「天災」とは地震・台風・雷・洪水・津波などの自然災害ですが
天災は忘れた頃にやってくると言われます。
みなさんの体験や伝聞、それに対策や後始末なども、お待ちしています。
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[No.172]
Re: SPEEDIは動いているか
投稿者:男爵
投稿日:2013/05/30(Thu) 07:59
[関連記事] |
> > > > > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > > > > > 放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
>
> > > > 15日夜、文部科学省のモニタリングチームは、福島第一原発から北西方向20キロ付近、浪江町のある地点の空間放射線率を計測した。
> > > > 毎時330マイクロシーベルトという高い数値が出た。
> > >
> > > > この地点を測定したのは渡辺真樹男と雨夜隆之という文部科学省の職員だった。
> 決められた3つのポイントを1時間ごとに3回くり返して測定してほしいという。
> 午後3時すぎまで行った空線量率のモニタリングの結果
> ポイント31(浪江町・津島)
> ポイント32(浪江町・川房)
> ポイント33(飯舘村・長泥)
> いずれの地点でも高い放射線量を測定した。
> ここの上空をプルームが通過したことは明らかである。
> 19日早朝、二人はEOCから特別任務を与えられた。
> 「新聞で報道されている、原乳からヨウ素131が検出されたという牧場に行って、空間線量率を測定し、午前9時半までに報告してほしい」
帰途、2日前に測定した3つのポイントを再び測定した。
その際、長泥の嶋原区長に会った。嶋原区長は避難の準備をしていた。
嶋原の家は長泥十字路から150メートル離れたところにある。
雨夜は、サーベイメーターを見せながら、測定結果を示し、この区域の放射線量が高いことを伝えた。
EOCからまた連絡があった。
広野のメディカルセンターに行ってほしい、との指示である。
往復200キロはある。疲れがたまっていたが、「待っている患者のために行こう」と申し合わせ、Jヴィレッジに行ったところで、「メディカルセンターに行く必要はなくなった」と通知を受けた。
福島市内の宿に帰ったのは午後9時前だった。
この日、走行距離は550キロにのぼった。
後のことになるが、嶋原が次のようなことを話したと渡辺は人づてに聞いた。
嶋原の家の近くに、白いワゴン車が1台、十字路の道路脇に停車していた。
中には白い防護服(タイベックスーツ)を着用し、防護マスクを被った男たちが数人いて、窓を少し開けては、細長いノズル(金属棒)を突きだしている。
全員、積算線量計を身につけている。
数値ヲ教えるように求めたが、彼らはそれを拒否して、何かに急がされるように去って行った。
「何をビクビクしてやってんだ。もっと落ちついてやってくれよ。放射能はガラスもコンクリートも通り抜けちゃうんだろう。マスクやっても気休めじゃないか」
そう言いたくなったが、嶋原は黙っていた。
嶋原が出会ったのはJAEAのモニタリングチームだったに違いない。
渡辺は、この話を後で聞いたとき
「嶋原さんの気持ちもわかるが、モニタリングチームの置かれた状況も考えてあげなくては....ちょっとかわいそうだな」
と感じた。
「JAEAの測定者たちは若い人も多い。タイペックスーツを身につけて仕事をするのも理解できる。みんな必死になって仕事をしていた。彼らの中には家族が被災した者も多かった」
「それに、防護服の上に防寒着は着れない。あのころ、すごく寒かった。車の中から測定していたとしても責められない」
「ただ、嶋原さんはじめ住民が、あいつらは出てこない、なんだあいつらは、と感じたこともまた否めない事実なのだ」
渡辺と雨夜が測定の作法とした「タイベックスーツも半面マスクも着用しない」、そして「サーベイメーターを示して数値を住民に知らせる」やり方は、二人が現場で話し合って決めたものだった。
その作法をJAEAのチームにも押しつけるべきか否か、渡辺はずいぶん迷ったが、それを強制することは避けた。
渡辺はかつて原研で働いたこともあり、年配でもあったことから文科省とJAEAの測定班の班長のような役回りをしていた。
