ペットはもちろん、動物園の動物や野生の動物等、
さまざまな動物との出会い・ふれあいについておしゃべりしましょう。
|
[No.41]
渋谷駅の忠犬ハチ公
投稿者:男爵
投稿日:2013/03/05(Tue) 19:44
[関連記事] |
画像サイズ: 398×560 (46kB)忠犬ハチ公です。
渋谷駅は駅を中心に360度
町が広がっているから苦手です。
もっとも
池袋駅も新宿駅も大阪梅田駅も360度町が広がっているから
苦手です。
[No.40]
Re: 招集されたポチ
投稿者:桐子
投稿日:2013/03/05(Tue) 10:39
[関連記事] URL:http://http://homepage3.nifty.com/kiriko/ |
夏子さん、こんにちは。
> > 村では、「犬を買う」という発想はなく、犬は拾ってくるか
> > 貰ってくるものでした。
>
> そうでしたそうでした。我が家のポチも、いつの間にか居ついたのではないかな。
> とてもおとなしい可愛い犬でした。
私は進学のため東京に出て、初めて「血統正しき犬種」を
しりましたが、うちのポチほどハンサムとは思いませんでした。
> 実は、私もまやさんがおっしゃったように、桐子さんの
> ポチは食糧にされてしまったんじゃないかと、ふと考えてしまいました。
あぁ矢張り・・・。
でも何処かの新兵さんの命を救ったのならわかりますが、
もしかした、古参上等兵の胃袋を満たしただけかもと、
寂しさが募ります。
> 我が家のポチも、可愛そうな最後でした。当時は、犬を鎖につないで散歩させる、という
> ような飼い方をしている家は、ほとんどありませんでした。ポチも同様でした。
そうでしたね。
放し飼が多かったです。
うちでもそうでした。
物置の軒下、陽だまりに寝転んでいて、私が傍によると嬉しそうに
身をよじって歓迎してくれました。
> ある日、家の前で、犬殺し(と言っていましたが、ほんとは何と言うのか)に捕獲
> されてしまいました。
>
> 針金のようなもので首をひっかけたような覚えがあります。子どもたちの訴えに叔父が急いで
> 出てきて、飼い犬だから返してくれるように頼みましたが、すでに、致命傷を受けて
> いたようで、首を振りながら、もう駄目だ、と帰ってきました。
「犬殺し」・・・、これは私の村にもやってきました。
役場に委嘱されて、イヤイヤながらの仕事だったのでしょうが、
手ぶらで帰る訳にもいかず、必ず2,3匹は捕まえられました。
今はみなさん、放し飼いはなさいませんね。
散歩の途中、引綱を引っ張って飼い主を先導するポチ達に
毎日出会います。
隠居所では動物はご法度。
寂しく思います。
〜・〜・〜
桐子
〜・〜・〜
[No.39]
Re: 招集されたポチ
投稿者:桐子
投稿日:2013/03/05(Tue) 10:14
[関連記事] URL:http://http://homepage3.nifty.com/kiriko/ |
まやさん、こんにちは。
> 桐子さんがどんなお気持ちだったか、わかるような気がします。
> 私の家では犬を飼っていませんでしたが、私が可愛がっていた隣家
> の犬が同様の運命に・・・
あぁ、まやさんも経験がお有だったのですね。
> ジャックといったその犬と一緒の写真は今も私のアルバムにありま
> すが、悲しい思い出ですね。大人たちの噂話では「兵隊さんたちの防
> 寒具というのは口実で、食糧になるのだというのが当時のもっぱらの
> 噂(裏話)でした。
「兵隊さんたちの防寒具というのは口実で、食糧になるのだ」
これは知りませんでした。
酷いことですね!
40歳近い一家の大黒柱も令状1枚で召集され、終戦直前の沖縄戦で
戦死なさった家族が身近におります。
遺骨(?)を老いた母親が抱いて、葬式を拒んだそうです。
何故なら遺骨の代わりに「ご遺骨」という紙切れ1枚が
入っていただけで、骨なんて無かったそうですから。
母親は何年も何年も息子の帰りを待ち続けたそうです。
〜・〜・〜
桐子
〜・〜・^
[No.38]
Re: 招集されたポチ
投稿者:桐子
投稿日:2013/03/05(Tue) 10:00
[関連記事] URL:http://http://homepage3.nifty.com/kiriko/ |
ろろさん、こんにちは。
> 犬に召集令状が来たというお話、初めて知りました。
> そうですね、戦場で犬も活躍していたのですね。シェパードでしょうか?
