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[No.7877] Re: ハイネについて思う 投稿者:男爵   投稿日:2017/05/25(Thu) 19:57
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唐辛子紋次郎さん、みなさん、

> > そのころの日記にも「アーベーツェーを習ひ初めて未だ二十日ならざるに、
> > 予は既にハイネ、シルレルの詩を十数篇読んだ。
> > 今は専心ハイネの『ブック デル リーデル』を辞書片手にひもといて居る」
> > と書いているそうです。

>  あっしがいつもフシギに思うのは、定冠詞のderを、関口存男さんはその著書で、デルと振り仮名を振っていました。aberはアーベルです。啄木のLiederもリーデルです。

>  しかし、ラジオやテレビで、実際にドイツ人の発音を聞くと、あっしには、デルはデア、アーベルはアーバーと聞こえます。どうして先人にはそう聞こえたのでしょう。

私の経験では
アーベルもアーバーもありました。

ドイツ語学校で聞いたのは
数で20のことを zwanzig と言いますが
ツヴァンツィク ともいうし ツヴァンツィッヒ ともいう
のだそうです。
(ハイデルベルクはハイデルベルヒともいいますね  太宰治「老ハイデルベルヒ」)

私というのを 人によって、イッヒと言ったり、イッシと言うのを聞きました。

話は変わりますが
ドイツ人が、キーナ、チーナ、ヒーナと言うのを聞いて
Chinaを英語読みにしてチャイナという我々日本人は
シナ 支那 を使いませんが
使ってもいいのではないかと思いました。

  支那そば は現存する。

そもそも、戦時中に蒋介石から 支那は使わないでくれと申し込まれたそうです。

日本に支那を使うなというなら、欧米にも Chinaを使わないでくれというべきではないか
そう気がついたのでした。

日本人研究者の中には、いまも、シナという言葉を使っていますが
差別用語ではなく、歴史的伝統からきている言葉と考えてもよいのではないでしょうか。

支那は秦からきた言葉だと記憶しています。


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