大正の部屋  ー温故知新ー 

大正・昭和初期の実体験を 話す・語り合う・聞く・訊く
その時代の伝聞(親・親戚・知人より)を披露し合う
主役は上記時代お生まれの世代ですが、参加は老若広く
詳細は「開設の趣旨」を参照 質問は「問い合わせ」からどうぞ

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  • [No.1078] 「メロウ伝承館」の「歌集巣鴨」 投稿者:マーチャン  投稿日:2009/08/26(Wed) 08:46
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     おはようございます。

     目下「メロウ伝承館」(メロウ倶楽部トップページからお入りいただけます)に

     http://kousei.s40.xrea.com/xoops/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=860&forum=13&post_id=3845#forumpost3845

     「歌集巣鴨」を掲載中です。

     これは、当時「巣鴨プリズン」といわれた東京裁判の戦犯であった方々による歌集です。
     掲載を担当しています私は、毎日「ガーン」とアタマを叩かれるような衝撃を
     受けています。

     作者のなかには、戦争中の中将・大将から、BC級の戦犯であった方まで、いろいろおられます。

     また「極刑に処せられた方」も「釈放された方」もおられます。

     こういう方々の生々しい叫び声が行間から聞こえてくるような資料です。

     私には、戦後についての「非常に貴重な資料」と思え
     こんな大切なものをメロウ倶楽部がお預かりしている責任の重さも感じています。

     しかし、このシリーズつきましての「反響」はイマイチです。

     「歌集巣鴨」につきましての「大正の部屋」の皆様の、ご感想などお聞かせいただけましたら幸いです。


     メロウ伝承館スタッフ マーチャン


    [No.1075] Re: ヒマツブシ(復員) 投稿者:   投稿日:2009/08/23(Sun) 09:59
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    > BUP様
     戦中戦後外地で過ごされたお話を、聞くにつけて思い出すのは、私の場合無人島での 抑留生活です。 私が終戦を知ったのはマレー半島の山中であり、南下してジョホー ル州クルアンで検問を受け、シンガポールからボロ船にて赤道直下インドネシア領  の、リオウ諸島内にあるレンパン島に抑留されました。飢餓と病気に苛まれながら
     重労働の開拓、道路工事などに従事し昭和21年リバテイ船で復員して来ました。
     一名「死の島レンパン」と呼ばれた島で生きんが為に知った「不撓不屈の精神」や
     「苦境に耐える」等など・・・60余年も続いた平和によって 忘れかけた私の
     平和ボケした気持ちを引き締めるために、レンパン島を訪問して来ました。我々が
     血と汗で建設した道路の殆どは再びジャングルと化して居ました。
     この島の海岸に建てられていた、仲間の記念碑に香を焚き冥福を祈ってきました。
     今にして思えば、この苦難に満ちた抑留生活も私の人生の中で多くの人々が味わう
     事のできない、有意義な経験であったと思える様になりました。
     機会を見てレンパン島の写真を掲載いたします。


    [No.1073] Re: ヒマツブシ(Terang Bulan) 投稿者:   投稿日:2009/08/23(Sun) 09:04
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    苦労されたんですね。 ザックスと申します。

    ホワイトキャンプでの生活や

    「レンパン島」で凡そ1年間抑留生活

    をもう少し詳しく教えて頂けませんでしょうか。


    [No.1070] Re: 目黒の無線電信講習所 投稿者:ブーゲンビリア  投稿日:2009/08/22(Sat) 09:17
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    マーチャン様
    通信兵に関する貴重な記事を教えていただきありがとうございました。
    メロウ倶楽部というサイトのことも今回初めて知りました。

    satyan様
    あの戦争の時代に通われていた方と、こうしてインターネットでお目にかかれることが夢のようです。
    目黒無線の校歌、一言一句、胸に沁みました。以前、講習所跡地脇の坂道を歩いた時の、坂上からの眺めを思い出しました。今は高層ビルが立ち並んでいるあの辺りが、夕陽が丘と呼ばれていた頃が偲ばれます。お心のこもった文章をありがとうございました。

