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30代の技術系の思い出   千葉の小猿

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  • なし 30代の技術系の思い出   千葉の小猿 (編集者ze, 2022/8/6 18:30)

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編集者ze

なし 30代の技術系の思い出   千葉の小猿

msg# 1
depth:
0
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2022/8/6 18:30
編集者ze  モデレータ   投稿数: 56
30代の技術系の思い出

2022年8月1日 17:38 ·
▼その(1)
 昭和40年代は日本の製造業が2次の発展をした時期と思います。
 その頃30代の現場の技術系の人間として思い出を、独断と偏見を交えて書きます。
 50年も前のことで間違いがあるかもしれません。
(労働時間1)
 昭和30年代に3交代勤務を2年くらいしました。3組3交代ですから、一人が休暇をとると、他の2人は12時間勤務になります。
簡単に年休は取れませんでした。
 長期休暇の場合、昼勤務の方に3交代に入ってもらうことになります。
 週休二日制なってからは、4組3交代となっているでしょうから状況は変わっているはずです。
(労働時間2)
 週休1日の時代ですから1カ月25日位の勤務、1日8時間で1カ月200時間、当時50時間位の残業は普通ですから、
250時間。
 プラントの立ち上げ等、忙しいときは追加で50時間くらいで、300時間くらいになります。
 さすが300時間が3カ月も続くと疲労が蓄積し続きませんでした。
 同年代の製造業勤務の人に聞くと同じような状況であったようです。

8月1日 17:56
▼ その(2) ·
(昭和40年代製造業の発展を支えたのは、能力を持つ技能者とそれを有効に活用する管理者)
 私の勤める会社が昭和40年に東南アジアに工場を建設することになりました。

 現地の電力事情から500KWの発電装置2機を据える計画でした。
 私は直接関係なかったのですが、メーカーの工場公式試運転に行ってほしいとの依頼がありました。
 
 メーカーの工場から「工場公試運転要領承認申請書」が送られてきました。
 現地の状況を推察して「単独で2機並列運転し負荷配分が自由に行えることを確認」というのを追加しました。
 この確認は20分もあれば十分終わる内容ですが、
工場公試で始めると配分がふらつき時には暴走しかねない状態になり、作業要員やエンジニアが手を加えているのですが、
状況がかわらず3時間位が経過しました。

 突然「工作課長はなにやってんだ」と声がしたので、振り向くと私の所属する工場の機器の補修指導に来てもらっている、
この試験中の機器にまったく関係ない工師の方でした。
(工師とは、その会社では作業員の優秀で問題解決能力の高い人を技術員とする制度で、職位は係長の下の主任クラスと聞いている)
顔見知りの方ですから、「ああ親父さんか。あれは最新輸入の調速機を使っているから、速度調定率が一致しているのだろう。
調定率を変えると良くなるはず。
 調整方法がわからないが、一緒にやってみよう」と言うと、
「わかっとる。立会検査官に手を出させるわけにはいかん。
工作課長以下を指揮下に置いて、徹夜で正常にするよう所長から指示を受けている。
すまんが、検査不合格でなく検査未了で今日は帰ってほしい。
明日の午前中にはまともにしておくから午後2時に来てほしい。」
「親父さんの言うことだからしかたないな」と、
控室まで案内すると慌てて工師は現場に戻ったので入門証にサインもなしです。
 
 その工場は防衛庁の装備品も作っているので、退出に手間がかかりました。
 次の日は営業でなく設計の係長が付き添ってくれ、5時過ぎにすべて終わり入門証のサインももらい、最寄りの国鉄の駅まで送ってくれました。
 この時期、現場をよく知る人を階級に関係なく尊重したのが、製造業の発展を下支えしたようです。
このような経験ほかにもありますが、典型的な1件にしておきます。
 また、この発電機の件は関連した思い出がありますが省略します。


▼(その後1)
 立ち会い検査後数日して、代理店商社支店の人が来て「関西の保税倉庫に入れたのでは船積が間に合わないので、
横浜に陸送し横浜の保税倉庫にいれ船積みし、
本船が今日出港したとの連絡がありご安心ください。
 なほメーカーの費用と責任で、現地へ技術員1名と作業員3名を派遣しますので、あなたにご迷惑はかけません。」とのことです。
 当時は1ドル360円の時代で、外貨は大蔵省の承認がないと使えない時代でしたが、
輸出企業は輸出代金の一部の外貨は自由に使える制度があり、
この大切なこの外貨を使っての派遣であったと想像しています。
 当時、日本の国際信用は低かったはずですから、みんなが信用を落とさないよう気配りをしていました。

▼(その後2)
 立ち会い検査に付き添ってくれた係長が、別れ際に名刺に直通電話の番号を書き込み
「ご協力できることがあれば連絡ください。」とのことでした。
 約1年後、昭和27年製の国内の機械で補修部費が急に必要なことがありました。
 ダメ元でその係長に電話したところ、折返しで「図面と材料はあります。
明日部品ラインに割り込みをかけでき次第お送りします。」とのことで、
数日後に品物が届きました。 
ラインに割り込みをかけるのは他への影響もあり大変でしょうが、やってくれました。
 通常ですと一ヶ月程度かかるものです。
 そのメーカーから接待を受けたことはありませんが、そんなことより貴重なサービスをしてもらったと感謝しています。
 こんなことが製造業をスムーズに動かしていた一つの要因でしょう

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