うちのポチは雑種でシェパードではありません。
召集令状と申し上げましたが、扼殺されるため役場に
集められたのです。
嫌も応もなく強制的でした。
戦争は怖ろしい。
それが子供心に、強烈に刻み込まれました!
〜・〜・〜
桐子
〜・〜・〜
ろろ
[No.37]
Re: 招集されたポチ
投稿者:桐子
投稿日:2013/03/05(Tue) 09:52
[関連記事] URL:http://http://homepage3.nifty.com/kiriko/ |
男爵さん、こんにちは。
> こういう話は聞いたことがありましたが
> 当事者の話を聞いたのは、初めてです。
そうでしたか・・・。
私の人生のなかで、最初に出会った「悲しい事件」
でしたから、当時の記憶は今もって鮮明です。
> 動物園でゾウが飢え死にしたのは有名ですが
> ここまでくると、当時の日本の悲惨なことが実感できます。
私の所では、庭木の松に傷をつけて、差し込んだ缶に松脂を
溜め、供出させられました。
こうして集荷した松脂で、最後の決戦用燃料とするという
村役場からの通知でした。
〜・〜・〜
桐子
〜・〜・〜
[No.36]
わが最良の友 動物たち
投稿者:男爵
投稿日:2013/03/05(Tue) 08:16
[関連記事] |
遠藤周作:わが最良の友 動物たち
作家の遠藤周作は動物好き。
犬、猫、猿、九官鳥、家鴨まで飼ったようです。
遠藤文学の原点、動物を飼う意味を妻の口から語っているのが下記の文章です。
....
ことに犬に対しては特別の感情があったようです。
この本にも出てきますが、大連時代に飼っていたクロに対する贖罪の気持ちは、彼の小説の原点の一つになっていただけではなく、一生を通じて犬を飼うときの基本姿勢になっていたと思います。
両親の間にできた溝が修正不可能となった頃、二人の言い争いを聞くのが辛くて、小学生だった主人はクロを連れて夜の公園に避難したといいます。クロに話しかける幼い周作の辛い気持ちをクロは完全にわかっていたと主人は後になって書いています。
いよいよ両親は離婚と決まり、幼かった主人も辛い選択を迫られました。母や兄と内地へ帰るかクロと一緒にいたければ父と大連に残るか二つに一つです。
周作はクロを連れてゆきたいと泣いて頼んだそうですが、離婚して内地へ帰ってからの生活のめども立たない母にとってクロまで連れて帰る余裕はありません。クロと大連に残れば新しい女性を母と呼ぶことになります。
それは十歳の少年には耐えられぬことでしたでしょう。そのことを今日はクロに話そう、今日は告げようと思いながら言い出せないでいる内にとうとう別れの当日になりました。
後はこの本の中に出てくる主人の文章でお読み頂いたほうが主人の気持ちが読者の皆様にも通じると思いますが、そのとき馬車を追っかけるのを諦めて立ち止まり、どうしてそんなひどいことができるのだ? と悲しそうに自分を見つめていたクロの顔を忘れられないと、私が嫁にきてからすぐの頃、苦しげに話してくれたことがありました。
「自分の弱さと生活上の理由のために、俺のことを一番信頼してくれていたクロを裏切ってしまった」という悲しさは生涯主人につきまとっていたようです。
以来どんな犬を飼っても、どんな名前をつけても、それはクロにできなかったことを、代わりにその時飼っている犬にしてやって、せめてもの償いにしているといった雰囲気が濃厚でした。
.....
[No.35]
Re: 鶏 飼ってました。
投稿者:オアシス
投稿日:2013/03/04(Mon) 21:27
[関連記事] |
夏子さん、こんばんは。
数えで14、5歳ですよ。
>
> え?旧制中学の2年生って、年齢はいくつ?
> 10代半ばまで行くか行かずか、という年頃でしょうか?
>
> 頑張られたんですねぇ。その頃のご自分を思い出すと、愛おしくなることでしょう!