    実は、数日前、目黒会からメールが届きました。資料庫を整理していたら、偶然、昭和14年本科入学者写真集が見つかり、その中に父の写真を発見することができたと。スキャンした写真を添付してくださいました。戦前または戦中の本科の写真で保存されているのはこの1冊だけということで、とてもラッキーだったと書かれてありました。
     


    [No.1069] Re: ヒマツブシ(Terang Bulan) 投稿者:   投稿日:2009/08/20(Thu) 18:49
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    >BUP様
    懐かしいテランブランの歌有難うございました。私は日航から 現地入隊でマレーのタイピンの第94師団通信隊に入隊し、4ヶ月で敗戦 ジョホール州のクルアンで厳しい検問をうけ、無事に通過してホワイトキャンプに収容された夜・・・テランブランの歌の如き大きく明るい月を仰ぎながら郷愁の念に駆られながら軍歌 {戦友」「暁に祈る」それからお国自慢などの民謡を歌い悔し涙にくれたのですが、士気を鼓舞する軍歌が之ほど哀愁を帯びた詩でありメロディーであった事を初めて知りました。
    此処からシンガポール経由で赤道直下の無人島「レンパン島」で凡そ1年間抑留生活をしました。


    [No.1068] Re: 目黒の無線電信講習所 投稿者:   投稿日:2009/08/20(Thu) 18:31
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    > BUP様
     ブーゲンビリア様
    私は昭和18年10月繰り上げ卒業で大日本航空株式会社入社・・・東南アジア各地を飛び歩きました。  目黒無線の校歌をお知らせします。1939、2,11制定
      1、御稜威(ミイツ)燦たる 千代田の宮の
        西南近き 夕陽が丘に
        鉄塔高き われらが母校
        桜花に映ゆる 姿は聖し
        いざや究めん 世紀の科学
      2、滄溟の霧 碧空の雲
        大地の嵐 瞬く隙に
        貫き到る 無線の言葉
        伝うる我らが 責務は重し
        いざや磨かん 技術と心
      3、霊峰富士を雲間に仰ぎ
        皇国魂 雄々しく強く
        進む文化の先駆者我ら
        目黒無線の理想は高し
        いざや讃えん 母校の使命  


    [No.1067] ヒマツブシ(Terang Bulan) 投稿者:BUP  投稿日:2009/08/19(Wed) 17:36
    [関連記事URL:http://bup7.blog37.fc2.com/

    南の国の月明かりはとっても明るいんです。(新聞が読めるくらい)
    月の出ない夜は満天の星空です、空イッパイに星が煌めいているんです。
    南方向、斜め上に南十字星が見えます。
    赤道直下の島の昔話でもさせてください。
    インドネシアの歌ですが、”ブンガワンソロ”と並んで日本人に愛唱された”トランブー
    ラン”と言う歌が御座います。
    戦後、曲がマレイシアの国歌になってしまい、放送禁止曲になってしまいましたが。
    確か戦後、昭和25,6年頃、雪村いずみさんが主役で歌った映画にもなっていたと思いますが。(元日本兵とインドネシアの娘の悲恋物語です)
    歌詞は
    Terang bulan terang di kali
    Buaya timbul disangkanya mati
    Jangan percaya mulut lelaki
    Berani sumpah takut di mati.
    意訳すると
    ”月がとっても明るい夜 川に鰐が、死ん出るように動かない
    でも騙されたらダメ、男も同じ、男の言葉なんか信じたらダメ
    一緒になれなかったら死んでしまうなんて口先だけ
    ほんとうに死ぬわけないよ”
    Youtubeで検索すると、たくさん出てきますので、宜しかったらどうぞ。
    俺は今でも歌えますよ。
    さて、本題
    何処から書いていいか分からないので、想い出した順に。
    戦局も押し迫った昭和20年の春ころ、南西方面艦隊、航空輸送部に、燃料の在った南方で養成して、飛べるようになったパイロットを特攻要員として鹿屋基地に輸送する”特攻輸送作戦”の命令が来ました。
    当時は、とっくに制空権は無くくなっており、比島、台湾の上空は飛べず、大陸沿岸周りの夜間飛行で、と言うことになりました。
    居なくなっても差し障りの無い独り者の若い、どうでもいいやつが四人選ばれ、俺も其の
    仲間に入ってました。(腕の良いやつを選抜したって、煽てられました)。
    遺書を書けだのと言われましたが、ノーテンキな俺は、それより行く前に、セレベス島のマカッサルに飛ばせて呉れって飛行長に言ったら、本当に飛ばせて呉れました。
    4月頃、雨季の明けた”Terang Bulan”の頃でした。
    何故、死ぬ前にマカッサルに行きたかったか・・・、では又。
    (プールで家内が待っているんで大急ぎで行かなくては・・・)


