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[No.213] 昭和21年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/15(Wed) 17:58
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ここの話題を盛り上げるために
清水勲「古きよきサザエさんの世界」から
昭和21年から39年までのキーワードを紹介したいと思います。

昭和21年
 闇市
 配給  魚、エンドウ豆、おから、はんぺん、リンゴ
 代用食
 買い出し
 おまわりさんの民主化  おまわのさんのサーベルは禁止され拳銃に変わった
 丸細郵便ポスト  江戸川乱歩にあの中に隠れる案をつかった
 引揚げ
 戦時利得者  「引揚者は泣いとる」「戦時利得者をたたくべきだ」
 ゼネスト  鉄道線路で遊ぶカツオとワカメ 今日はゼネストだった
 男女同権  討論会でサザエの発言「男性よ女性を発言すべし」
 MP  アメリカの陸軍憲兵


[No.223] 昭和22年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/16(Thu) 07:25
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> ここの話題を盛り上げるために
> 清水勲「古きよきサザエさんの世界」から
> 昭和21年から39年までのキーワードを紹介したいと思います。

昭和22年
  原っぱ  子どもたちの遊びの場 美空ひばりの映画では土管がありました。
  紙芝居  黄金バット 少年王者 テレビも最初は電気紙芝居と言われた。
  野菜の自宅栽培  トマト、キュウリ、ナス ニワトリを飼う家もあった。
  都電・市電
  ねんねこ  サザエさんのねんねこがいくつあるか調べた人もいました。

  新円かせぎ  昭和21年2月に給料は500円までが新円(旧券は流通停止)で支給され、残りは封鎖預金として銀行に預け入れとなった。 サザエさんは新円かせぎのためハロー出版社で働くことになる。
  メチール  燃料用メチル・アルコールを屋台で安酒に混入し客に飲ませた。運悪く濃度の高いものにあたると失明したりすることがあった。


[No.228] : 昭和23年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/17(Fri) 05:41
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昭和23年

 馬車・牛車  町に牛馬の姿のあるサザエさんの漫画は昭和30年まであった。北海道では馬そりが走っていました。
 内職  家計を助けるためサザエさんは得意の洋裁の看板を出す。
 集団見合い大会  板橋区に区立の結婚相談所が設立され、以後各地に設立された。
 結核  ワカメが近所の増田さんに誘われBCGに行くのについていく。
 髪のネット  サザエさんもフネも使っていた女性が髪を整えるために使用したネット
 訪問物売り  ホウキ屋、魚屋や八百屋のご用聞き、鋳掛屋
 街頭物売り  ノート・南京豆、シャボン玉、ヒヨコ、クスリ、シャツ類、おもちゃ
 帝銀事件  波平が帝銀事件の犯人と間違えられる。「まるでちがう。犯人は鼻すじが通っとるんだよ」
 シベリア抑留  その数64万人 サザエさんもシベリア帰りの男に頼まれ菊池宅へ案内する。


[No.230] 昭和24年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/18(Sat) 05:48
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昭和24年

 鯨尺  江戸時代から使われていた和裁用の物差し 曲尺(かねじゃく)との単位換算が必要 一時使用禁止されたが、日本文化を保護しようとしない政府が批判された。永六輔は偉かった。
 路上の傘直し  教会の近くで「お富さん」を歌う傘直しで、賛美歌を歌う教会の人は困っている(昭和29年12月22日) いまは安い折りたたみ傘の普及で傘の使い捨て時代
 井戸さらい  井戸の掃除をする職人 この井戸のメンテナンスをする人を見てワカメが「だれか井戸に落っこちている」と叫ぶ。
 夕刊の再登場  昭和24年1月21日のサザエさんの漫画で、フネが「今日から夕刊が出るんじゃない」と言っている。
 主婦の店  主婦連合会(主婦連)は「巷の良い店選び」を行い、優良店を「主婦の店」と呼ぶようになる。都内で魚屋・八百屋・肉屋・雑貨屋の869店が選ばれた。
 ターザン映画  アメリカのターザン映画「ターザン沙漠へ行く」「ターザンの怒り」「ターザンニューヨークへ行く」が封切られた。
 白亜の恋  戦後当選した39名の婦人代議士の一人松谷天光光と妻子ある園田代議士の恋愛沙汰が話題となり、夜までフネとサザエが「白亜の恋」を議論して、波平の帰宅も気がつかないので、ついに波平から「天光光論はたいていにせい」と怒られる。


[No.236] 昭和25年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/19(Sun) 07:26
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昭和25年

 聖徳太子の千円札  当時の大卒初任給は三千円
 サマータイム  昭和23年4月から昭和27年4月まであった。磯野家でもサマータイムに振りまわされる波平、マスオ、カツオ
 飼っていたニワトリを食べる  波平が帰宅するとおいしそうなトリ肉のにおいがするが、食卓の家族はうかない顔「うちのニワトリしめたの」
 行水  毎日銭湯通いをするのは経済負担が大きかった
 二部授業  小学校の教室不足のため午前と午後に分けられた授業。私は小学校の火事で一年間、この二部授業を体験しました。
 蝿帳  あると今も便利だが、見かけなくなった。
 氷冷蔵庫  磯野家の台所シーンには氷冷蔵庫が見える。
 謄写版  カツオと級友が黒板ふきを使ってケンカし二人とも真っ白になる。先生は二人に謄写版刷りを命じる。二人はまたも争って、共にインクで真っ黒くなる。
 PTA  カツオは総会に出かけるフネに「きれいにおしろいしてネ」と催促する。
 セパレートの水着  デパートでモデルの水着を見たフネ「マア!! 大胆な水着だネ」


[No.252] 昭和26年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/20(Mon) 07:49
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昭和26年

  暗い夜道  街灯の少ない夜道は、女性にとってはとてもこわい存在だった。高度経済成長の恩恵の一つは、徐々に夜道が明るくなり、女性が夜遅くまで活動できるようになったことである。サザエの住む世田谷も夜道は暗く、そのこわさを何度も漫画のネタにしている。サザエが顔見知りの氷屋をたたき起こして、「スミマセンが、ウチに帰るまで見ててくださいな、こわいんですの」と頼んでいる。
  停電  戦後の電力不足は昭和26年ごろまで深刻だった。石油ランプやロウソクが必需品であった。
  輪タク  三輪の自転車でひく。荷台が椅子式に座れるようになっていた。
  泳げた東京の川  世田谷の町中の川で泳ぐカツオの場面。
  コンロ・七輪  家庭の炊事用に使った燃焼器具。燃料として木炭・練炭などを使用した。
  天秤棒をかつぐ行商人  天秤棒をかついで売り歩く魚屋・金魚売り・豆腐屋・シャボン玉屋  中国四川省では天秤棒を担いで、客がいると荷物を下ろして、そこで作って売ったのが担々麺(天秤棒を担ぐから)、だから元祖の担々麺にはスープなし。
  長靴  雨が降れば道路はぬかるみになり、長靴は必需品だった。マスオのはいていた長靴を見た人が「長靴があっていいね」と言うが、マスオが家に帰って、古くなって穴が開いている長靴からサザエが水を振り出しながら「早く新しいのが買いたいわ」と言う。今は道路も舗装され、冬も雪が少なくなって、長靴はあまり見られなくなった。今年の1月に新潟県の高田(上越市)を長靴で歩いていたら、雪が深くて、けっこう役に立った。
  ドブ掃除  当時の東京には、台所や風呂場の生活排水を流すドブがどこにでもあった。大森海岸は海苔がとれるくらいの海水浴場だったが、昭和30年代に入ると人口増大による生活排水のため泳げなくなっていった。
  味噌すり  サザエがカツオに「おミソすってよ」とすり鉢に入った味噌を手渡す場面がある。磯野家の味噌にはまだ大豆や麦の粒が残っていて、それをすり鉢で細かくすっていたらしい。
  母の日  カツオがフネに大きな花束を渡す。フネが喜ぶのを見て、すぐ花束を返してもらう。友だちと共同で買ったので回して使うから。
  追放解除  政府はGHQの承諾を得て、戦犯を除く公職追放解除訴願中の一万九十人の追放解除を発表。また旧軍人三千二百五十人(太平洋戦争開戦後の陸海軍学校入学者)にも追放解除を発表。