父が早逝し、お嬢さん育ちの母・一歳年上の姉・4歳年下の弟 一家の暮らしの
6割以上を稼がねばなりませんでした。
もうそりゃ必死、でも んん十年たつと苦しかった、辛かったよりよくやれたなと
楽しく???思いだします。
>
> > 卵を沢山産ませるため、動物蛋白は後輪の太い自転車で朝の暗いうちから買い出し?に、魚屋や蒲鉾屋で頭や腸(はらわた)を貰って積んで帰ってました。
> > 直系4,50センチの大鍋で炊くんです。草菜を加えて、、これが餌。
> > なんせ150羽単位で成鶏舎が2つ、他に育雛室が1つ。
>
> うーーん・・・凄いとしか言いようがありませんm(_ _)m
1947年、戦後の猛烈な食うものの欠乏で 死に物狂いでしたね。
結構私みたいな一家の生計を支えている少年も居ましたよ。
>
> > トラップネストと云う(今の方 分りますかね)リンゴ箱を真ん中で2つに仕切り、
> > 産みに入ったらパタンと戸が閉まって出られない を何十と作りました。
> > 見回って”コッコッコケコッコー”と産んだよ で 蓋を開いて卵を取り出して、足に
> > 番号を付した鶏環ってので番号をみて、壁に貼ってある表 (横縦)番号と○を記入。
> > 生みが悪くなったら、業者に売って、、、と経営?を していましたよ。
>
> 若くても、立派な事業家だったのですね。いったい、どこで習われたのでしょう。
飯塚の雛を売ってくれる種鶏場でも習いましたが、考え工夫して、、
ミカン箱って今見ませんが、あってもトラップネストのようなものは作れません。
時代と、背負わざるを得ない 状況に追い込まれ、火事場の馬鹿力でしょうか。
オアシス
[No.34]
Re: 鶏 飼ってました。
投稿者:
投稿日:2013/03/04(Mon) 18:50
[関連記事] |
オアシスさ、こんばんは。
> 当時はまだ飼料は統制会社があり、そこから俵単位で痩せた(旧制中学)2年、大人に負けまいと煙草をスパスパ 去勢を張って、ふすま(麦の皮)3俵とか、糠5俵とか
> 買ってました。卵の殻になるのは牡蠣殻 これも一俵。
え?旧制中学の2年生って、年齢はいくつ?
10代半ばまで行くか行かずか、という年頃でしょうか?
頑張られたんですねぇ。その頃のご自分を思い出すと、愛おしくなることでしょう!
> 卵を沢山産ませるため、動物蛋白は後輪の太い自転車で朝の暗いうちから買い出し?に、魚屋や蒲鉾屋で頭や腸(はらわた)を貰って積んで帰ってました。
> 直系4,50センチの大鍋で炊くんです。草菜を加えて、、これが餌。
> なんせ150羽単位で成鶏舎が2つ、他に育雛室が1つ。
うーーん・・・凄いとしか言いようがありませんm(_ _)m
> トラップネストと云う(今の方 分りますかね)リンゴ箱を真ん中で2つに仕切り、
> 産みに入ったらパタンと戸が閉まって出られない を何十と作りました。
> 見回って”コッコッコケコッコー”と産んだよ で 蓋を開いて卵を取り出して、足に
> 番号を付した鶏環ってので番号をみて、壁に貼ってある表 (横縦)番号と○を記入。
> 生みが悪くなったら、業者に売って、、、と経営?を していましたよ。
若くても、立派な事業家だったのですね。いったい、どこで習われたのでしょう。
[No.33]
Re: ペット
投稿者:夏子
投稿日:2013/03/04(Mon) 18:39
[関連記事] |
ろろさん、男爵さん
> えっ、<17才>って書きました?・・とちょっとびっくり。確かにろろ
> は17才です。人間のろろは+60くらいですけど(^_^;)。
イヤー、実は、私も17才?え、どこに書いてあったんだろう、と、ろろさんの
書き込みを目を皿のようにして何度も読み直してみました(^^;
> 東京にいる息子が京都のわが家へ来るとき、猫も連れてきたことがありま
> す。うちにも気の弱い<ろろ>がいましたが、<東京の猫>も知らない家
> に連れてこられて大変だったことでしょう。東京へ帰ってもしばらく変に
> なっていたそうです。可哀想に。環境を変えてやるのは可哀想ですね。
犬は人に付き、猫は家に付く・・・と言いませんでしたっけ?
そういうことでしょうか。息子さんの猫ちゃんが変になったのは。
[No.32]
Re: ペット
投稿者:夏子
投稿日:2013/03/04(Mon) 18:34
[関連記事] |
ろろさん、こんにちは。
> > ところで、ろろさんって、作家さんなのですか?
>
> あ、それは誤解(^_^;)。メッチャ頼んないオバサンです。
> 作家だったのは亡くなったダンナです。
男爵さんの書かれたURLで見てきました。
ご主人は、著名な作家でいらしたのですね。作品名とお名前が結びつきませんでしたが、
お名前はよく存じ上げています。いろいろなところで執筆されていたのでしょう!
きっと、私はそれを読んだのだと思います。
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | |