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[No.7831] ハイネについて思う 投稿者:男爵   投稿日:2017/03/30(Thu) 05:32
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与謝野 鉄幹の「人を恋うる歌」に歌われるハイネ
...バイロン ハイネの熱なきも ....
https://www.youtube.com/watch?v=iZawJIPucBY

https://www.youtube.com/watch?v=_MezGlXkIbk

ハイネの詩は世界中に愛唱されている。

ユダヤ人だったハイネは
ハンブルクの伯父の銀行で働くが
伯父の目から無能な青年とうつったらしく
伯父の娘たち(従姉妹たち)からも軽蔑される。

でも、彼女たちに恋したハイネは(姉にも、つづいて妹にも)
つれなくされて、その結果できた失恋の詩集が
今も世界中に愛されている。

なんとも皮肉なことだが
島崎藤村の「初恋」も
実は失恋の歌なのだが、若い人が恋に憧れる歌として
もてはやされている。

  まだあげ初めし前髪の
  林檎のもとに見えしとき
  前にさしたる花櫛の
  花ある君と思ひけり

このことは藤村自身も、あきれている。

思うに、恋が実って、楽しいときにつくった詩よりも
失恋の悲しみでつくった詩のほうが、感動的になるものだろうか。

ハイネはキリスト教に改宗する。
 ユダヤ教徒では弁護士になれないから。
しかし、ユダヤ人からは背教者と見られ
キリスト教徒からは、依然としてユダヤ教徒と見られた。


啄木もハイネに憧れたようだが、あまりハイネの影響は見られないようだ。

ただ、ものの本によると
ハイネは「....文学は私にとっていつも神聖なおもちゃ
であった...私は詩人の名声に大きな価値を
置かなかった。...」といったとか。

ハイネは人間解放戦争で戦う自分をイメージしていたようです。

啄木が「歌は私の玩具である」と言って
「悲しき玩具」を残したわけですが
これは偶然ハイネとの一致だったのでしょう。


[No.7833] Re: ハイネについて思う 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/03/30(Thu) 15:55
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Re: ハイネについて思う
画像サイズ: 490×389 (75kB)
男爵さん、みなさん、こんにちは。

 ハイネというと、あっしには思い出すことがある。じつは今、拠無い事情があって、終活中であるが、蔵書の整理で、つい昨日、ハイネの訳詩集を出してしまった。

 しかし、原書のBuch der Liederだけはたとえ、ピストルで脅されても絶対にどこへも出さない。

 ところで、学生時代、英語の先生はチョット変わった方で、英語の担当なのに授業中にこのドイツ語の詩、春の来た喜びを素直に歌った『美しき五月に』を教えてくださった。大昔のことなので出だしのところしか覚えていない。あっしらの頃は、ドイツ語はすべて髯文字だった。今手元にあるのは、だいぶ時がたってから手に入れたもので、茶色の表紙の、いわゆるレクラム文庫だ。日本の岩波文庫は、これをそっくり真似た。今ではドイツでも、ひげ文字のレクラム文庫はどこへ行っても、売っていない。実は、この本については、もうひとつ、思い出がまつわりついている。

 それは、本に貼ってある小さなシールで、東京泰文堂と書いてある。これはその本を売った古書店の名前で、もうこの店主は、とっくに店をたたんで神保町にそう云う屋号を持った店はない。店主も相当昔に、他界されたはずだ。本には最後尾に、もう一枚シールが貼ってあり、それには渋谷道玄坂、近藤書店と記されている。

 つまり、泰文堂が店じまいした時、近藤書店が残りものを買い取ったものの一部なのだろう。そこで、先生の教えて下さった詩を探そうとしたが、同書は200ページ以上もあるうえ、例のひげ文字で、捜索は困難を極めた。ひとつには、この詩というのが、鉄道唱歌ではないが、何と65番まである。このフレーズは、その内の1番なのだが、その前に、長いプロローグがついている。もちろん、巻末に字引が付いているが、このプロローグの出だしを知らなければ、マッタク役に立たない。