渡辺と雨夜は、「防護服を着用するべきか否か」を、計測される住民の心情に寄り添う形で自らに問い質し、着用しないことを決めた。しかし、危機管理という観点からは防護服の着用が正解だったかもしれない。
防護担当者は、その役割を持続的に果たすには健康でなければならない。
モニタリング測定者が汚染された場合、汚染を拡大させてしまう可能性がある。
住民はいったん避難させてしまえば被ばくのリスクは少なくなるが、防災担当者は継続的に業務を行うから被ばくするリスクはより大きい。
それだけに、測定者は汚染予防には細心の注意を払わなければならない。
モニタリング測定者が防護服を着用するのは、そうした観点からは必要であり、必須なのである。
少し後のことになるが、4月中旬、枝野官房長官は南相馬市内を防護服を着て視察した。
その際、20キロ圏内から出て、防護袋を脱ぐ映像がテレビに流れた。
周囲に防護服を着用していない人が映っている。
たちまち「自分だけ放射能から身を守ろうとしている」との批判がネットに出回った。
批判する人々は、原発から20キロ圏内の避難区域は、防護服の着用が義務づけられていることは思い至らない。
そもそも防護服は主に放射性物質の周囲への拡散を防ぐ目的で用いられるのである。
(無知な人がネットに書き込みできる自由。無知なマスコミは自分の勉強もかねて、防護服は原発から20キロ圏内の避難区域で着用の義務があるとくり返し報道すべきだった)
JAEAのチームは、1台3000万円もするモニタリングカーを持ってきていた。
これは車の中からダストサンプリングができるとの触れ込みだった。
ところが、車そのものが汚染されたため、車載していた機械も汚染され、使えなかった。
渡辺と雨夜のライトバンで十分用は足りた。
渡辺は
「モニタリングカーもまた、安全神話の表れなのだろう。こんな立派な車があります。しっかり測定します。だから大丈夫です..なんて」
「いざとなったら、使い捨ての車を用意すればいいのだ」
と思った。
二人に対してEOCの担当者は「官邸に報告する」とか「官邸の指示」という言い方をした。
「なぜ、わざわざ官邸、官邸と言うのだろうか?」
二人は首を傾けた。JAEAのモニタリングチームの人々も、「官邸主導のモニタリングチームなんですか」と尋ねてきた。
「文科省は線量の高いところの測定をするとそれが住民避難につながるため、そういうところの測定は官邸の名の下にやろうとしているのか」
☆ ☆
さてここまで長々と
福島第一原発から北西方向20キロ付近、浪江町や飯舘村で
毎時330マイクロシーベルトという高い空間放射線率を計測した
渡辺真樹男と雨夜隆之という文部科学省の職員の苦労やぼやきを
紹介してきました。
現場の人はこんなに苦労していたということを認識するには十分な資料ですが
本当はこれから紹介する
政府はどう対応していたのか、官邸、文科省、原子力安全委員会、それから東京電力はどうだったのかがメインのテーマなわけです。
ここまでくるのに18頁 そしてなんと残りは26頁あります。
文科省はSPEEDIを動かして、その結果を発表することをなぜか避けたがります。
政府から強く言われ、しぶしぶ他の機関に押しつけようとします。
他の関連機関も似たり寄ったりで、重い仕事はなるべく避けたい、責任は取りたくない
という態度なのです。
いろんなことを記述して、とても読みにくい本ですが
まあ多くの資料を盛り込んでいるから、拾い読みしながら貴重なデータを探すには
いい本なのかもしれません。
ともかく1〜2日、もう少し紹介するつもりです。
[No.171]
Re: SPEEDIは動いているか
投稿者:男爵
投稿日:2013/05/29(Wed) 20:24
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> > > > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > > > > 放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
> > > 15日夜、文部科学省のモニタリングチームは、福島第一原発から北西方向20キロ付近、浪江町のある地点の空間放射線率を計測した。
> > > 毎時330マイクロシーベルトという高い数値が出た。
> >
