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Re: 終戦直後 Pan

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通常 Re: 終戦直後 Pan

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/6/7 8:04
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 マーチャン、みなさん こんにちは。

 昨夜パソコンに向かいながら背後のテレビの音を聞いていました。

 「その時 歴史が動いた」です。

 日本では8月15日が終戦記念日ですが、アメリカでは9月2日の日本降伏調印の日が祝賀の日だそうですね。
 終戦が8月15日、降伏が9月2日です。
 
 その半月余りの間、日本国内での込み入った動きが明らかにされていました。
 殆ど知らなかったことばかりです。

 日本語の条約文書の「降伏」の『伏』の字は犬と人との関係を示すものなので、職務に服す意味の「降服」に替えようとの動きもあったようですが、結果的に『伏』になりました。

 この間、私は何をしていただろうかと思い返しましたが、もはや朦朧とした記憶の霧の中です。 前後関係も曖昧です。

 やっと動員の重労働から解放されたものの、何をすると言うほどの目的はなく、中学校へは毎日通っていました。 その頃にはもちろん進駐軍も見ていません。

 運動場には夥しい設計図や文書が持ち出され数日間に渡って焼却されました。
 我々の動員の指揮者でもあった陸軍造兵廠の若い幹部達は泣きながら図面を千切っては投げ込んでいましたが、我々は大きなトンド焼きの気分ではしゃぎながらそれを手伝いました。

 当時の幹部で名前を覚えているのは、われわれ生徒が一番尊敬していた小柄な土田上等兵です。

 何日か後、思いもしなかった給料が支払われました。4月から8月まで日給1円で、合計120円程度書き込んだ郵便貯金通帳を貰いました。

 重要な工作機械や測定器は大きなハンマーで叩き壊されました。
 その部品を持って帰って何かにしようという欲もありませんでした。

 近くの国鉄駅構内にはいろいろな建設資材や鉄や銅の資材から工作機械まで放置してありましたが、誰も咎める者の無いことから、さっさと持ち帰って蓄財に励んだ人もありました。

 私と隣の上級生は、近くの山腹にあった変電所へ行き、大型トランスの油を抜いて一升瓶に詰めて持って帰り、靴クリームの空き瓶で作ったランプを灯しました。

 昭和元年生まれの叔父は技術者として飛行機工場に勤務していたため、兵役を免れながらも近付く本土決戦に備えて日の丸に寄せ書きを終えて壁に貼っていました。
 持って行く荷物もキッチリ揃えてありました。

 工場が閉鎖されて自由解散になっため郷里へ戻ってきたのです。
 私は見るなり、「戦争に行かなくなってよかったね」と言うと血相を変えて怒り出しました。
 その後どんな会話を交わしたかは覚えていませんが、後になって何度も笑い話になります。

 その時点では彼は本気だったのです。また、そう言わなければならない空気でもあったのです。

 その叔父は今も元気で写真に凝っていて、屡々入選しています。


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