[No.262] 昭和27年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/21(Tue) 07:12
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昭和27年

 校庭の映画会  昭和20年代の人々の夏の楽しみに、学校の校庭での無料映画会があった。夏休みのカツオとワカメが、静岡のフネの実家に泊まりに行く。途中からサザエも合流する。そんな田舎暮らしの夏の夜、学校の映画会を皆で見に行く。
 帽子をかぶる  外出時の男性の冠帽率100%の時代は、昭和初年から20年代中頃まで続いたようである。しかし、昭和23年、若い男性のリーゼントスタイルが人気を博し、髪型が崩れる心配から無帽が一般的になっていく。昭和31年、文化人たちの間でベレー帽がブームとなり、ノリスケも便乗している。
 物乞い  昭和26年の漫画では、男が身体障害者を装って同情を呼んでいるので、サザエが十円をカゴに入れるが、ろうあ者なのに返事をしたことに、サザエはあとで気がつく。この漫画は、差別用語を使っているので、朝日文庫版ではカットされた。昭和27年の漫画では、波平の帽子が風で飛ばされ、物乞いの前に落ちる。すると、その帽子に通りかがりの人が次々とお金を入れるものだから、波平は取り戻すのをやめる。
 火鉢  磯野家を訪れた来客の近くに火鉢が置かれ、家人の客への心遣いが感じられる。磯野家では昭和40年11月の漫画が最後で、昭和41年1月には来客用に石油ストーブを使っている。
 モンペ  大掃除をする磯野家で、フネがモンペをはいている。モンペ姿のサザエ、フネはかなり描かれてきたが、昭和27年5月の漫画を最後に以後は出てこない。
 ノミ  この本の著者清水が、ノミやシラミでかゆがっていた子犬のシェパードにDDTをかけてやったら、子犬は付着したDDTをなめまわし、急性中毒で死んでしまったという。
 くず屋  竹かごを背負い、棹秤を持って「くず屋ァおはらい」というかけ声で家々を回るくず屋は「サザエさん」にもよく登場している。
 ホタル  カツオが家の近くでホテルを見つけて追いかける漫画。当時は世田谷にもホテルがいたようだ。
 ソケットとコンセント  アイロンを使うのに、電球をはずしてソケットをはめ、それにアイロンのコードをつなげる場面が昭和27年6月の新聞漫画にある。二股ソケットは確かによいアイデア商品だったのだ。
 デパートの氷柱  涼を呼ぶ氷柱は夏の風物詩で、デパートや喫茶店などで見られた。
 台上の交通整理巡査  もはや日本では見られなくなった台に乗った交通巡査も、ベトナムや中国に行けば見ることができる。
 虫下し  ワカメの食べようとしているアンパンを取り上げて食べてしまったカツオにサザエが「なんでワカメのを取るのッ 虫下しが入っているのに!」と怒る。
 竹馬  カツオが近所の家にいるのを見つけたサザエは、カツオが下駄をはかないでその家に行ったことに気づく。実は竹馬を使ったのだ。


[No.285] 昭和28年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/22(Wed) 17:08
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昭和28年

 横町に見られた縁台  縁台将棋は夏の風物詩であった。都市の人口増加による住宅の集密化で庭は狭くなり、どんな道路にも車が進入してくるようになったため、縁台は横町から消えた。
 人造米  米不足の対策として、でんぷん、小麦粉に二割ほどの砕米を加え米粒大に固形化した人造米が開発されたが、増産や豊作で米不足がなくなり人造米は姿を消した。
 街頭テレビ  波平が駅で、「今日は急ぎますから」と別れた知人と、電器店のテレビ見物の人だかりの中で再び会ってびっくりする漫画があった。
 月賦  磯野家も月賦でスプリングコートを買っている。
 質屋  キャンプに行く金のないマスオの友人が一計を案じ、「山にキャンプに行くんだ」と言ってマスオの大事なポータブル蓄音機を借りる。彼はそれを質屋に預けてキャンプ資金を作り出す。
 人前での授乳  磯野家を訪ねてきた乳児を連れた女性、乳児が泣き出したので、フネの前で授乳する。昭和20年代は、電車やバスの中、公園などの公共の場で授乳はよく見られた。
 スクーターの横乗り  女性を後部座席に横乗りに乗せたスクーターが通りかかり、サザエがうらやましそうに見ている漫画があった。当時ノーヘルメットで、スクーターの横乗りができたのは、街に自動車があまり走らず、危険意識が薄かったからだろう。
 庭の穴にゴミを入れる  東京の人口が増大しゴミが増えてくると、ゴミ箱はいつも満杯状態になり、都民は自家でゴミ処理をせまられ、磯野家も庭に穴を掘る方法を採用する。木や落ち葉は燃料や焼き芋に使われた。昭和32年から東京湾で夢の島のゴミ埋め立てが始まる。
 勝手口  勝手(お勝手)とは台所のこと。勝手口とは台所への出入口。昔の建物は、出入口が玄関と勝手口の二カ所あり、御用聞きや女中は勝手口から出入りした。磯野家も塀に勝手口という表札を付け、くず屋や御用聞きがここから出入りしている。
 ダルマストーブ  昭和20年代の小学校・中学校の教室にはダルマストーブがあって、その横には石炭を入れた大きなバケツと小型のシャベルが置かれていた。ストーブの周りに人の輪ができ、おしゃべりの場ともなった。
 中国引き上げ児童  日本赤十字社など三団体と中国紅十字会との公式会談が北京で開かれ、中国から引揚げが開始された。カツオがその帰国少年を家に招く。帰国少年はサザエに「だから毛沢東のめざすものは...」、波平とマスオには「つまり、労働人民の組織の力で...」と中国での学習を披露。大人たちはむずかしくてよくわからない。
 としよりの日  昭和27年9月15日、大阪で第一回「としよりの日記念大会」開催。 波平が駅員と口論、ついに駅員は「すみません、今日のところはあやまります」と言う。波平が「それみたまえ」と言うと、駅員がすかさず「今日はとしよりの日だから」と答える。かくして二人は再び口論を始める。
 


[No.286] Re: 昭和28年/サザエさん 投稿者:   投稿日:2010/12/22(Wed) 18:21
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>  街頭テレビ  波平が駅で、「今日は急ぎますから」と別れた知人と、電器店のテレビ見物の人だかりの中で再び会ってびっくりする漫画があった。

わたしは昭和30年から東京ですが当時も新橋駅の烏森口(いま機関車が置いてある所)に大型のテレビがあって帰宅途中によく見ましたよ。大相撲本場所のときは黒山の人だかりでした。千代の山、鏡里、朝潮、安念山などが人気でした。すこし後の栃錦・若乃花の時代にはもう家庭にも(まだ白黒ですが)TVが普及していました

>  スクーターの横乗り  

この当時セールスマンの足はスクーターでした。私の会社ではラビット号というのを
社用車として使ってました。富士重工製で軽くて耐久性が良くカッコよかったなぁ


      さんらく亭@甲子園


[No.288] Re: 昭和28年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/22(Wed) 18:39
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さんらく亭さん  ありがとうございます。

> わたしは昭和30年から東京ですが当時も新橋駅の烏森口(いま機関車が置いてある所)に大型のテレビがあって帰宅途中によく見ましたよ。大相撲本場所のときは黒山の人だかりでした。千代の山、鏡里、朝潮、安念山などが人気でした。すこし後の栃錦・若乃花の時代にはもう家庭にも(まだ白黒ですが)TVが普及していました

私の場合
テレビでは力道山がなんといっても結びつきます。

> >  スクーターの横乗り  
>
> この当時セールスマンの足はスクーターでした。私の会社ではラビット号というのを
> 社用車として使ってました。富士重工製で軽くて耐久性が良くカッコよかったなぁ

スクーター、ラビット号といえば
「少年ジェット」
 武内つなよし
 「ぼくら」連載
放映 昭和34年3月4日〜昭和35年9月28日 フジテレビ系

 名探偵船越宏の助手、北村健は、少年ジェットと呼ばれる少年探偵で
 愛車のスクーター「ラビット号」にまたがり、愛犬シェーンを従えて。
 怪盗ブラックデビルなどの悪人に戦いを挑み、次々と難事件を解決して行く。


[No.292] Re: 昭和28年/サザエさん 投稿者:   投稿日:2010/12/22(Wed) 21:50
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>>校庭の映画会  昭和20年代の人々の夏の楽しみに、学校の校庭での無料映画会が>>あった。

そういえば校庭で映画会がよく催されました。なんの映画だったか?
鉄棒にぶら下がったりしながら、見ていた時もあります。
あまり興味のある映画ではなかったのか?