 ちなみに、この詩集には、日本人なら誰でも知っている「ローレライ」も収録されている。字引の該当箇所を見ると、元の持ち主が出だしのIch weiss nicht,was soll es 93(ぺージ)のところに、鉛筆で、しっかり印をつけていた。ローレライは、「歌の本」の中でも、」帰郷(Die Heimkehr)という詩集の中に出て来る。

あっしも、暇に任せて、この文庫をあれこれ探索してみたが、たしかに、詩の出だしさえきちんと覚えていれば、慣れた人には、うろ覚えの詩句を探し出すのは、それほど困難なことではないのだろうと思う。  終わり


[No.7836] Re: ハイネについて思う 投稿者:男爵   投稿日:2017/03/30(Thu) 16:38
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唐辛子紋次郎さん、みなさん、こんにちは。

>  ところで、学生時代、英語の先生はチョット変わった方で、英語の担当なのに授業中にこのドイツ語の詩、春の来た喜びを素直に歌った『美しき五月に』を教えてくださった。大昔のことなので出だしのところしか覚えていない。あっしらの頃は、ドイツ語はすべて髯文字だった。

今でもドイツ語の先生たちは、ヒゲ文字を読めます。書けます。
ヒトラーが廃止したヒゲ文字。
 だからドイツ人の若者が、日本人のゲルマニストがヒゲ文字を読み書きするのを見て、感心するそうです。

さて
啄木は金田一京助の助けで
ドイツ語の独修をはじめたのです。

そのころの日記にも「アーベーツェーを習ひ初めて未だ二十日ならざるに、
予は既にハイネ、シルレルの詩を十数篇読んだ。
今は専心ハイネの『ブック デル リーデル』を辞書片手にひもといて居る」
と書いているそうです。

啄木は、しかし
この『Buch der Lieder [ブーフ デァ リーダー]歌の本』も最後までは読まなか
ったようです。
まあ、啄木に対するハイネの直接の影響はなかったと思います。

>....実は、この本については、もうひとつ、思い出がまつわりついている。

>  それは、本に貼ってある小さなシールで、東京泰文堂と書いてある。これはその本を売った古書店の名前で、もうこの店主は、とっくに店をたたんで神保町にそう云う屋号を持った店はない。店主も相当昔に、他界されたはずだ。本には最後尾に、もう一枚シールが貼ってあり、それには渋谷道玄坂、近藤書店と記されている。

とても貴重な本ですね。

>  ちなみに、この詩集には、日本人なら誰でも知っている「ローレライ」も収録されている。字引の該当箇所を見ると、元の持ち主が出だしのIch weiss nicht,was soll es 93(ぺージ)のところに、鉛筆で、しっかり印をつけていた。ローレライは、「歌の本」の中でも、帰郷(Die Heimkehr)という詩集の中に出て来る。

 日本人にとってハイネは「ローレライ」ですね。
http://www.geocities.jp/lune_monogatari/lorelei.html


Im wunderschönen Monat Mai (美しい五月には)
http://www.d-score.com/ar/A03071701.html

https://www.youtube.com/watch?v=_j-_Jb9HSMs


[No.7838] Re: ハイネについて思う 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/03/30(Thu) 23:16
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男爵さん、みなさん、

> 今でもドイツ語の先生たちは、ヒゲ文字を読めます。書けます。
> ヒトラーが廃止したヒゲ文字。
>  だからドイツ人の若者が、日本人のゲルマニストがヒゲ文字を読み書きするのを見て、感心するそうです。

 このひげ文字ですが、Sとfの小文字がほとんど同じなのです。かれらは母国語なので、平気なのでしょうが、外国人、とくに初心者はfかsかと迷い、苦労したと思います。違いは、短い横棒があるかないかだけなので、終戦直後など、紙がまだざら紙の場合は、fの横棒が消えたりすると、sにみえたりするので、大弱りだったと思います。当時は、印刷インクも、薄かったりしていたように思います。ところで、

