京阪定期乗車券
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投稿日時 2004/3/15 16:47
紫竹の
居住地: 神戸
投稿数: 92
終戦間近、勤労動員《きんろうどういん》に出ていましたが、三高の寮から桂の中日本重工の工場まで、通うための定期券です。上が表面、下が裏面。
終戦になって、4、5、6、7、8月の5か月分の給料、二百何十円かを貰《もら》いました。
京阪電気鉄道となっていますが、その頃は新京阪、今の阪急です。市電で東一条から四条大宮まで、それから、同じところにある阪急の京都駅から桂へ行き、駅前から隊列《たいれつ》を組んで、少し南にある工場(今の自衛隊などがあるところ)まで歩きました。
終戦になって、4、5、6、7、8月の5か月分の給料、二百何十円かを貰《もら》いました。
京阪電気鉄道となっていますが、その頃は新京阪、今の阪急です。市電で東一条から四条大宮まで、それから、同じところにある阪急の京都駅から桂へ行き、駅前から隊列《たいれつ》を組んで、少し南にある工場(今の自衛隊などがあるところ)まで歩きました。
紫竹の
居住地: 神戸
投稿数: 92
勤労動員で、桂の軍需工場に通っていた時の東一条から四条お宮までの定期券。この月で終戦となった。
工場の疎開をするということで、機械を松ヶ崎の掘立小屋、床にコンクリートが引けず、砂の上に、歩道の敷石を並べて、その上に機械を置くようになっていた。
私たちの職場の機械の一台目が運び込まれたその正午に玉音放送があったのでした。
今度は、後世太郎君の定期にして見ました。
工場の疎開をするということで、機械を松ヶ崎の掘立小屋、床にコンクリートが引けず、砂の上に、歩道の敷石を並べて、その上に機械を置くようになっていた。
私たちの職場の機械の一台目が運び込まれたその正午に玉音放送があったのでした。
今度は、後世太郎君の定期にして見ました。