> 私の場合
> テレビでは力道山がなんといっても結びつきます。

パン屋と喫茶?が併設された店でアルバイトしていた時に、力道山の放映が
あると、その店のテレビには鈴なりの人垣ができたものです。
お金を払って店に入らず、ガラス越しに見ているのでした。


[No.294] Re: 昭和28年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/22(Wed) 22:02
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あやさん  こんばんは

> そういえば校庭で映画会がよく催されました。なんの映画だったか?
> 鉄棒にぶら下がったりしながら、見ていた時もあります。

これは臨場感あるコメントでした。実際に体験した人でないと書けません。

> > テレビでは力道山がなんといっても結びつきます。

> パン屋と喫茶?が併設された店でアルバイトしていた時に、力道山の放映が
> あると、その店のテレビには鈴なりの人垣ができたものです。
> お金を払って店に入らず、ガラス越しに見ているのでした。

パン屋と喫茶店がセットになっている店は
たとえば吉祥寺駅前のドイツパン屋リンデがあります。
http://www.lindtraud.com/
先月でしたか
調布の深大寺の鬼太郎茶屋に行ったときは
吉祥寺からバスに乗って深大寺に行きました。
時間があったらリンデにも寄るところでしたが
なにしろあのときは、夜には新宿駅西口にも行ったりしたから(吉祥寺の前は小田急線の沿線で春の小川の歌碑を見たり、井の頭線に乗ったりしたので)
寄りませんでした。

美人のあやさんが働いていれば、それでお客さんも増えていたことでしょう。


[No.307] Re: 昭和28年/サザエさん 投稿者:   投稿日:2010/12/23(Thu) 19:08
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男爵さん、こんばんは

>
> > そういえば校庭で映画会がよく催されました。なんの映画だったか?
> > 鉄棒にぶら下がったりしながら、見ていた時もあります。
>
> これは臨場感あるコメントでした。実際に体験した人でないと書けません。

ありがとう。夜のことでおばあちゃんが心配して迎えにきたりもしました。

>
> > > テレビでは力道山がなんといっても結びつきます。
>>
> パン屋と喫茶店がセットになっている店は
> たとえば吉祥寺駅前のドイツパン屋リンデがあります。
> http://www.lindtraud.com/

こんなすごい店ではありませーん。下級生の男の子の家でした。
その男子は数学ができたのです。ところが、私にアルバイトに
くるなと言うのです。なぜかって、先生が「お前のところに
いい先輩がアルバイトしていてくれてていいな」と言われた
そうです。私もその数学の先生には、太鼓判を押されていたのです。

> 時間があったらリンデにも寄るところでしたが

いつかまたですね。

> 美人のあやさんが働いていれば、それでお客さんも増えていたことでしょう。

とんでもない! でも自由が丘のバーのママに働いてくれないかと
言われたことありです。顔のせいではありません。


[No.321] Re: 昭和28年/サザエさん 投稿者:   投稿日:2010/12/24(Fri) 22:07
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> そういえば校庭で映画会がよく催されました。なんの映画だったか?
> 鉄棒にぶら下がったりしながら、見ていた時もあります。
> あまり興味のある映画ではなかったのか?

わが田舎では、CIE(占領軍の民間情報教育局)作成の民主主義教育映画と、科学映画や
マンガ映画がセットになっていました。科学映画では、コウモリが超音波を出しながら
障害物を避けていることが発見されたという映画が印象に残っています。

娯楽のない時代でしたから、真っ暗な田舎道を30分も歩いて見にいきました。


[No.324] Re: 昭和28年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/25(Sat) 07:22
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Kenza さん  こんにちは

> 娯楽のない時代でしたから、真っ暗な田舎道を30分も歩いて見にいきました。

あの頃はどこも暗かったですね。
明かりは懐中電灯か提灯だったでしょうか。


[No.325] Re: 昭和28年/サザエさん 投稿者:   投稿日:2010/12/25(Sat) 09:44
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男爵さん、

> あの頃はどこも暗かったですね。
> 明かりは懐中電灯か提灯だったでしょうか。

そんな贅沢なものはありませんでした。「月明かり」です。


[No.326] Re: 昭和28年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/25(Sat) 14:16
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Kenzaさん

> そんな贅沢なものはありませんでした。「月明かり」です。

懐中電灯はなかったろうと思いましたが
月明かりですか。

それだと雨のときは悲惨でしたね。
何も見えないし、ぬかるみで濡れるし。


[No.338] Re: 昭和28年/サザエさん 投稿者:   投稿日:2010/12/26(Sun) 19:23
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男爵さん、

> それだと雨のときは悲惨でしたね。

悲惨も何も、雨の日は中止です。なにしろ、運動場が会場ですから。

スクリーンは、白い布でした。


[No.339] Re: 昭和28年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/26(Sun) 19:59
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Kenza さん

> > それだと雨のときは悲惨でしたね。
>
> 悲惨も何も、雨の日は中止です。なにしろ、運動場が会場ですから。

そうでした。 雨ならば雨天会場では映画の上映はできませんね。

曇りの時は月が見えないから暗いところを歩くのは大変だったでしょう。

映画会でなくても
雨の時に夜に外を歩くのは大変だったことが思われます。
日本中、そういう苦労をしたのでしょうけれど。


[No.342] Re: 昭和28年/サザエさん 投稿者:   投稿日:2010/12/26(Sun) 22:02
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>> そういえば校庭で映画会がよく催されました。なんの映画だったか?
>> 鉄棒にぶら下がったりしながら、見ていた時もあります。
>> あまり興味のある映画ではなかったのか?

>わが田舎では、CIE(占領軍の民間情報教育局)作成の民主主義教育映画と、科学映画
>やマンガ映画がセットになっていました。科学映画では、コウモリが超音波を出しなが>ら障害物を避けていることが発見されたという映画が印象に残っています。

よく覚えておいでですね。私はとんと思い出せません。
大人が多かったことは確かです。

娯楽のない時代でしたから、真っ暗な田舎道を30分も歩いて見にいきました。

うわっ! 大変! それでしたら私は行けなかったでしょう。
我が家は学校の門から近く、すぐ前は塀という感じでした。
祖母などは、「お前の声が聞える。少しは女らしくしなさい」
と言い、よく怒られたものです。

> > それだと雨のときは悲惨でしたね。
>
> 悲惨も何も、雨の日は中止です。なにしろ、運動場が会場ですから。

そうでしたよね。

>
> スクリーンは、白い布でした。

覚えています。大きな広い布でした。風が吹くと画面が揺れるのです。


[No.305] 昭和29年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/23(Thu) 16:06
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昭和29年

 八頭身 前年にミス・ユニバースで伊東絹子が第三位となった。海水浴場に来たサザエが伊東絹子の等身大の切り抜き看板を見つける。「これを通り抜けた方は八頭身美人です」 四頭身のサザエには無理だった。
 若い女性への席ゆずり  アメリカは開拓者の国、女性が少なく女性を大事にする習慣が生まれた。電車の席に座っていたマスオとノリスケが立って女性に席をゆずる。その女性はちょっと太めだったから。しかし、彼女は「まぁ失礼な」と座るのを拒否する。
 三本立て映画  映画館の切符売り場で「切符二枚」という声と同時に二人からお札が出てくる。フネと知人が、互いに(相手に払わせまいとして)自分が払おうとする。豪華三本立て映画
 デパートの実演販売  デパート内で生活用具や食品の実演販売を見ているマスオ。サザエに呼ばれて「よく呼んでくれた。気が弱くてね、行きそびれたんだ」というマスオ。
 運動会の賞品  ワカメが運動会でノートと手ぬぐいをもらってくる。
 毛糸巻き  昔は使った毛糸のセータなどをときほぐし、再利用することが多かった。毛糸編みは女性の家事の一つだった。
 ドロメップ缶  サザエがこたつに入っているワカメオに「ごほうびにドロップあげる」から、毛糸巻きを手伝ってと言う。
 インク壺  針仕事をするサザエのそばを、バケツとぞうきんを持って何度も行き来するカツオとワカメ、二人は机のインク壺をひっくり返して畳をよごしたので拭き取っていた。
 ゴジラ  日本最初の空想科学映画 ゴリラとクジラの名前を合体させたネーミング。