    [No.1066] Re: 目黒の無線電信講習所 投稿者:マーチャン  投稿日:2009/08/17(Mon) 20:38
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    ブーゲンビリアさん

     大正の部屋にようこそ。

    > 父は五号無線機の通信兵だったそうですが、6年前に亡くなるまで、戦地のことや無線のことも、ほとんど語らずじまいでした。聞けない雰囲気がありました。
    > ですので、こちらのサイトに集まる方々の、ご自身の戦争体験を語り、記録として残そうという精神には、心より敬意を表しております。

     メロウ倶楽部のトップページからご覧いただけるところに
     「メロウ伝承館」があります。

     このなかに「村松の庭訓を胸に 平和の礎となった少年通信兵」があります。

     ここに「通信兵」のことがでてきます。

     目黒は逓信省所管の学校でしたが、村松の少年通信兵学校は陸軍省の所管です。

     どちらにせよ、当時「無線による通信」は最先端のハイテクだったのですね。
     そして少年たちは一生懸命その技術を勉強したのです。


    [No.1065] Re: 目黒の無線電信講習所 投稿者:ブーゲンビリア  投稿日:2009/08/17(Mon) 14:12
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    BUP様

    さっそく温かいご返信と、貴重な写真をUPしていただきありがとうございました。
    実は、講習所に関するものは、何ひとつ家に残っておりません。
    ですから、本当に興味深く拝見いたしました。父のものを瞼の中で想像しました。

    父は五号無線機の通信兵だったそうですが、6年前に亡くなるまで、戦地のことや無線のことも、ほとんど語らずじまいでした。聞けない雰囲気がありました。
    ですので、こちらのサイトに集まる方々の、ご自身の戦争体験を語り、記録として残そうという精神には、心より敬意を表しております。


    [No.1064] Re: 目黒の無線電信講習所 投稿者:BUP  投稿日:2009/08/17(Mon) 08:54
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    画像サイズ: 829×768 (96kB)
    ブーゲンビリアさん 初めまして。
    > 昭和15年3月に本科卒業
    と言うことは小生より2年程先輩ですね。
    ご年齢は小生より6歳程年長ですから、丁度15年頃、適齢期になって、御入営されたと考えられます。
    当時のことはよく分かりませんが、本科卒業と言う記録が残っているのなら、其の通りと思います。
    無線電信講習所の制服、校舎、校門などは、此のサイトでご覧になった通りです。
    山手線の目黒駅より徒歩約10分、閑静な住宅街の中に在り、近所に日の出高女も御座いました。
    戦後、調布の方に移転、電通大と変わり、同窓会の名前だけが目黒会で、残っております。
    当時は、卒業、即戦争への慌しい時期でした。
    小生と同期の生徒の一部も卒業を待たずに、仮卒業扱いで、軍籍になり、校舎より出征して行きました。
    私ごとですが、小生も卒業の2ヵ月後には南海の戦場に立っておりました。
    お亡くなりなられた先輩、御尊父様のご冥福をお祈り申し上げます。
    追伸
    蛇足ながら、引き出しの奥に、当時の生徒手帳、通信士の証明書などが出てきましたので、画像にしてくっ付けました。
    ご尊父様もご卒業と同時に、同様の国際資格証を交付されていると存じます。
    ご尊父様の当時のお写真などがご覧になれるかも知れませんよ。

                      敬具   BUP


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