 この本のもとの持ち主は「美しき五月」と「ローレライ」の二つだけに鉛筆で印をつけていますが、本は200ページもあるのですから、その人は、特別詩に詳しいひとでなく、
たまたま知っているのが、この二つだったのでしょう。

 まあ、あっしだって、ショウジキ、この人とどっこいどっこいなのですが、実はほかにも有名な詩は載っているのです。たとえば「歌の翼に」というのがありますが、これにはメンデルスゾーンが曲をつけています。日本のコンサートなどでも、よく歌われています。「歌の翼」は、このレクラム文庫では66ページ、「美しき五月」からだと3ページ目に出ています。

 あっしの蔵書「やさしく歌えるドイツ語の歌」(田辺秀樹著NHK出版)だと、もう巻頭に出て来ます。

> そのころの日記にも「アーベーツェーを習ひ初めて未だ二十日ならざるに、
> 予は既にハイネ、シルレルの詩を十数篇読んだ。
> 今は専心ハイネの『ブック デル リーデル』を辞書片手にひもといて居る」
> と書いているそうです。

 あっしがいつもフシギに思うのは、定冠詞のderを、関口存男さんはその著書で、デルと振り仮名を振っていました。aberはアーベルです。啄木のLiederもリーデルです。

 しかし、ラジオやテレビで、実際にドイツ人の発音を聞くと、あっしには、デルはデア、アーベルはアーバーと聞こえます。どうして先人にはそう聞こえたのでしょう。

 鴎外もドイツでは、通訳までやったと云いますが、その発音はかなり酷かったのではないでしょうか。


[No.7877] Re: ハイネについて思う 投稿者:男爵   投稿日:2017/05/25(Thu) 19:57
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唐辛子紋次郎さん、みなさん、

> > そのころの日記にも「アーベーツェーを習ひ初めて未だ二十日ならざるに、
> > 予は既にハイネ、シルレルの詩を十数篇読んだ。
> > 今は専心ハイネの『ブック デル リーデル』を辞書片手にひもといて居る」
> > と書いているそうです。

>  あっしがいつもフシギに思うのは、定冠詞のderを、関口存男さんはその著書で、デルと振り仮名を振っていました。aberはアーベルです。啄木のLiederもリーデルです。

>  しかし、ラジオやテレビで、実際にドイツ人の発音を聞くと、あっしには、デルはデア、アーベルはアーバーと聞こえます。どうして先人にはそう聞こえたのでしょう。

私の経験では
アーベルもアーバーもありました。

ドイツ語学校で聞いたのは
数で20のことを zwanzig と言いますが
ツヴァンツィク ともいうし ツヴァンツィッヒ ともいう
のだそうです。
(ハイデルベルクはハイデルベルヒともいいますね  太宰治「老ハイデルベルヒ」)

私というのを 人によって、イッヒと言ったり、イッシと言うのを聞きました。

話は変わりますが
ドイツ人が、キーナ、チーナ、ヒーナと言うのを聞いて
Chinaを英語読みにしてチャイナという我々日本人は
シナ 支那 を使いませんが
使ってもいいのではないかと思いました。

  支那そば は現存する。

そもそも、戦時中に蒋介石から 支那は使わないでくれと申し込まれたそうです。

日本に支那を使うなというなら、欧米にも Chinaを使わないでくれというべきではないか
そう気がついたのでした。

日本人研究者の中には、いまも、シナという言葉を使っていますが
差別用語ではなく、歴史的伝統からきている言葉と考えてもよいのではないでしょうか。

支那は秦からきた言葉だと記憶しています。


[No.7835] Re: ハイネについて思う 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/03/30(Thu) 16:34
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Re: ハイネについて思う
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  70年くらい前、先生が、教室で教えて下さったのは、右ページの鉛筆で囲ったところです。あるいは、もっと先までだったかも。そうでしょう。こんなに短い筈はない。ケッコウ覚えるのがタイヘンだった様な気もします。