 


[No.306] 昭和30年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/23(Thu) 16:40
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昭和30年

 街頭録音  サザエが「新内閣にのぞむ」と題する街頭録音で「世田谷のフグタ、主婦、二十三歳」と自己紹介し、「うそのない政治をしてください」と言う。そばにいたカツオが「二十三だって、うそじゃないの」。サザエ、逃げるカツオを追う。
 ヘップバーン・スタイル  「ローマの休日」のヘップバーンの髪型(前髪を下ろしたショートカット)が評判になった。
 下駄をはく  当時は小学生も中学生も下駄をはいていた。今なら下駄は応援団と鬼太郎だけ。
 下駄でうらなう天気予報  表が出たら晴れ、裏が出たら雨。
 障子の張り替え  年末には障子の張り替えをしたものです。
 落とし穴  カツオが花壇を作ろうと穴を掘っている。しかし、途中から気が変わって落とし穴をつくり、サザエを見事に落っことす。
 鬼ごっこ  ワカメが往来で「鬼ごっこするもの、この指とまれ」と友だちを呼んでいる。
 ゴムひもとび  狭い通り道で女の子たちがゴムひもとびをやっている。通れなくて困ったサザエは、思い切ってゴムひもをとび越える。すると女の子たちが拍手をしたので、つけあがったサザエはゴムひもの高さを高くしてもらい、それに挑戦する。女の子たちは調子づいたサザエに困り顔。  
 果物をつめた木箱  磯野家にはよく地方から木箱につめられたリンゴやミカンが届く。木箱はいつのまにかダンボール箱にかわっていった。
 金魚売り  ワカメが部屋で本を読んでいると「きんぎょーえ、きんぎょー」の甲が聞こえる。
 ラジオが娯楽の中心  磯野家では夜に、サザエとカツオがラジオの落語を聞いている。落語家がヨウカンをうまそうにほうばっている演技を聞いて、二人とも急に空腹を感じ、台所へ食べ物を探しに行く。
 知恵の輪  街でカツオが知恵の輪らしきものをひろう。なかなかはずれない。波平がやると簡単にはずれる。しかし、近くの女性から「あたくしのイヤリングざんすけど」と文句が。
 コールド・パーマ  電熱を用いず薬品だけでするパーマ。 今はコールド・パーマですね。


[No.313] 昭和31年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/24(Fri) 06:16
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昭和31年

 集団就職  神武景気で企業や商店が人手不足のため、地方の中卒者・高卒者を都会で就職させる政策がとられた。集団就職列車が上野駅に着く。ああ上野駅(作詞関口義明 作曲荒井英一 唄井沢八郎 昭和39年)
 放射能の雨・死の灰  新聞を読む波平が「放射能の雨」の記事に深刻な顔をする。
 正月の獅子舞  磯野家を訪れた二人獅子舞に、波平とマスオは羽織姿で百円札の祝儀を渡す。  
 バスの女車掌  バスに乗るサザエとワカメが女車掌から切符を買っている。 東京のバスガール(作詞丘灯至夫 作曲上原げんと 唄初代コロンビア・ローズ 昭和32年)
 事務員の腕カバー  郵便局員、事務員などがよく使用していた。ワイシャツのクリーニングも普及して腕カバーも必要がなくなったのだろうか。
 蚊屋  昔は夏の風物詩だったのに、いまでは殺虫剤や網戸の普及で蚊屋も見かけなくなった。
 トースター  磯野家の人々はトースターのことをパン焼き器と呼んでいた。
 ガスストーブ  サザエはマスオにしきりにガスストーブがほしいと言うが聞く耳を持たないので波平に相談する。波平は冬のボーナスでガスストーブを購入する。
 医薬分離  法律的には、このころから医薬分業となったが、実際は例外規定により任意分業が行われている。
 深夜喫茶  一時期都会に流行った。今は漫画喫茶(インターネット・カフェ)で夜明かしができる。仮眠も可能。カプセルホテルで過ごすより安い。


[No.314] 昭和32年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/24(Fri) 06:47
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昭和32年

 小学生の坊主刈り  アニメのサザエさんで現代の若い人が違和感を感じると思われるのは、ちゃぶ台とカツオの坊主頭だろう。この頃の漫画では、紙芝居を見る五人の少年のうち二人は坊主刈りだった。
 前でっぱりのバス  この頃の漫画には、前ののっぺり型のバスが登場するが、それまでの前でっぱりのバスも再登場する。
 おひねり菓子  波平がワカメにお菓子を入れた紙包みを渡すシーンがある。アメやビスケットを缶から出して分け与えていた生活習慣がうかがえる。
 キセル  キセルタバコを吸っているおじいさんを見て、サザエが「いなせなおじいさんね」と言っている。
 屋根にのぼる  ワカメに「今日は花火大会があるよ」と言われたマスオが家の屋根にのぼるシーンがある。
 空きびん流し  海岸でカツオが飲み残したサイダーびんに手紙を入れて流すシーンがある。海流に載ってどこかの国の人がひろって読むことを期待して流す。
  鉄腕アトムの漫画で
   アトムが、南海から流れてきたびんの中の手紙を見つけて
   南の島に飛び女の子と父親を救う話がある。
      > 海蛇島   1953 8月号付録  21巻
      >   南海から流れてきたびんの中の手紙

 駄菓子屋  夏の夕方の縁台で老人が女の子たちに怪談ばなしをするとワカメがこわがって泣き出す。老人はご機嫌直しにワカメをおぶって駄菓子屋へ行く。
 もらい湯  家庭風呂のない近所の人たちに始祖の家が「もらい湯」の奉仕をしているシーンがある。待っている人がなんと十二人もいて、これでは風呂に入るとかえってよごれてしまいそう。


[No.315] Re: 昭和31年/サザエさん 投稿者:   投稿日:2010/12/24(Fri) 11:05
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>  事務員の腕カバー  郵便局員、事務員などがよく使用していた。ワイシャツのクリーニングも普及して腕カバーも必要がなくなったのだろうか。

一瞬、腕力bar かと思った(゜゜)(。。)
腕coverですね。「腕抜き」とも言ったなぁ。
入社して最初に配属されたのが経理課。経済学部を出たといって
も簿記も算盤も出来ないのがなぜ経理?と思いました(;_;)

昭和30年当時まだコンピューターはもちろん、電卓もワープロ
もなかった。伝票から帳簿に転記するのはガラスペンの先に
インクをつけて(ボールペンもまだない)計算は5玉算盤です。
手回しタイガー計算機も台数が少なく新入社員は使わせてもらえ
ず年下の先輩女子社員から居残りで算盤の特訓を受けました

Yシャツの袖が擦れて汚れるので腕カバーが支給されました。
ある日うっかりして腕カバーをつけたまま電車に乗って恥ずかし
い思いをしたことがあります



     さんらく亭@甲子園


[No.317] Re: 昭和31年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/24(Fri) 17:23
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さんらく亭 さん

> 一瞬、腕力bar かと思った(゜゜)(。。) 

 暴力バー?

