おにぎり
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投稿日時 2004/3/7 19:18
ホープ
投稿数: 9
個人の昭和史を読ませて頂き私も自分なりの昭和史を綴《つづ》ってみたいと思います。
終戦をはさんで私には二度の忘れる事の出来ない(おにぎり)の思い出があります。
一つは昭和19年11月中学2年現在の大阪空港へタコ壷(防空壕)《ぼうくうごう=空襲の時避難する穴を地下などに掘った。タコがつぼにもぐるのに例えてたこつぼと言った》を毎日掘りに行かされておりました。昼は黒パン《=雑穀がいっぱい混じった茶色のパン》1個で空腹で目が回る様でしたがある日空襲で近くの家に逃げ込みそこで真っ白なおにぎりを頂き生き返った気持ちになった事。
二つ目は終戦後食べ物が無く学校へ弁当を持って行けませんでした。母親が近くの農家へ手伝いに行き御礼にご飯を貰ってそれでおにぎりを作り小さい妹や弟に食べさせていました。
飽食の現代私にとって当時のおにぎりの味は生涯《しょうがい》忘れることは出来ません。つまらない事を書きましたが私の昭和史の1ページでございます。
終戦をはさんで私には二度の忘れる事の出来ない(おにぎり)の思い出があります。
一つは昭和19年11月中学2年現在の大阪空港へタコ壷(防空壕)《ぼうくうごう=空襲の時避難する穴を地下などに掘った。タコがつぼにもぐるのに例えてたこつぼと言った》を毎日掘りに行かされておりました。昼は黒パン《=雑穀がいっぱい混じった茶色のパン》1個で空腹で目が回る様でしたがある日空襲で近くの家に逃げ込みそこで真っ白なおにぎりを頂き生き返った気持ちになった事。
二つ目は終戦後食べ物が無く学校へ弁当を持って行けませんでした。母親が近くの農家へ手伝いに行き御礼にご飯を貰ってそれでおにぎりを作り小さい妹や弟に食べさせていました。
飽食の現代私にとって当時のおにぎりの味は生涯《しょうがい》忘れることは出来ません。つまらない事を書きましたが私の昭和史の1ページでございます。