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子供の頃に覚えた数え歌(昭和30年代) ころ

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  • なし 子供の頃に覚えた数え歌(昭和30年代) ころ (編集者ze, 2024/3/23 18:01)

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編集者ze

なし 子供の頃に覚えた数え歌(昭和30年代) ころ

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2024/3/23 18:01 | 最終変更
編集者ze  モデレータ   投稿数: 56
子供の頃に覚えた数え歌(昭和30年代) 投稿者:ころ
投稿日:2024/03/23(Sat) 12:10 No.36

(毬つき歌?手遊び歌?)

▼一かけ二かけ三かけて 四かけて五かけて橋を架け

橋の欄干 腰を掛け はるか向こうを眺むれば

十七八(じゅうしちはち)の姉さんが

花と線香 手に持って

「もしもし姉さん どこいくの」

「私は九州鹿児島の 西郷隆盛娘(むすめ)です

明治10年〇〇〇〇

(〇〇〇〇はうろ覚えで自信が無いです。他はおおよそ間違いないと思います) 

切腹なされた父上の お墓参りにまいります」

お墓の前で手を合わせ なにやらかにやら(←ここもちょっと自信無いかな) 拝んだら

お墓の中から魂が ふうわりふうわり

くるくる回ってすっとんとん♪


▼西郷さん自刃の日をネットで調べましたら、

<明治10(1877)年9月24日未明、官軍の総攻撃が始まると、

西郷隆盛は桐野利秋、村田新八などの諸将とともに岩崎谷を下って行く途中で

銃弾を受け動けなくなり、別府晋介の介錯で自決した。

西郷洞窟から約600m坂を下った地>

とありました。


▼鹿児島市城山から下った岩崎谷という所の近くにある、西郷南洲翁の終焉の地、

幼少時、この近所に住んでいた私は、ここは遊び場でした。

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