> 腕coverですね。「腕抜き」とも言ったなぁ。

> Yシャツの袖が擦れて汚れるので腕カバーが支給されました。

Yシャツの袖の汚れ防止の腕カバー
でも
仕事をする上で能動的で
カッコウよいと思いました。
  私にしたら、タスキのように写りました。


[No.319] Re: 昭和30年/サザエさん/下駄 投稿者:   投稿日:2010/12/24(Fri) 18:26
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>  下駄をはく  当時は小学生も中学生も下駄をはいていた。今なら下駄は応援団と鬼太郎だけ。

バンカラ気取りで(青い山脈の影響も)下駄を履いて来る生徒もいましたが、私は
貧乏でボロ靴が恥ずかしくて(男女共学になって女生徒の眼が。。。)下駄履きで
通学しましたねぇ
今でも町内では下駄履きで歩いていますが、下駄履きの人はほとんど見かけません

>  下駄でうらなう天気予報  表が出たら晴れ、裏が出たら雨。

拙作の川柳2句
・裏表天気占う下駄がない        メロウ川柳(平成16年6月)
・下駄投げて予報士よりもよく当たる   NHK川柳(平成17年6月)


      さんらく亭@甲子園


[No.320] Re: 昭和30年/サザエさん/下駄 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/24(Fri) 18:29
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さんらく亭さん

> 今でも町内では下駄履きで歩いていますが、下駄履きの人はほとんど見かけません

下駄を守りましょう
日本文化を残すことは
価値のあることです。


[No.331] 昭和35年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/26(Sun) 06:42
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昭和35年

 おひつ  この年の漫画では、磯野家の食卓におひつが見られる最後のシーンである。
      炊飯と保温を可能にした電気炊飯器の登場で、おひつは不要のものになってしまった。
      (直接関係ないが、名古屋の「ひつまぶし」に対抗して、浜松の「おひつうなぎ」がある)
 東京の三ケタ局番  東京の電話の増加が激しく、それまで二ケタだった局番の末尾に1を付け、東京二十三区内の電話番号はすべて三ケタとなった。  
 ピストルマニア  ピストルの好きなカツオは勉強しないものだから、怒った波平が庭に穴を掘り、カツオのピストルを埋めてしまった。
 ガス中毒  「サザエさん」にガス中毒をテーマにした漫画が三点描かれる。前年12月からこの年の1月にかけて東京ガス管内で四十三人がガス中毒死した世相を反映している。
 雪男  雪男はヒマラヤに住むのではないかと世界各国の探検隊がヒマラヤに押し寄せたが見つからなかった。雪男をあつかった漫画が掲載された。

歌謡曲
 ステキなタイミング(坂本九)
 黒い花びら(水原弘)
 潮来笠(橋幸夫)
 月の法善寺横町(藤島桓夫)
 さすらい(小林旭)
 黄色いさくらんぼ(スリー・キャッツ)
 霧笛が俺を呼んでいる(赤木圭一郎)


[No.332] 昭和36年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/26(Sun) 07:05
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昭和36年

 バキュームカー  この年の「サザエさん」では、バキュームカーの横に肥たごも見えるので、肥たごで集めたものをバキュームカーで回収する方法もとられたらしい。
 火の用心の夜回り  波平が夜回りをしている。鳥打帽をかぶり、腰に「火の用心」と書かれた提灯を下げている。この腰提灯で拍子木を打つというのは、江戸時代と変わらないスタイルだろう。
 来客に紅茶  磯野家でも来客に紅茶と角砂糖を出している。
 クリスマス・ケーキ  クリスマスにはマスオが買ってくるが、ケーキの上に飾りがないので取り替えに行く。店は客がいっぱいで、ケーキ職人も汗だくでケーキつくりにはげんでいる。
 風呂敷  マスオが歳末福引きをやり、八等のタワシが当たる。そして、持ってきた大風呂敷に包んでもらうシーンがある(いいものが当たると思って大風呂敷を持ってきたのに)。
 酔っぱらいが持つ折詰  この年の漫画には、酔っぱらいが折詰を持っていい気分そうに歩いている姿が描かれている。このころの宴会場には、残った料理をテイクアウトする習慣があった。
 消える大型ラジオ  トランジスターラジオの登場、テレビの普及で大型ラジオは役目を終える。この年にはカーラジオが登場。

歌謡曲
 王将(村田英雄)
 川は流れる(仲宗根美樹)
 北上夜曲(和田弘とマヒナ・スターズ&多摩幸子)
 湖愁(松島アキラ)
 ソーラン渡り鳥(こまどり姉妹)


[No.336] 昭和37年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/26(Sun) 16:50
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この本は明後日に返すので
それまでに昭和40年まで大急ぎで紹介することにします。

昭和37年

 井戸のある家  近藤さんの娘にすすめるお見合い相手を写真を見ながら語る近所の奥さんとフネ。「そちら一流校出!」「そちらは二流校出! だけど奥さん、おうちに井戸が二つもあるのよ!」という話にフネはびっくり。井戸が二つあるのは、相当庭が広い家に住んでいるということで、資産家だという意味である。
 切符の自動販売機  マスオとノリスケが自動券売機に並んでいる。故障しているのに皆並んでいるので、マスオが「並んでいないで直させるべきだ」と、駅の係の所へ行こうとする。それを止めるノリスケ「お金を入れないで(たたくだけで)切符が出ちゃうんだ」 係員「なんかご用ですか」マスオ・ノリスケ「いいんです」
 駅の伝言板  駅で待ち合わせている男が、先に行くために伝言板を利用しようとするが、もういっぱいで書けない。そこで、そばで赤い羽根募金のボランティアをしているサザエに羽根を買って伝言を託す。待ち人らしき人が来るとサザエ(伝言板の横に立っている)は「ずいぶん待った。先に行く、のり男」と叫ぶ。携帯電話が普及した現在、伝言板の意味はなくなっていくだろうか。
 毛皮  毛皮店のコートを見てマスオにねだるザザエ、ミンクではなくクマ皮なので安く、よけい欲しくなるが、クマと聞いてマスオは死んだまねをする。
 花嫁衣装で実家を出る  田舎のバスに乗った波平が、花嫁とその祖母が式場へ出かけるため乗り合わせているのを見てほほえんでいる。 同じ年に、花嫁とその家族が式場に向かうために歩いているのをカツオとワカメがついて回っている。実家で両親に別れの挨拶をして花婿の待つ式場へ静々と向かう。それはご近所との別れの行進でもあった。現在では式場で花嫁衣装に着替えるので、花嫁が通りを歩くのは見かけなくなった。
 マッチ  ノリスケが喫茶店のサービス・マッチをもらおうとしている。喫茶店や飲み屋、レストラン、旅館、ホテルなどの客商売の店では宣伝やサービスを目的にマッチが置かれていた。
 ゴキブリ  昔もゴキブリはいた。、しかし、漫画ではワカメもタラちゃんもゴキブリを知らなかった。昔の開放的な家屋の構造では、あまり目につかなかったのだろうか。
 自己批判  中国で中央工作拡大会議が開催され、この五年間の運動を再検討する中で毛沢東が自己批判した。日本でも、磯野家でも「自己批判」がはやる。客の前で行儀が悪かったワカメはフネにほほをつねられ、「お兄ちゃんだってやったよ!」と言う。フネがカツオのところに行くと、カツオは洗濯ばさみをほほにはさんで「もうボクは自己批判やってます」。
 オリンピック道路  東京オリンピック開催のため、昭和35年から道路建設が始まる。カツオが近所の家の収用に一人反対する。波平がなだめながら反対理由を聞くと、取り壊される家の軒下にツバメの巣があるので反対していることがわかる。
 乗車拒否  タクシーの近距離乗客を嫌う乗車拒否問題 漫画でも取り上げられた。寝てしまったタラオをかかえて、マスオはタクシーをひろおうとするが乗車拒否にあう。その中で一台が近距離でもOKという車に乗れてホッとするが、運転手の言うことには、「そのかわり、近く乗る人にゃ浪曲を聞いてもらうことにしてるんです」とうなりだす。タラオは起きて泣くし、下手な浪曲は聞かされるわ、さんざんのマスオ。
 ガガーリン  ガガーリン夫妻が来日、マスオも遠藤で出迎えた。「地球は青かった」 

歌謡曲
 いつでも夢を(吉永小百合、橋幸夫)
 霧子のタンゴ(フランク永井)
 高校三年生(舟木一夫)
 寒い朝(吉永小百合)
 下町の太陽(倍賞千恵子)
 星屑の街(三橋美智也)
 若いふたり(北原謙二)


[No.337] 昭和38年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/26(Sun) 18:23
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昭和38年

