得猪機捜索顛末より (コケコッコー)
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- 得猪機捜索顛末より (コケコッコー) (編集者, 2008/11/1 8:16)
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投稿日時 2008/11/1 8:16
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
これは、コケッコッコーさんより頂戴した投稿です。
日中戦争で飛行長故得猪中佐が武漢近くで戦死された際
部下の人たちが捜索隊を出した時の記録です。
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得猪機捜索顛末より
捜索隊指揮官海軍大尉 勝見五郎
昭和十三年四月二十六日孝感ノ空襲ニオイテ我等ノ最モ崇拝スル飛行長故得猪中佐ヲ始メ最愛ノ部下故今村大尉以下六名ノ戦友ヲ失ッテ早六ケ月ガ経過シタ。ソノ間戦友一同トトモに復讐ノ念二燃エツツ故人ノ遺骸ヲ収容センモノト念顛シナイ日ハナカッタ。
偶々十二月十七日陸軍藤江部隊ノ警備区内二於イテ海軍機ノ墜落現場ヲ発見セル旨報二接シ得猪機ナル予想ノ下二捜索隊ヲ派遣サレル事ニナツタ。
(中略)
十八日黎明ニハ小雨降り風強カリシヲ以ッテ延期シヨウト考エタガ夜明ノ空ヲ眺メ兎二角出発スルコトニシタ。午前八時整列司令ノ命ヲ受ケ自動車二分乗出発。橋梁破壊ノ為漢口駅カラハ列車ノ運転不能ナリシヲ以ツテ耳口駅マデ自動車デ行ク、九時半頃耳口駅着、麦俵満載ノ無蓋貨車二乗り十一時三十分頃孝感車站二到着。
態々迎エラレタ藤江部隊水谷参謀ノ案内二依り孝感県二至り師団長二面謁シタガ海軍航空隊ノ活躍卜得猪中佐以下故人二対シ敬意ヲ表スル旨極メテ丁重ナル御言葉二預カリ感激ス。次イデ参謀長二面会同室ニテ水谷参謀及内田通訳官(得猪機捜索二尽力サレタ人) ヨリ状況ヲ聴取ス。
ソノ大要ハ別紙内田通訳管報告二尽キテイルカラ省略スルガ墜落現場カラ拾ツテキタ遺品ヲ見テ得猪中佐ノ軍服ノ一片二間違イナキヲ確認シタノデ大イニ意ヲ強ウシタ次第デアル。
墜落現場ハ占領区域内デハアルガ未ダ治安維持会組織サレタ許リデ付近部落ニハ約二千ノ土匪ガ出没スル有様ナレバ師団デモ心配サレ特二三叉埠駐屯の軽重連隊ヲシテ応援セシメルコトニナツタ。
午後二時孝感県出発二時四十分頃孝感車站発ノ列車(貨車) ニ便乗、午後三時三十分三又埠ノ部落二到着ス。ソノ頃雨ハ本格的ニ降り出シ寒気甚ダシキヲ以ツテ連隊長ノ指示二従イ捜索ヲ翌日二延期シテ同夜ハ連隊二宿泊ス。困苦欠乏甚ダシキ陸軍部隊ノ生活ヲ味ワウ機会ヲ得タリ。翌十九日午前八時連隊発現地二向フ、連隊カラハ軍曹ヲ長トスル三十五名ノ警戒兵ヲ増援セラレタリ。
昨夜来ノ雨未ダ止マズ道路ハ全ク泥濘化シテ歩行困難ヤヤモスレバ隊列延ビル有様ナリシモ一同元気旺盛遂二午前十時頃劉建廟二到着一帯ノ警戒ヲ陸軍二依頼シ直チニ作業ヲ開始ス。
墜落現場ノ状況
麦畑ニシテ全部耕作セラレ付近ノ池畔ヲ少シク残スノミ(付図参照)土民ノ援助ヲ得テ現場ヲ発掘スルニ尚同様ノ残砕多数発見セリ、ソノ他参考ニナルモノハ飛行服ノバンド、飛行靴、飛行服地、士官軍服地等何レモソレラシキ物卜判断シ得ル程度ノ焼ケタル小片ニシテ勿論誰ノモノカ知ルヲ得ズ、火炎二吹キ上ゲラレテ飛散セルモノナレバ、ソノ他ハ一切手掛カリナシ、残滓ノ一部(可ル可ク骨ノ付タルモノ) ヲ得猪中佐以下七士の遺骸トシテ収容、他ハ全部墜落位置二集メ宮川三空曹ノ遺骸ノ一部卜共二埋葬墓標ヲ建ツ、周囲二柵を囲ラシ線香、ローソク等ヲ供エタリ。(中略)
本行動中水谷参謀、内田通訳官、軽重連隊及ビ各乗車駅ニテ陸軍側ヨリ受ケタル絶大ナル御援助二対シ感謝二絶エズ、又李先林父子ノ行為二対シ感激惜ク能ハズルモノガアル、遺骨ハ今ヤ戦友二守ラレテ隊内二安置セラレ将ニ母国二帰ラントスル、茲二冥福ヲ祈り擱筆ス (終)