> > > この地点を測定したのは渡辺真樹男と雨夜隆之という文部科学省の職員だった。
大急ぎで宿舎に帰らなければ危険だ。
高放射線地域から逃れるために山道を高速で飛ばした。
福島市内の杉妻会館に戻ったときの雨夜の被ばく量は毎時129マイクロシーベルトに達していた。
雨夜は、電話で東京に伝えた測定データをFAXでEOCに送った。確認のためである。
大広間にはぎっしり布団が敷き詰められていたが、20畳のところに30人ほどが寝ていた。二人の寝る場所はなかった。
JAEAの好意で彼らの部屋に同宿させてもらった。
就寝したときは、16日午前0時半になっていた。
命がけで採取したデータだ。EOCもそれを命がけで福島県民に伝えてくれるだろう。
二人はそう信じていた。
後になって、二人は、この「330マイクロシーベルト」の情報が原子力災害現地対策本部に届いておらず、したがって自治体にも通報されなかったこと、そして、その責任は、現地対策本部の状況を把握せず、FAXの到達を確認もせず、現地対策本部にも行かなかった二人の測定者にあるかのように言われていることを知った。
(EOCとは文部科学省非常災害対策センターのことです)
(彼らはその数字を文部科学省災害時対応センター(EOC)に伝え というのが[No.165]にあります)
(FAXする前に電話したと前に書きましたね。また現地対策本部が福島県庁に移ったことは以前の記事[No.167] に書きました)
16日、この日の天候はめまぐるしく変わった。
薄日が差したかと思うと、雪が降りはじめた。モニタリングをはじめるころになると、激しい雪になった。雪が容赦なく口の中に入ってくる。
防護服はオフサイトセンターから慌ただしく退却する時、置いてきてしまった。
二人は話し合った。
「住民がいるかもしれない地域でのモニタリングでは、防護装備をするのはやめよう」
住民の被ばく評価のためには、彼らと同じ状況で被ばくした自分たちのデータが参考になるだろう。
タイベックスーツも半面マスクも着用しない。 そう誓い合った。
川内村役場では、庁舎内は毎時1マイクロシーベルトだった。放射線量が思ったより低い。
(地形によってこのようなまだら模様になののか...)を示していた。
>若い警官にその数値を知らせると、張りつめていた顔から笑顔がこぼれた。
17日、国道114号線から399号線の浪江町赤生木〜飯舘村長泥にかけての放射線モニタリングを行った。
この測定は、原子力安全委員会からの指示だった。
決められた3つのポイントを1時間ごとに3回くり返して測定してほしいという。
午後3時すぎまで行った空線量率のモニタリングの結果
ポイント31(浪江町・津島)
ポイント32(浪江町・川房)
ポイント33(飯舘村・長泥)
いずれの地点でも高い放射線量を測定した。
ここの上空をプルームが通過したことは明らかである。
人が生活している気配を感じたので、EOCには「高線量の地区に人が住んでいる」と報告した。
測定を進めていくうちに、二人は住民の複雑な気持ちを思い知らされた。
山木屋では、測定していたとき、近くに住む年配の男性からかじっていたトマトを白いライトバンに投げつけられた。
「おまえらのせいでこんなことになったんだぞ」
「いや、申しわけございません」
謝ったあと、「高い線量が出ていますよ」と伝えた。
「避難されないんですか?」
その会話をきっかけに、しばらく男性と話し合った。
別れ際、男性が声をかけた。
「ご苦労さまです」
何度も測定すると住民は不安になる。しかし、測定に行かなくなると、今度は見捨てられたと感じて不安になる。
宿に戻って、測定データの整理をしていると、EOCの担当官が連絡してきた。
「測定レンジの間違いや読み違えはありませんか?」
変なことを聞くといぶかっていると、原子力安全委員会がこの測定値に疑念を持っている、という。
「文科省モニタリングチームの測定値に間違いはない」と安全委員会側に返答したが、「文科省の測定ではあてにならないのでJAEAに測定させてください」と要求があったという。
原子力安全委員会は、各機関がバラバラに行っているモニタリング計測の方法と質と内容にばらつきがあることを懸念していた。
14日午前には福島県のモニタリングポストに核種が固着している可能性があるとERC放射線班に指摘したこともある。
しかし、そのようなことを二人は知らない。