 木の電信柱  この頃はまだ木の電信柱の全盛時代だった。サザエとマスオが街を歩くと、矢で射抜かれたハートマークの下にマスオ、サザエと書かれた電柱を発見する。実は昔、婚約時代にハイキングに行って高原の木に彫り込んだものだが、その木が街中の電柱になっているのを発見するという話である。
 年末年始で前日から泊まりこみ  正月を故郷ですごすこと、これは都会へ出た地方出身者のささやかな幸せだったが、最も混雑する期間のため、席を取るのに前日から並ばなくてはならなかった。鉄道が整備され列車の本数が増え、駅の売券が自動化され、どの駅からも予約できるようになって、そんな光景も見られなくなった。
 焚き火  寒い季節になると「サザエさん」には焚き火をテーマにしたものがよく描かれている。小型の灯油缶に木切れや落ち葉を入れた焚き火が描かれている。
 ベンジン  ベンジンは、家庭でしみ抜き、シャツの襟のよごれなどを取るために使われた。「サザエさん」にも、サザエがワイシャツの襟のよごれをベンジンで取っている場面がある。
 電話が家庭に入る  磯野家に電話が入ったことを思わせる漫画は、ノリスケとマスオがバー「怪車」で遊ぶシーン。すっかり遅くなるが、マスオは「モシモシぼくだ。いま、かいしゃにいるんだがね」とサザエに電話する。サザエ「マー、ごくろうさま!」とだまされる。
 よその人についていっちゃ駄目  波平がワカメに、「よその人がオモチャをあげるといってもついていっちゃだめだよ」「おいしいおカシをあげるといってもだ!」と注意している。これは、この年に東京で四歳の村越吉展ちゃんが誘拐される事件が起こったからである。
 小さな親切運動  茅誠司東京大学総長が卒業式で提起した「小さな親切」は共感を呼ぶ。 磯野家でも、新聞配達の少年、牛乳配達のおじさんに、その都度「ありがとう」と声をかける。空巣が玄関から靴を盗もうとすると、奥から「どなた? ごくろうさま!」。それを聞いた空巣は靴をみがいてもどす。「おらァ気が弱くって、結局大成しないんだ」と言いつつ。 最近では「小さな親切、大きなお世話」という言葉もある。

歌謡曲
 哀愁出船(美空ひばり)
 恋のバカンス(ザ・ピーナッツ)
 出世街道(畠山みどり)
 島のブルース(三沢あけみ)
 長崎の女(春日八郎)
 新妻に捧げる歌(江利チエミ)


[No.344] 昭和39年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/27(Mon) 06:00
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昭和39年

 国民の中流意識  昭和59年の総理府の調査で、国民の90%が中流意識をもっていることがわかった。日本の近代社会では、1%に満たない上流階級と10%程度の中流を除いたら皆、下層階級あるいは極貧階級であった。したがって、中流階級というのはかなり豊かな階層であった。その意識は戦後もしばらく引き継がれ、高度経済成長期の昭和30年代に崩壊していくのではないだろうか。かくして中流意識が国民の間に広まっていく。
          サザエが新聞を持って近所のちょっとした金持ちそうな家に飛んでいく。その家の息子が新聞に載ったというのである。奥さんが出てくる。サザエが新聞を読み上げる。「恐喝をはたらいた高校生(A)は××会社重役の三男で、中流階級に育ちながら....」それを聞いた奥さん「まァひどい新聞社、訂正させるわッ!」「うちはれっきとした上流階級ざんす!」

 海外旅行自慢  この年から海外旅行が自由化された。この年渡航した人は約十二万人。現在(2002年)の年間千五百万人に比べたらごく少数の人たちだった。したがって、海外旅行が自慢できる時代がしばらく続く。海外旅行から帰った友人が毎晩やってきて自慢話をするので、うんざりするマスオとサザエを描いている。

 ジョニ黒  カツオが波平に「ジョニーウォーカーの黒があるよ」と言う。波平は驚喜してカツオについていく。庭の物置の中だ、と言われて波平は入っていく。カツオ、外から戸につっかえ棒をして簡単に監禁してしまう。カツオ曰く「こりゃ大人も気をつけないと、案外かんたんに誘拐されるぞ」    
         ジョニ黒は当時高級酒としてもてはやされた。日本では一本一万円近くなので、ロンドンでは千四百円で売られていることを海外旅行した長谷川町子は描いている。

 オリンピックメダル  東京オリンピックが開催された。それを記念するメタル・切手・タバコなどが売り出された。いずれも行列をつくるほどだった。
            「サザエさん」では、連日行列して記念品を購入するので、顔つきが終戦当時とそっくりと奥さんに言われた男が描かれている。

 不快指数  不快指数はアメリカで使われていた気象用語。昭和36年から気象庁は、湿度を示すのに体感温度と組み合わせて、不快指数として発表するようになる。80以上あると全員が不快を感じる。
       近所のいじわるバアさん風の人にサザエが年齢を聞くと八十三歳だという。マスオ「じゃ、今日の不快指数とおんなじだ!」バアさん、ひしゃくでマスオに水をぶっかける。サザエ「だからあなたは社交性がないっていうのよ}

歌謡曲
 夜明けのうた(岸洋子)
 ウナ・セラ・ディ東京(ザ・ピーナッツ)
 幸せなら手をたたこう(坂本九)
 アンコ椿は恋の花(都はるみ)
 お座敷小唄(松尾和子,和田弘とマヒナスターズ)
 智恵子抄(二代目コロムビア・ローズ)
 愛と死を見つめて(青山和子)


[No.345] 昭和40年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/27(Mon) 07:06
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昭和40年

 お手伝いさん求人難  磯野家の近所のお金持ちの奥さんが、サザエにお手伝いさんが見つけられなくて困っていると訴えている。テレビ付き個室を与えて月一万五千円、ボーナス年三ヶ月、夏冬の着物をこさえてあげ、週一回の稽古ごとOK、という条件でも見つからない。というのでサザエがやることになる。

 チンドン屋  「サザエさん」にもしばしば登場したが、昭和40年7月28日を最後に見られなくなる。商店の開店披露の仕方が新聞チラシや各戸への投げ込みチラシなどに変わっていったためだろう。

 パンとコーヒーの朝食  サザエの用意するパンとコーヒーにマスオが「けさは味噌汁で食いたかった」と不平をもらす漫画がある。

 商店街の一斉休日  明日遠足なのでワカメは一人で買い物に行くが、商店街は一斉休業。そこでワカメはご近所を回って必要なものをかき集める。そのたくましさにフネもサザエもびっくり。人手不足の時代、従業員を定着させるには開店時間を明確にし、休日を増やすことが必要だった。そのため、このころから月一回程度の一斉休業や夏休み数日間(よく「従業員慰安旅行のため」などと書かれていた)がとられた。

 チャンネル争い  現代では各人がテレビを持つ家も珍しくなくなって、チャンネル争いは少なくなったが、昭和40年代はまだ一家に一台の時代だった。カツオの友だちとその祖父がチャンネル争いをしている。あわやつかみ合いになりそうになって、カツオと家人が仲裁に入る。元気なおじいちゃんがもたらした夏休みの悲劇というところか。

 エッチ  「変態」「変質者」の頭文字をとって、いやらしい男を意味する隠語だったが、「サザエさん」にも登場する陽語になった。 Hは「エイチ」が正しいが、日本人は「エッチ」と発音してきたので、こういう俗語が生まれた。発音どおりに「あの人エイチね」だと英知にあふれる人になってしまうわけ。

歌謡曲
 愛して愛して愛しちゃったのよ (和田弘とマヒナ・スターズと田代美代子)
 さよならはダンスの後に (倍賞千恵子)
 まつのき小唄 (二宮ゆき子)
 柔 (美空ひばり)
 二人の世界 (石原裕次郎)
 夢みるシャンソン人形 (弘田三枝子)
 夏の日の思い出 (日野てる子)
 知りたくないの (菅原洋一)


[No.354] Re: 昭和40年/サザエさん パンとコーヒー 投稿者:   投稿日:2010/12/27(Mon) 21:14
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> 昭和40年

>  パンとコーヒーの朝食  サザエの用意するパンとコーヒーにマスオが「けさは味噌汁で食いたかった」と不平をもらす漫画がある。


パンとコーヒーの朝食といえば、名古屋の「モーニング」を思い出します(^-^)
いつごろから始まったのか知りませんが昭和40年代の初期にはもうありました

名古屋はなにしろ喫茶店が多い! 人口当たりで全国平均の3倍はあるそうです
出張して驚きました。朝出勤前に喫茶店へ行ってコーヒーを注文すると、お代り
放題のコーヒーに厚切りトースト、茹で卵、ミニサラダが黙って付いてきます。
これが普通です。その代わり名古屋は夜が早い。呑み助にはツライ街です(;_;)

