西埼玉地震 地震記録編集報告書
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- 西埼玉地震 地震記録編集報告書 (編集者, 2008/5/20 8:06)
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投稿日時 2008/5/20 8:06
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
はじめに
この記録は、埼玉県本庄市在住の 清水義信様が、小学校一年生のときに経験された「西埼玉地震」に関する記録を県内外の自治体や気象台などから集め、それに基づいて作成された「地震記録編集報告書」です。
また、清水さまは、それらをもとに作成された「地震が起きたときの心得」等を含め、合わせた小冊子を作成、関係方面に配布しておられます。
ここに、その一部をご本人のご了解を得て掲載させていただくものです。
メロウ伝承館スタッフ Kousei3
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地震記録編集報告書
(熊谷気象台)北関東地震(前橋気象台)宛《あて》
(1931)一昭和6年9月21日午前11時20分頃突如発生した大地震について、記録の編集を別紙により作成を致しましたので、災害時に貴下の参考にして頂ければ有り難いと思います。先ずは報告まで、不慣れな私ですが不備な点が有りました時は、お許し下さいませ。今後とも宜しくご指導ご鞭撻の程をお願い致します。
平成19年8月5日
編集者 埼玉県本庄市 清水義信
西埼玉地震記録を編集に当たり(参考資料)この趣旨は申すまでも有りませんが、災害は忘れた頃にやって来るものと言はれていますので、普段から心の準備をして頂ければあり難いと思い、後世の皆様に残して置く為に出筆させて頂きました。
さて、この地震は75年前に起きた児玉町の大地震だと思っていましたが熊谷気象台へ記録を探しに行ったときに恥ずかしながら始めて西埼玉地震(前橋気象台では北関東地震)の名前を知りました。大正12年9月1日に発生した大地震《=関東大震災》のことは良く知っておられる方が多いと思われますが、西埼玉大地震、震度(6.9)が昭和6年9月21日午前11時20分頃発生した事は覚えていない方が大勢居られるものと思います。そこで私は小学1年生の時にあった地震の事を、止むに止まれずに各地の官公署等に記録を探しに東奔西走して、新事実を発見する事が出来ました。それは北関東平野の利根川、荒川、緑断層地帯の地下約10kmの空洞化の陥没による引き金と考えられます。別紙の記録通りで有りますが、簡単に述べさせて頂きますと、当初震源地は深谷市南方小川町の仙元山付近であると記録して有りましたが、小川町では後で訂正し深谷市の西部と改められ地図で見ますと児玉町が震源地であったと考えられ、死者、全壊、半壊等を検討するとその数量が最高であった事で証明されています。皆様災害が起きた時の対策を忘れずに考えておいて下さい。
参考まで(私の処では皆様の為に少しでも役立つように最小限度の(救助用品、食料品、医薬用品、作業用品等を)準備して有りますので、何時でも遠慮なく避難して来て下さい、お待ちしております。 最後に成りましたが埼玉では危機管理体制ができていないように思われますので早く作成して頂きたいものですね。
児玉町の大地震について
私が小学一年生の頃でした。先生に連れられて町の東の山王山へ写生に行き、11時20分頃下の道路に降りた時、突然大地震が発生して50センチ位の亀裂《きれつ》が走り数人の生徒が転げ落ち、大急ぎで引きずり上げ桑の株にしがみ付き、長い間静まるのを待って、帰校し様としたが約200メートル位の距離にも係わらず、途中には家屋の倒壊や火災などで通行出来ずやっとの思いで田畑の中を必死に逃げて家に帰る事ができました。畑に柱を立て蚊帳をつり寝たが、一晩中大きな揺れが続いて眠れずに夜が明けて見ると、犠牲者や負傷者が多勢出て町中歩けず、目を背ける程の地獄の底の様で、テレビで見た阪神淡路大震災の光景と同様でした。(皆さん児玉の大地震を知る方が、殆ど《ほとんど》知らない方が多いいと思います。)
今後いつ大地震が起こるか知りませんが、普段からその心構えをして頂きたくお願いもうしあげます。(児玉町の大地震は若しかすると直下型であった物と考えられます。)
平成19年3月10日 Y,S
児玉町唯一の写真発見
昭和6円9月21日に児玉町を突然襲った大地震に就いての、記録等が何処を捜しても保存してないと諦めていましたが、唯一枚の写真が偶然にも私の家の近くの高橋孝さんの家にありました。