(原子力安全委員会というところはいったい何だ。本来なら自分たちがまっさきに現場に来て現状を確認するのが役目ではないのか)
安全委員会からガセネタを上げた張本人にされたのかと思うと、ドッと疲労感がこみ上げてきた。
その後しばらくして二人は、ウィーンから飯舘村に来た国際原子力機構(IAEA)調査団の現地視察の手伝いをした。
そのとき、IAEAの職員に「なぜ、日本の原子力安全委員会の担当者がここに来ていないのか」と聞かれた。答えようがなかった。
翌18日、JAEAのモニタリングチームがまったく同じポイントを同じように測定した。
ほどなくしてJAEAのチームから渡辺の携帯電話に連絡があった。
「昨日の測定値と同じです。ヨウ素131の減衰が考えられますので、やや小さな値ですが、昨日の測定に間違いはありません」
19日早朝、二人はEOCから特別任務を与えられた。
「新聞で報道されている、原乳からヨウ素131が検出されたという牧場に行って、空間線量率を測定し、午前9時半までに報告してほしい」
午前7時に出発した。
場所は川俣町山木屋にある牧場だったが、なかなか見つからず、ずいぶんと探し回ってようやくその牧場を探し当てた。
牧場主夫妻に断り、牛舎の前で放射線量を測定しEOCに報告した。
すでに福島県が原乳のサンプルを持って行って分析した。その結果、ヨウ素131が検出された、と牧場主は話した。
先代が開拓した牧場をここまでにした。丹精を込めて育ててきた乳牛たちだった。彼は、しぼった乳をそのまま捨てていた。
年老いた牧場主夫妻は「もう牧場を畳まなければならない」と言った。
(放射能は、生活を奪っただけではない。夢と希望を根こそぎ奪ったんだ)
胸が締めつけられた。
[No.170]
Re: 保存水
投稿者:
投稿日:2013/05/29(Wed) 11:21
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夏子さん
>
> いったいどのくらいのお値段でしょうか? よく売っている、何とかの名水などは
> 2L入り1本で100円もせずに買えますが、そんなに安くはないのでしょうね。
>
一般に売っているミネラルウオーターの類は賞味期限が書いてあると思いますがそう長くないはずです。それを過ぎれば細菌が繁殖するのではないでしょうか。
保存水はかって近くのホームセンターで売っていましたがいまは置いてありません。
ネットで「保存水」で検索すると通販が色々出てきます。2L×6本(1ケース)で2000円−3000円くらいです。
>
> 小猿さんのお住まいの地方は、大地震の可能性の高い所でしょうか。
> 関東は、一様に地震が多い所、というイメージが、中国地方に住む私にはあるのですが、
> どうもそうではないようですね。やはり、それぞれの狭い範囲での地盤とか活断層とか、
> いろいろあるみたいで。
>
私のところは海岸から7Km位内陸側で千葉市の陸の孤島と言われた所ですが近くの活断層の話は出ていません。東京湾に流れ込む川から7−8m高くなっています。
今回の地震(震度5強)と茂原沖地震の時も築33年の旧建築基準法ですが食器棚からの墜落、壁のひび割れなどはありませんでした。
関東大震災の推定震度は6弱です。
同じ団地内でも壁がひび割れた、食器棚からものが落ちたところは複数あります。造成前の状態によって違うようです。
浦安の流動化の話が有名になってから、大手不動産販売が「売却価格の無料見積りをします。◯◯坪◯◯円で探しているお客様がいます」との投げ込み広告が週2回程度続いたことがあります。
千葉の小猿
[No.169]
Re: 保存水
投稿者:男爵
投稿日:2013/05/29(Wed) 10:51
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千葉の小猿さん、夏子さん こんにちは。
> 保存水へのコメントが今までないということは、たぶん、他に購入者がいない、と
> いうことかも、ですね。
私も経験がないから、コメントは控えていました。
> 我が家も、保存水として売られている水は買っていません。関心がないせいか、
> 売られているところも見たことがありません(^^;
>
> 我が家の保存水?は、ただの水道水をペットボトルとか、タッパーとか、ガラス瓶に
> 詰めたものです。
私のところも水道水利用です。
