終戦の日の「玉音放送」 こっこ亭
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- 終戦の日の「玉音放送」 こっこ亭 (編集者ze, 2022/8/5 0:00)
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投稿日時 2022/8/5 0:00
編集者ze
投稿数: 56
投稿日:2022/07/31(Sun)
8月15日は「終戦の日」
この日、毎年必ず流れるテレビの画面に、敗戦を告げる「玉音放送」に皇居・二重橋前で泣き崩れる人たち。
ラジオを前に突っ伏して嘆き悲しむ人たち。
だが、5歳だった私の記憶に前後のいろんな事柄は鮮明に残っているのに、この「玉音放送」にまつわる記憶がポッカリと穴をあけている。
ゴーゴーガーガー雑音が入り、音が切れると叩いては放送を聴いていたラジオは貧しくともわが家にはあった。
でも「その日」皆がラジオの前に集まっていたということも放送のあと嘆き悲しんでいた・・・という記憶も何も無い。
長く続いた戦争にみんなが疲れ果て、「終わるこの日」を待ちかねていた人たちがどれだけいたことか・・・
正しい発言をしていても、当時「非国民」と呼ばれののしられた人たちがどれだけいたことか・・・
思うに、京・伏見のわが家をはじめ近所の大人たちはこの「敗戦」であっても、「戦争」に終止符がうたれる事にホッとして、
喜んでいたとしか思えない。
すでに物心両面のダメージは極限に達していただろうし、今から待ち構えるそれ以上の「戦後の困窮」にも、
「戦争」が続くこと以上に「終わること」を皆が選んだのだと思う。
最近「きな臭い」発言をする人たちがあちこちにいるが、人間として絶対に繰り返してはいけない事、
それは「戦争」!!祈ろう! 「恒久世界平和」!!
(2006.8.14 投稿の私のブログから)
8月15日は「終戦の日」
この日、毎年必ず流れるテレビの画面に、敗戦を告げる「玉音放送」に皇居・二重橋前で泣き崩れる人たち。
ラジオを前に突っ伏して嘆き悲しむ人たち。
だが、5歳だった私の記憶に前後のいろんな事柄は鮮明に残っているのに、この「玉音放送」にまつわる記憶がポッカリと穴をあけている。
ゴーゴーガーガー雑音が入り、音が切れると叩いては放送を聴いていたラジオは貧しくともわが家にはあった。
でも「その日」皆がラジオの前に集まっていたということも放送のあと嘆き悲しんでいた・・・という記憶も何も無い。
長く続いた戦争にみんなが疲れ果て、「終わるこの日」を待ちかねていた人たちがどれだけいたことか・・・
正しい発言をしていても、当時「非国民」と呼ばれののしられた人たちがどれだけいたことか・・・
思うに、京・伏見のわが家をはじめ近所の大人たちはこの「敗戦」であっても、「戦争」に終止符がうたれる事にホッとして、
喜んでいたとしか思えない。
すでに物心両面のダメージは極限に達していただろうし、今から待ち構えるそれ以上の「戦後の困窮」にも、
「戦争」が続くこと以上に「終わること」を皆が選んだのだと思う。
最近「きな臭い」発言をする人たちがあちこちにいるが、人間として絶対に繰り返してはいけない事、
それは「戦争」!!祈ろう! 「恒久世界平和」!!
(2006.8.14 投稿の私のブログから)