功セリ 0322
時 刻 1941-12-08
昭和16年12月08日 午前3時22分(日本標準時)
発信者 海軍機動部隊指揮官 海軍大佐 淵田美津雄
着信者 海軍連合艦隊司令長官 海軍大将 山本五十六
軍令部 総長 元帥 永野 修身
当時の日本を振り返ってみると 明治時代日清《1894年日本と清国》・日露《1904年日本とロシア》戦争などで
台湾・樺太《からふと=サハリン》・千島を領有し 朝鮮を併合していた。昭和になってから満州国《1932年日本が中国東北部に作り上げた仮の国家》を建国 日支事変と言って今の中国北部に出兵していた。
拡大進出する日本に対し 必死の抵抗をする支那(中国)とそれを
支援するイギリス・アメリカ。日本の軍国主義は自由主義の米英
に囲まれ じりじり包囲圧縮される形が昭和16年であった。
海外事情にくわしく 比較的自由感覚の底流をもった海軍上層部も 軍国主義国家総動員のうずに抗しきれず 一週間は『月月火水木金金』の歌とともに《注休日無しで》 軍事訓練に励まねばならなかった。
北海道東方 千島エトロフ島ヒトカップ(単冠)湾に ひそかに集合した海軍航空機動部隊。航空母艦『赤城』を旗艦とし南雲忠一長官ひきいる機動部隊は静かに朝霧の東方洋上に消えて行った。
淵田大佐が一番機に搭乗する 艦上攻撃機部隊(魚形水雷を武装)爆弾をかかえた艦上爆撃機部隊 それらを掩護《えんご》するゼロ戦戦闘機部隊。朝もやのオアフ島をかすめ 日曜日早朝にねむるアメリカ太平洋艦隊に一斉突入した。
アメリカ艦隊の打撃は大きく『赤城』からの極秘暗号緊急打電以上の 主力軍艦8隻 飛行機200機にものぼる様であった。
この勝利によって 日本軍は戦争初期の制海権を確保したものの「リメンバー パールハーバー」にもえる アメリカの反攻は
ものすごく 翌 1942-06-05 ミッドウェイ海戦で日本連合艦隊は大打撃をうけ 伸びきった中部太平洋の戦線は 次から次撤退《退却》を
余儀なくさせられた。
ソロモンからフィリッピンへと撤退は続き サイパン・硫黄島の玉砕《ぎょくさい=いさぎよく戦死する事》のあと
1945-06-23 沖縄の日本軍は壊滅
1945-08-06 広島に米軍は原子爆弾を投下
1945-08-15 日本は全面降伏をした。
この海軍暗号電報の写しを見ながら 60年ぶりの12月8日 昔の
開戦記念日に これをまとめている。 とまと記。
機動部隊指揮官が 発信した第一報である。
暗号電信 トラ(・・-・・ ・・・)・トラ・トラ
電報訳文 (ワレ)奇襲成功セリ 0322
時 刻 1941-12-08
昭和16年12月08日 午前3時22分(日本標準時)
発信者 海軍機動部隊指揮官 海軍大佐 淵田美津雄
着信者 海軍連合艦隊司令長官 海軍大将 山本五十六
軍令部 総長 元帥 永野 修身
当時の日本を振り返ってみると 明治時代日清《1894年日本と清国》・日露《1904年日本とロシア》戦争などで
台湾・樺太《からふと=サハリン》・千島を領有し 朝鮮を併合していた。昭和になってから満州国《1932年日本が中国東北部に作り上げた仮の国家》を建国 日支事変と言って今の中国北部に出兵していた。
拡大進出する日本に対し 必死の抵抗をする支那(中国)とそれを
支援するイギリス・アメリカ。日本の軍国主義は自由主義の米英
に囲まれ じりじり包囲圧縮される形が昭和16年であった。
海外事情にくわしく 比較的自由感覚の底流をもった海軍上層部も 軍国主義国家総動員のうずに抗しきれず 一週間は『月月火水木金金』の歌とともに《注休日無しで》 軍事訓練に励まねばならなかった。
北海道東方 千島エトロフ島ヒトカップ(単冠)湾に ひそかに集合した海軍航空機動部隊。航空母艦『赤城』を旗艦とし南雲忠一長官ひきいる機動部隊は静かに朝霧の東方洋上に消えて行った。
淵田大佐が一番機に搭乗する 艦上攻撃機部隊(魚形水雷を武装)爆弾をかかえた艦上爆撃機部隊 それらを掩護《えんご》するゼロ戦戦闘機部隊。朝もやのオアフ島をかすめ 日曜日早朝にねむるアメリカ太平洋艦隊に一斉突入した。
アメリカ艦隊の打撃は大きく『赤城』からの極秘暗号緊急打電以上の 主力軍艦8隻 飛行機200機にものぼる様であった。
この勝利によって 日本軍は戦争初期の制海権を確保したものの「リメンバー パールハーバー」にもえる アメリカの反攻は
ものすごく 翌 1942-06-05 ミッドウェイ海戦で日本連合艦隊は大打撃をうけ 伸びきった中部太平洋の戦線は 次から次撤退《退却》を
余儀なくさせられた。
ソロモンからフィリッピンへと撤退は続き サイパン・硫黄島の玉砕《ぎょくさい=いさぎよく戦死する事》のあと
1945-06-23 沖縄の日本軍は壊滅
1945-08-06 広島に米軍は原子爆弾を投下
1945-08-15 日本は全面降伏をした。
この海軍暗号電報の写しを見ながら 60年ぶりの12月8日 昔の
開戦記念日に これをまとめている。 とまと記。