古い水でも煮沸すれば飲めると思っていました。
[No.168]
Re: SPEEDIは動いているか
投稿者:男爵
投稿日:2013/05/29(Wed) 10:47
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> > > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > > > 放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
> > > > 放射性雲は、浪江町へと移動し、雨雪となって地上におちたが、その予測は住民には知らされない。
>
> > 15日夜、文部科学省のモニタリングチームは、福島第一原発から北西方向20キロ付近、浪江町のある地点の空間放射線率を計測した。
> > 毎時330マイクロシーベルトという高い数値が出た。
>
> > この地点を測定したのは渡辺真樹男と雨夜隆之という文部科学省の職員だった。
いったん茨城県の職場に引き返したものの、同じ15日午前、二人はEOCから「再び、福島に行ってほしい」と指示された。
午後5時ころ、杉妻会館に着き、一服しているところで、EOCからモニタリングの地点を示すFAXが送られてきた。
発電所北西方向20キロ付近(浪江町昼曽根および川房)でモニタリングするようにとの指示である。
EOCはSPEEDIの試算結果を参考にしていた。
FAXで送られてきた地図には、20キロの境界線も入っている。そこには1,2,3の3つのポイントがマークされている。
雨夜が杉妻会館で借りた道路地図と照らし合わせ、測定地点を確かめた。
そこは浪江町山間部の昼曽根、川房、そして飯舘村長泥の3箇所、いずれもピンポイントだった。
15日午後7時、浪江町に入った。明かりはほとんど見えない。
外はみぞれ交じりの小雨で、沢筋を中心に霧が立ちこめていた。
サーベイメーターの線量がグングン上昇する。
川俣町の山木屋を過ぎたころには、低線量用のNaIサーベイメーターは測定可能範囲を超えたため振り切られていた。
いざというときのために持参した高線量用のICサーベイメーターで測ると毎時50マイクロシーベルトを示していた。
(文科省は、おそらくこのへんが高そうだということを知っていて、われわれに計測を指示したのだろう。なぜ、高線量用を持って行けと最初から言わなかったのか。高いから気をつけて、ぐらいは言ってくれてもいいのに)
そんな気持ちになった二人。
最初のモニタリングポイントの昼曽根トンネル近くで測定した。
「200マイクロシーベルトを超えている」
自然界の6000倍から7000倍というとてつもない数値である。
核物質をつかむ"マジックハンド"を操作する際の金属ガラスの向こう側の異次元の世界の数値である。
「本当にこれが管理区域でもなんでもない一般の環境中の放射線量なのか」
サーベイメーターが汚染されて測定器に誤差が生じてはならない。
渡辺が測定した後、サーベイメーターを紙タオルで包みながら数値を読み取り、雨夜がそれを復唱しながら記入していった。
午後8時40分から10分間、浪江町の赤生木と手七郎の交差点近くで計測した。
空間放射線率は、毎時330マイクロシーベルトを示していた。
その後行った長泥も78から95のマイクロシーベルトと高い。
長泥は、飯舘村南部にあり、浪江町と境を接する。(飯舘村長泥)
携帯電話は圏外の表示が出てしまう。衛星携帯も調子が悪い。
山木屋まで戻った。そこの公衆電話からEOCに報告した。
時計を見ると、午後9時半だった。
戻る途中、何人もの人々に出会った。
「線量が高いですよ」
「赤生木では毎時330マイクロシーベルト出てます。この数値をみんなに伝えてください」
雨夜はそう呼びかけた。
[No.167]
Re: SPEEDIは動いているか
投稿者:男爵
投稿日:2013/05/29(Wed) 08:25
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> > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > > 放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
> > > 放射性雲は、浪江町へと移動し、雨雪となって地上におちたが、その予測は住民には知らされない。
