戦前の絵葉書 富士山
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戦前の絵葉書 富士山 (編集者, 2013/8/4 16:28)
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投稿日時 2013/8/4 16:28
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
はじめに
絵葉書シリーズについて
この資料は安井栄一氏のご了解を得て、ここに掲載させていただくものです。
この資料の公開にあたって必要な注釈をつけることを、スタッフに依頼されております。
日本で、いわゆる私製絵葉書の使用が認められるようになったのは、1900年(明治33年)からです。
当時は、家庭にカメラは普及しておらず、名所旧跡を訪れても写真をとってくることは難しかったのです。
友人や「留守をまもっている家族」に旅先から絵葉書を出す、「絵葉書を買って帰る」ということは、一般に行われていました。
また、絵葉書のコレクターも多くおられたようです。
文士のなかにも、夏目漱石、尾崎紅葉、大町桂月、森鴎外の子息於兎氏などがおられます。
絵葉書の題材は、名所旧跡ばかりではなく、町の風物、美人画など多岐にわたっていました。
メロウ伝承館スタッフ
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大正時代には富士登山をする人も増えてきました。
1922年(大正11年)には 富士山郵便局・富士山北郵便局が夏季限定で開設されており、富士山の絵葉書もいろいろ売り出されていたようです。
メロウ伝承館スタッフ
裾野瀧ヶ原埃(?)平次茶屋富士本屋旅館
裾野瀧ヶ原全景
裾野瀧ヶ原野中氏の別邸