マスオさんが名古屋へ出張したら、なんと言ったでしょうか(^-^)


    さんらく亭@甲子園


[No.355] Re: 昭和40年/サザエさん パンとコーヒー 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/27(Mon) 21:32
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さんらく亭さん

> パンとコーヒーの朝食といえば、名古屋の「モーニング」を思い出します(^-^)
> いつごろから始まったのか知りませんが昭和40年代の初期にはもうありました
>
> 名古屋はなにしろ喫茶店が多い! 人口当たりで全国平均の3倍はあるそうです
> 出張して驚きました。朝出勤前に喫茶店へ行ってコーヒーを注文すると、お代り
> 放題のコーヒーに厚切りトースト、茹で卵、ミニサラダが黙って付いてきます。

私はまだ名古屋のモーニングを体験したことがありません。
「手羽先」と「ひつまぶし」と「ういろう」と「きしめん」だけです。

こんど、えーさんに案内してもらいましょうか。


[No.347] Re: 昭和39年/サザエさん  ジョニ黒 投稿者:   投稿日:2010/12/27(Mon) 10:26
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> 昭和39年

>  ジョニ黒      
>          ジョニ黒は当時高級酒としてもてはやされた。日本では一本一万円近くなので、ロンドンでは千四百円で売られていることを海外旅行した長谷川町子は描いている。

大卒の初任給ぐらいの値段でしたが旨いとは思わなかったです。スコッチでも
オールドパーやバランタインやカティサークのほうが遥かに旨いと思いました。
何故、ジョニ黒が高級ウィスキーとして崇拝(という感じ)されたかというと
進駐軍の高級将校が好みで吉田茂から田中角栄にいたる政治家が進んで
これを持ち上げたという話があります。アメリカ迎合の現われでしょう
そういえばヤクザ映画にはジョニ黒が出てくる場面が多かったです(;_;)

長谷川町子さんの眼は鋭い!


         さんらく亭@甲子園


[No.348] Re: 昭和39年/サザエさん  ジョニ黒 投稿者:   投稿日:2010/12/27(Mon) 11:05
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さんらく亭さん   こんにちは

> >  ジョニ黒      
> 大卒の初任給ぐらいの値段でしたが旨いとは思わなかったです。スコッチでも
> オールドパーやバランタインやカティサークのほうが遥かに旨いと思いました。

私はオールドパーが好きです。
1981年にドイツへ行きましたが
スーパーでビールをかたはしから飲みました。 ノンアルコールのビールも(よく見るとアルコホルフライ(Alkoholfrei)と書いてあります。英語のアルコールフリーのことですが、アルコールフリーと言っても0.5%未満の微量のアルコールが含まれています)。

次にワインに挑戦しました。
ひと通り飲んでから、ウィスキーがあるのに気がつきました。
ジョニ黒も1500円くらいでした。
早速買って飲みましたが、1年いたドイツ生活で、とうとう半分飲み残し
捨ててきました。(もったいない)

> 何故、ジョニ黒が高級ウィスキーとして崇拝(という感じ)されたかというと
> 進駐軍の高級将校が好みで吉田茂から田中角栄にいたる政治家が進んで
> これを持ち上げたという話があります。

なんだか茅台酒みたいですね。
人気ブランドが先行しているだけ。 高すぎる。

> 長谷川町子さんの眼は鋭い!

彼女は頭がいいですから。


[No.349] Re: 昭和39年/サザエさん  ジョニ黒 投稿者:   投稿日:2010/12/27(Mon) 11:51
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男爵さん   こんにちは

> 私はオールドパーが好きです。

さすが男爵、お眼(舌?)が高い!

スペイサイドの蒸留所、グランダランとクラガンモアを原酒とする銘酒です。
敗戦後の拝米思想で迎合されたジョニ黒とちがって、明治の進歩的な先人は
自分の舌で選んでオールドパーを好んだそうです

因みにその名の由来の Mr.トーマス・パーは、ナント、80歳で初婚、2人の
子をもうけ、122歳で再婚、152歳で亡くなりました。
オールドパーを飲んで、あやかりたい(^_-)/


       さんらく亭@甲子園


[No.340] Re: 昭和36年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/26(Sun) 20:39
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自己フォローです。

> 昭和36年

> 歌謡曲
>  王将(村田英雄)

村田はこの曲で1962年の第4回日本レコード大賞特別賞を受賞した。
レコード売り上げ枚数は最終的には300万枚を超えた。
この曲のヒットにより、作詞者の西條八十、作曲者の船村徹、歌手の村田英雄は日本将棋連盟から名誉初段を授与された。

西條八十は、これは阪田三吉がモデルであるが
「愚痴も言わずに 女房の小春 つくる笑顔が いじらしい」の一節は
自分の妻のことを歌ったのだと自伝に書いている。

>  川は流れる(仲宗根美樹)

この歌を聞くと、札幌創成川を思い出す。

>  北上夜曲(和田弘とマヒナ・スターズ&多摩幸子)

ダーク・ダックスが盛岡公演をしたとき
母校の卒業生たちが、千鳥という料亭に集まってくれた。
そこで、仲居さんたちが歌うのを聞いたのが北上夜曲だった。
東京に帰ってから、北上夜曲を発表したら、作詞者と作曲者が見つかった。
  作詞者は岩手県江刺市(現在の奥州市)出身の菊地規(のりみ)、作曲者は岩手県種市町(現在の洋野町)出身の安藤睦夫であった。
  作詞者の菊地規は、水沢農学校在学中に詩作をしたり、友人たちと同人誌を発行するなど創作活動をしていた。
  当時、水沢農学校には安藤という配属将校がいて、菊地規と安藤とは同じ下宿に住んでいた。
  この将校が安藤睦夫の叔父にあたる。
  旧制八戸中学の生徒であった睦夫は、叔父の下宿を訪れて規と出会い、二人は意気投合した。
   というわけで、二人が北上夜曲をつくったのである。

昭和36年といえば
「山のロザリア」がある。
ロシアの曲に丘灯至夫(おか・としお)が作詞したもの。
昭和31年(1956)に「牧場のロザリア」の題名で売り出したが、さっぱり売れなかった。そのときは織井茂子が歌っていた。
昭和36年(1961)になって、歌声喫茶から歌われ始め、ヒットの兆しがあったので、「山のロザリア」と改題し、スリー・グレイセスの歌で売り出したら、ヒットした。

「南国土佐を後にして」も
昭和33年暮れ、NHK高知放送局の開局を記念して、「歌の広場」が放送され
そのなかでペギー葉山が歌った「南国土佐を後にして」が大反響を呼び、ヒット曲となったのであるが
その3年ほど前、鈴木三重子の民謡調のレコードが出ていて、ほとんど話題にならなかった。

「矢切の渡し」も
1978年に、ちあきなおみが「酒場川」のB面曲として発売したが、あまり売れなかった。
1983年に、細川たかしがカヴァー版を出したらヒットして、「日本レコード大賞」を受賞した。
  ある人は、ちあきなおみは真面目に歌うから暗くて、主人公の駆け落ち二人はそのうち心中してしまうのではないかという気にさせられるのに対して
細川たかしのほうは明るくどこかノー天気の感じがして、川を渡った二人はどこかできっと幸せに暮らしているのではないかと思わせるところがあるからヒットしたのだろうと分析する。

同じ歌でも歌手により、そのときの世の中の状況によって
歌は印象が違うのだろうか。


[No.334] Re: 昭和35年/サザエさん 電気炊飯器 投稿者:   投稿日:2010/12/26(Sun) 11:19
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> 昭和35年
>
>おひつ  この年の漫画では、磯野家の食卓におひつが見られる最後のシーンである。
>炊飯と保温を可能にした電気炊飯器の登場で、おひつは不要のものになってしまった。

「ふご」におひつを入れると保温になりましたね
電気炊飯器と電気洗濯機とはどちらが早かったんですかねぇ?

