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私の八月十五日

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/6/12 12:45
スカッパー  半人前   投稿数: 25
私の八月十五日
それは 鹿児島の串良海軍航空基地での暑い かんかん照りの日でありました
6月最終の特攻「白菊特攻」機上作業練習機による特攻がこの基地では最後となり 連日連夜の沖縄周辺敵艦船に対する攻撃も日毎減少していた頃でもあり 続く本土決戦に対する防衛作戦が語られていた頃でもありました
この日の午後誰からとも無く ラジオで重大放送があったとのうわさが耳に入ってきた 確認の為近くにの民家に聞いて見て確かに在ったとの事 しかし内容は明確でなく 唯《ただ》 天皇陛下直接の放送であり内容は雑音で不明との事であった
基地に戻ると我飛行隊は直ちに本隊の宇佐基地に帰隊が命ぜられていた
 準備完了者から順次串良基地を発進していった 私は隊付の整備兵その他を引率 陸行で移動する事となり 東串良駅より出発 志布志経由で都城駅に到着 所が当時日豊線は宮崎の大淀川の鉄橋が爆撃により不通 止む無く八代周り熊本経由で宇佐柳ヶ浦に回り道を強いられ 肥薩線周りの列車に乗車 早くも復員者で列車は超満員 どうにか客車内に潜り込み やがて列車は発車 八月の暑さに加え満員列車はサウナ状態
暑いことこの上無し どれ位列車は走ったか今では記憶も無いが 勾配《こうばい=傾斜》のきつい上にトンネルに入るのだ 当時の石炭事情の悪さであえぎあえぎの走行 一部の復員者は機関車の前或いは炭水車《=石炭と水を積んで蒸気機関車の後ろに連結する》の上に鈴なり乗車している者もあり 当初は通風が良いので我が物顔で乗っていたが これが悲劇になるとは誰しも予測はしていなかった
汽笛一声《きてきいっせい=蒸気機関車はトンネルや鉄橋の直前に汽笛を鳴らした》 トンネル内に入る 勾配のきついところに石炭事情の悪さが重なり トンネル内で何度も停止 前進後進 と繰り返し あえぎあえぎながらの走行 どうにかトンネル外に出て停止 慌てて窓を開け風を入れる 車外が騒がしく覗《のぞ》いて見ると機関士が大声で応援を依頼していた 機関車の方を見るとあれだけ鈴なりに乗っていた人の姿が見えない
どうやらトンネル内で事故が有ったらしい 
トンネル内での煙による窒息らしい 応援者がトンネル内から一人又一人とトンネル外の線路際に並べて行く その数2~30人はあたっだろうか 
やっと終戦で故郷に帰る復員者 こんな所で憤死とは 人の運命は判らないものである
熊本経由で宇佐柳ヶ浦駅に着いたのは深夜 翌朝宇佐基地に入って見て
驚いた 主計中尉を残し全員復員済 司令は車で復員したとか 部下の最終確認を怠り 逃げ足の速い事 日ごろ我々に率先垂範《そっせんすいはん=人に先立って模範を示す》と訓示していたのは 何なのか 此処《ここ》から戦後の混乱が始まる 缶詰め5個と退職金を貰い 鬱憤《うっぷん》を胸に復員 これが私の八月十五日の思い出です
                    スカッパー
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