その理由は、叔父の高橋寛衛門様が児玉町役場の兵事係に勤務して居た時に写した写真です。それを昭和22年頃奥様が保存して置いた物を頂いたのであります。児玉町に於いては尊い宝物であるので永久に保存して頂きたいと願っております。
(下記の写真は、児玉町小学校通りの物であります。)
この記録は、埼玉県本庄市在住の 清水義信様が、小学校一年生のときに経験された「西埼玉地震」に関する記録を県内外の自治体や気象台などから集め、それに基づいて作成された「地震記録編集報告書」です。
また、清水さまは、それらをもとに作成された「地震が起きたときの心得」等を含め、合わせた小冊子を作成、関係方面に配布しておられます。
ここに、その一部をご本人のご了解を得て掲載させていただくものです。
メロウ伝承館スタッフ Kousei3
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地震記録編集報告書
(熊谷気象台)北関東地震(前橋気象台)宛《あて》
(1931)一昭和6年9月21日午前11時20分頃突如発生した大地震について、記録の編集を別紙により作成を致しましたので、災害時に貴下の参考にして頂ければ有り難いと思います。先ずは報告まで、不慣れな私ですが不備な点が有りました時は、お許し下さいませ。今後とも宜しくご指導ご鞭撻の程をお願い致します。
平成19年8月5日
編集者 埼玉県本庄市 清水義信
西埼玉地震記録を編集に当たり(参考資料)この趣旨は申すまでも有りませんが、災害は忘れた頃にやって来るものと言はれていますので、普段から心の準備をして頂ければあり難いと思い、後世の皆様に残して置く為に出筆させて頂きました。
さて、この地震は75年前に起きた児玉町の大地震だと思っていましたが熊谷気象台へ記録を探しに行ったときに恥ずかしながら始めて西埼玉地震(前橋気象台では北関東地震)の名前を知りました。大正12年9月1日に発生した大地震《=関東大震災》のことは良く知っておられる方が多いと思われますが、西埼玉大地震、震度(6.9)が昭和6年9月21日午前11時20分頃発生した事は覚えていない方が大勢居られるものと思います。そこで私は小学1年生の時にあった地震の事を、止むに止まれずに各地の官公署等に記録を探しに東奔西走して、新事実を発見する事が出来ました。それは北関東平野の利根川、荒川、緑断層地帯の地下約10kmの空洞化の陥没による引き金と考えられます。別紙の記録通りで有りますが、簡単に述べさせて頂きますと、当初震源地は深谷市南方小川町の仙元山付近であると記録して有りましたが、小川町では後で訂正し深谷市の西部と改められ地図で見ますと児玉町が震源地であったと考えられ、死者、全壊、半壊等を検討するとその数量が最高であった事で証明されています。皆様災害が起きた時の対策を忘れずに考えておいて下さい。
参考まで(私の処では皆様の為に少しでも役立つように最小限度の(救助用品、食料品、医薬用品、作業用品等を)準備して有りますので、何時でも遠慮なく避難して来て下さい、お待ちしております。 最後に成りましたが埼玉では危機管理体制ができていないように思われますので早く作成して頂きたいものですね。
児玉町の大地震について
私が小学一年生の頃でした。先生に連れられて町の東の山王山へ写生に行き、11時20分頃下の道路に降りた時、突然大地震が発生して50センチ位の亀裂《きれつ》が走り数人の生徒が転げ落ち、大急ぎで引きずり上げ桑の株にしがみ付き、長い間静まるのを待って、帰校し様としたが約200メートル位の距離にも係わらず、途中には家屋の倒壊や火災などで通行出来ずやっとの思いで田畑の中を必死に逃げて家に帰る事ができました。畑に柱を立て蚊帳をつり寝たが、一晩中大きな揺れが続いて眠れずに夜が明けて見ると、犠牲者や負傷者が多勢出て町中歩けず、目を背ける程の地獄の底の様で、テレビで見た阪神淡路大震災の光景と同様でした。(皆さん児玉の大地震を知る方が、殆ど《ほとんど》知らない方が多いいと思います。)
今後いつ大地震が起こるか知りませんが、普段からその心構えをして頂きたくお願いもうしあげます。(児玉町の大地震は若しかすると直下型であった物と考えられます。)
平成19年3月10日 Y,S
児玉町唯一の写真発見
昭和6円9月21日に児玉町を突然襲った大地震に就いての、記録等が何処を捜しても保存してないと諦めていましたが、唯一枚の写真が偶然にも私の家の近くの高橋孝さんの家にありました。
その理由は、叔父の高橋寛衛門様が児玉町役場の兵事係に勤務して居た時に写した写真です。それを昭和22年頃奥様が保存して置いた物を頂いたのであります。児玉町に於いては尊い宝物であるので永久に保存して頂きたいと願っております。
(下記の写真は、児玉町小学校通りの物であります。)