独身寮のころ寮生15人ぐらい居たのに会社がケチで電気洗濯機を1台しか入れてくれず日曜日は洗濯機の順番待ちでした。そのころのは洗濯物を放り込んだら洗ってくれるだけで脱水は手で絞って手回しでローラーにかけてスルメみたいになったのを取り出して干しに行くので大仕事でした
今の全自動乾燥機付きのを見ると天と地の差ですね

冷蔵庫や洗濯機や掃除機や炊飯器にイチイチ「電気」という枕詞をつけなくなったのはいつごろからでしょうか

中国からの観光客の一番の人気お土産は炊飯器だそうです


        さんらく亭@甲子園


[No.335] Re: 昭和35年/サザエさん 電気炊飯器 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/26(Sun) 14:45
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さんらく亭さん

> 電気炊飯器と電気洗濯機とはどちらが早かったんですかねぇ?

洗濯機はアメリカから入ってきたんだし、電気炊飯器は日本の発明だと思います。

ネットで調べると
・最初に実用的な電気炊飯器を発明したのは、東京の町工場「光伸社」
・1955(昭和30)年に自動式電気釜という名で東芝から製品化されたときには、バイメタル技術を利用して自動式で電源OFFにする機能である。さらに、自動的に電源ONになるタイマーも別途併売された。これらにより、電源のON・OFFが自動化された。
 (東芝内では製品化する際、「寝ている間に米を炊こうなどという女と結婚したいのか」と製品化に反対の声もあった)
・象印マホービンが1965(昭和40)年に半導体による電子制御の保温機能を備えた電子ジャーを発売。
・三菱電機が1967(昭和42)年に保温機能を備えた炊飯器を発売する。

なお
電気式洗濯機は1908年、アメリカで発明され、
日本国産第一号は1930年に東芝の前身である芝浦製作所から販売された。
その後、1953(昭和28)年に三洋電機から現在の洗濯機の原点とも言える噴流式洗濯機が低価格で発売された。


[No.322] 昭和33年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/25(Sat) 06:06
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昭和33年

 デパートのエスカレーター嬢  デパート全盛時代のぜいたくは、エレベーター・ガールやエスカレーターの乗り口に案内女性を置いたことである。やがてデパート不況で経営の合理化を迫られ、エスカレーター嬢は消え、エレベーターも自動運転となる。
 鬼のサイレン  浅草などの盛り場にあった「鬼のサイレン」、的に玉を当てると鬼が大きな音を立ててうなる。学校から帰る途中のワカメが突然の雷雨にあい、雷におヘソを取られるのではとあわてて近くの店に飛び込むが、そこが鬼のサイレン屋、またまた逃げ出す。
 不二家のペコちゃん  ペコちゃん人形は、頭を押すと首を振った。サザエとタラちゃんがそれを試して楽しんでいる。キャラクターの人形を作るのは日本独特の文化だと言われる。KFCの創業者カーネルおじさんの像もそういえば中国では見かけなかった。
 聖徳太子の一万円札  大卒の初任給が一万円台前半の時代だったから、一万円札は庶民が日常使うものではなかった?
 大掃除の畳たたき  現代の都会で大掃除の畳たたきが見られなくなったのは、畳を出して立てかけられるような広いスペースがないこと(道路は車が多くてダメ)、電気掃除機が普及して、畳をクリーンにできるようになったことなどが考えられる。
 ゴムひもパチンコ  カツオが近所の家の柿を射落とすのにゴムひもパチンコを使い、見事に成功している。
 電気ストーブ  暮れに電気ストーブを購入、ワカメが「もう炭もタドンもいらないの?」と聞いている。サザエは「もちろん」と答えている。磯野家もついに火鉢の生活から脱却。
 サックドレス  紙袋を着ているようなワンピースが大流行し、サックドレスと呼ばれた。近所の奥さんと話すサザエ、サックドレスの女性が通ると、そのドレスの話に花が咲く。
 フラフープ  硬質ポリエチレン製・直径九十センチの輪。東京のデパートで売り出されて大ブームを起こす。警視庁は道路で熱中して交通事故にあわないよう、全国の警察に指導。しかし、腸捻転など体調をくずすことが広まって年末にはブームが去っていく。
 月光仮面  テレビ化され、風呂敷を首に巻いて高い所から飛び降りたりする子どもが増えて、社会問題化するほどだった。月光仮面の像は原作者ゆかりの函館にある。


[No.323] 昭和34年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/25(Sat) 07:20
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昭和34年

 マイカー  自動車のセールスマンが磯野家をたずね、サザエにカタログを見せながら、「いかがですか、白ナンバーを一台」とすすめる。サザエは説明を聞きながら夢見ごこちになる。その顔を見たセールスマン「だめだ、まだ現実の段階じゃない」と言って引きあげる。白ナンバーは自家用車として認可された車の白地のナンバープレート、そこから自家用車(マイカー)を意味する。
 防火用水  街角の防火用水にはった氷を、ワカメと友だちが取り出して地面に大きな腕時計をつくる。
 ホウキのまじない  ホウキのてっぺんに手ぬぐいをかぶせたり、ホウキに手ぬぐいでほおかむりをさせるまじないは長居する客が早々に退散することに効くといわれた。座敷ボウキの見られなくなった今日では子どももホウキのまじないは知らないだろう。
 家での餅つき  この年の暮れが磯野家の家での餅つきシーンの最後だった。景気が良くなり餅つきの習慣は都会の家々から消えていった。昭和41年に家庭用自動餅つき器が登場するとベストセラー商品となり、日常生活の中でつきたての餅が食べられるようになり、餅の季節感がなくなっていった。
 大根足  畳生活ですわることが多かった昔の女性は足腰が強く、サザエも例外ではなかった。サザエがその足を見せてカツオに大根を買いにいかせる話があった。
 指切りげんまん  ワカメが来客のおじさんに「おじちゃん、ゆっくりしていってね。きっとよ、指切りげんまん」と言っている。それが原因で長居されて困っているフネ。
 週刊誌時代  この年に創刊した週刊誌は「少年マガジン」「少年サンデー」「週刊現代」「週刊文春」「週刊平凡」「朝日ジャーナル」「漫画サンデー」など十七誌。
 パーキングメーター  都庁前にわが国初のパーキングメーターが設置された。十五分十円だった。波平はパーキングメーターを見て「アメリカなみになったなぁ」と感心するが、駐車中の車の中に肥たご車があるのでビックリ。
 タロー・ジロー  南極の昭和基地に一年間置き去りにされた十五頭の樺太犬のうち二頭だけが生き残り無事日本に帰ってきた。飲み屋の客に女店主が「今度は必ずかえしてくださいよ」と頼んでいる。マスオが「よっぽど飲み代の貸しがあるのかい」と聞くと、女店主が「いーえ、生き残ったタローとジローのことよ。あの人、南極本部の人だもの」と答える。


[No.328] Re: 昭和34年/サザエさん 週刊誌 投稿者:   投稿日:2010/12/25(Sat) 21:15
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> 昭和34年

>  週刊誌時代  この年に創刊した週刊誌は「少年マガジン」「少年サンデー」「週刊現代」「週刊文春」「週刊平凡」「朝日ジャーナル」「漫画サンデー」など十七誌。


そのころ東京で独身寮生活でした
出版社系の週刊誌が出始めたときで30円でした
新聞社系の週刊誌(朝日、毎日、読売など)に比べて独自の切り口で斬新な記事で
よく読んでいました

かけ蕎麦・もり蕎麦もほぼ同じでした(ざる蕎麦は高い)
銭湯が15円、散髪代(シャンプーなし)とロードショーの映画館が150円だった
と記憶しています

週刊誌はなるべく立ち読みで散髪も節約して日比谷や新宿の映画館へ通いました。
銭湯がもり蕎麦の半分、散髪は銭湯の約10倍というのが常識でした

これらのバランスに比べると今は散髪代が高いですね。
ヘアカットだけで1000円というところを愛用しています
週刊誌もどれも似たような記事で個性がなくつまらなくなりました(;_;)


      さんらく亭@甲子園


[No.329] Re: 昭和34年/サザエさん 週刊誌 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/25(Sat) 21:45
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> かけ蕎麦・もり蕎麦もほぼ同じでした(ざる蕎麦は高い)
> 銭湯が15円、散髪代(シャンプーなし)とロードショーの映画館が150円だった
> と記憶しています

> これらのバランスに比べると今は散髪代が高いですね。
> ヘアカットだけで1000円というところを愛用しています

いま銭湯はいくらか
大人300円と思ったら ネットで調べると450円と出ました。

さんらく亭さん
貴重な物価情報をありがとうございました。
 多 謝