昭和39年
国民の中流意識 昭和59年の総理府の調査で、国民の90%が中流意識をもっていることがわかった。日本の近代社会では、1%に満たない上流階級と10%程度の中流を除いたら皆、下層階級あるいは極貧階級であった。したがって、中流階級というのはかなり豊かな階層であった。その意識は戦後もしばらく引き継がれ、高度経済成長期の昭和30年代に崩壊していくのではないだろうか。かくして中流意識が国民の間に広まっていく。 サザエが新聞を持って近所のちょっとした金持ちそうな家に飛んでいく。その家の息子が新聞に載ったというのである。奥さんが出てくる。サザエが新聞を読み上げる。「恐喝をはたらいた高校生(A)は××会社重役の三男で、中流階級に育ちながら....」それを聞いた奥さん「まァひどい新聞社、訂正させるわッ!」「うちはれっきとした上流階級ざんす!」
海外旅行自慢 この年から海外旅行が自由化された。この年渡航した人は約十二万人。現在(2002年)の年間千五百万人に比べたらごく少数の人たちだった。したがって、海外旅行が自慢できる時代がしばらく続く。海外旅行から帰った友人が毎晩やってきて自慢話をするので、うんざりするマスオとサザエを描いている。
ジョニ黒 カツオが波平に「ジョニーウォーカーの黒があるよ」と言う。波平は驚喜してカツオについていく。庭の物置の中だ、と言われて波平は入っていく。カツオ、外から戸につっかえ棒をして簡単に監禁してしまう。カツオ曰く「こりゃ大人も気をつけないと、案外かんたんに誘拐されるぞ」 ジョニ黒は当時高級酒としてもてはやされた。日本では一本一万円近くなので、ロンドンでは千四百円で売られていることを海外旅行した長谷川町子は描いている。
オリンピックメダル 東京オリンピックが開催された。それを記念するメタル・切手・タバコなどが売り出された。いずれも行列をつくるほどだった。 「サザエさん」では、連日行列して記念品を購入するので、顔つきが終戦当時とそっくりと奥さんに言われた男が描かれている。
不快指数 不快指数はアメリカで使われていた気象用語。昭和36年から気象庁は、湿度を示すのに体感温度と組み合わせて、不快指数として発表するようになる。80以上あると全員が不快を感じる。 近所のいじわるバアさん風の人にサザエが年齢を聞くと八十三歳だという。マスオ「じゃ、今日の不快指数とおんなじだ!」バアさん、ひしゃくでマスオに水をぶっかける。サザエ「だからあなたは社交性がないっていうのよ}
歌謡曲 夜明けのうた(岸洋子) ウナ・セラ・ディ東京(ザ・ピーナッツ) 幸せなら手をたたこう(坂本九) アンコ椿は恋の花(都はるみ) お座敷小唄(松尾和子,和田弘とマヒナスターズ) 智恵子抄(二代目コロムビア・ローズ) 愛と死を見つめて(青山和子)
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