稚内市 「九人の乙女の碑」
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- 稚内市 「九人の乙女の碑」 (編集者, 2008/7/4 8:15)
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投稿日時 2008/7/4 8:15
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
スカッパーさんより、テキスト化した碑文とともに、碑の写真をお送りいただきました。
2005年7月にご友人と北海道稚内から礼文島にご旅行されたときに稚内港の側の高台でご覧になった 樺太での 悲劇の碑が忘れられず 残しておられたそうです。
メロウ伝承館 スタッフ
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碑文
戦いは 終わった それから五日 昭和二十年八月ニ十日ソ連軍が樺太真岡上陸を開始しようとした その時突如日本軍との戦いが 始まった 戦火と化した真岡の町 その中で交換台にあった九人の乙女等は 死を以って己の職場を守った 窓越しに見える砲弾さく烈 刻々迫る身の危険 今はこれまでと死の交換台に向い 「皆さん これが 最後です さようなら さようなら」の言葉を残して静かに青酸カリを飲み 夢多き若き花の命を絶ち職に殉じた
戦争は再びくりかえすまじ 平和の祈りを込めて尊き九人の乙女の霊を慰む
昭和三十八年八月十五日
稚内市長 浜 森 辰 雄
寄贈
東京都 本 島 新
札幌市 上田 伶子
殉職なさった九人は下記の方々です。
高石ミキ(24)
可香谷シゲ(23)
吉田八重子(21)
志賀晴代(22)
渡辺照(17)
高城淑子(19)
松橋みどり(17)
伊藤千枝(22)
沢田キミ(18)
2005年7月にご友人と北海道稚内から礼文島にご旅行されたときに稚内港の側の高台でご覧になった 樺太での 悲劇の碑が忘れられず 残しておられたそうです。
メロウ伝承館 スタッフ
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碑文
戦いは 終わった それから五日 昭和二十年八月ニ十日ソ連軍が樺太真岡上陸を開始しようとした その時突如日本軍との戦いが 始まった 戦火と化した真岡の町 その中で交換台にあった九人の乙女等は 死を以って己の職場を守った 窓越しに見える砲弾さく烈 刻々迫る身の危険 今はこれまでと死の交換台に向い 「皆さん これが 最後です さようなら さようなら」の言葉を残して静かに青酸カリを飲み 夢多き若き花の命を絶ち職に殉じた
戦争は再びくりかえすまじ 平和の祈りを込めて尊き九人の乙女の霊を慰む
昭和三十八年八月十五日
稚内市長 浜 森 辰 雄
寄贈
東京都 本 島 新
札幌市 上田 伶子
殉職なさった九人は下記の方々です。
高石ミキ(24)
可香谷シゲ(23)
吉田八重子(21)
志賀晴代(22)
渡辺照(17)
高城淑子(19)
松橋みどり(17)
伊藤千枝(22)
沢田キミ(18)