> 15日夜、文部科学省のモニタリングチームは、福島第一原発から北西方向20キロ付近、浪江町のある地点の空間放射線率を計測した。
> 毎時330マイクロシーベルトという高い数値が出た。
> この地点を測定したのは渡辺真樹男と雨夜隆之という文部科学省の職員だった。
> 14日朝、二人は茨城県の原子力オフサイトセンターから福島原発に車で向かった。
> 文部科学省のEOCの担当官から福島県・大熊町のオフサイトセンターに行くように指示されたのだ。
14日午後4時すぎ大熊町に到着した。
オフサイトセンターに行くと、玄関先で靴や衣服のスクリーニングが行われていた。
タイベックスーツに半面マスク、シューカバーという装備に身を包んだ担当者が出入りする職員の汚染状態を念入りに測定していた。
渡辺と雨夜はスクリーニングを受けたが、靴底から1600cpm(13.33マイクロシーベルト)の汚染が見つかった。これだとシューカバーをしなければならない。
それまで保安巡視で立ち入りした原子力施設でも最大200cpm(1.66マイクロシーベルト)ほどだった。原発事故が深刻であることを思い知らされた。
シューカバーを二重に着装して、2階の対策本部に行った。
通信手段が衛星携帯電話しかないようだった。みな、この携帯電話の通話から得られる情報に聞き耳を立てていた。
福島県原子力センターの2階が文科省と日本原子力研究開発機構(JAEA)の放射線モニタリングチームの拠点となっていた。
渡辺と雨夜はそこのグループに入った。文科省からは水戸原子力事務所長が指揮官として来ていた。
午後9時すぎ、グループ会議が終わり休憩していたとき
誰かが1階から階段をバタバタと上がってきた。
「待避! 待避! 総員待避!」
大声で叫び、それを繰り返しながら、階段を引き返していった。
文科省の指揮官が「すべて放棄して待避する。全員JAEAのバスに乗車すること」と指示した。
「公用車などのキーはすべて車にさしておくこと」と彼はつけ加えた。
現地対策本部が福島県庁に移動することが決まったという。
駐車場を出ると、自衛隊の車両が整然と走り出すのが見えた。
茨城で調達してきた食料品はすべて、センターにおいて移動せざるをえない。
バスが走り出したところで、半面マスクが配られた。全員、それを着装した。
福島県庁に隣接する公共の宿「杉妻会館」に到着したのは15日午前1時40分。
靴底は1万cpm(83.33マイクロシーベルト)を超え、”放射性廃棄物”と化していた。
寝付かれないまま、床に身を横たえていると
「2号機が爆発したらしい」という情報が伝えられた。
福島第一原発正門前の線量率は「毎時マイクロシーベルトではなく毎秒ミリシーベルトのレベル」とのことだった。
1000倍単位の汚染領域に突入したことになる。
あとで、渡辺と雨夜は、EOCが、二人が福島県庁に移転したことを「職場放棄」とみなしたことを知った。
「勝手に職場放棄をしてけしからん。それに、装備も公用車もそのまま残して撤退するとは何事だ」
そのような”お怒り”だったという。
「線量がどんどん高まるオフサイトセンターにあのまま踏みとどまったとしても無用な被ばくを受けるだけじゃないか」
「それでは、連中があのとき、大熊町オフサイトセンターにいたとして、いったいどういう行動がとれたのか」
「そうなのか。文科省という役所は、職員の無事より車両や物品の方が大事なんだ」
渡辺も雨夜もがっくり。
職員の無事より、帳簿に記載された物品がなくなることが大事というのは
別のところで読んだ、地図をつくる国土地理院の職員の苦労話と同じ。
日本の役所はいずこも同じか。
[No.166]
Re: 保存水
投稿者:
投稿日:2013/05/28(Tue) 16:14
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千葉の小猿さん、こんにちは。
保存水へのコメントが今までないということは、たぶん、他に購入者がいない、と
いうことかも、ですね。
我が家も、保存水として売られている水は買っていません。関心がないせいか、
売られているところも見たことがありません(^^;
我が家の保存水?は、ただの水道水をペットボトルとか、タッパーとか、ガラス瓶に
詰めたものです。
飲料用は、冷蔵庫保存で、日常使っています。約4リットル。その保存水は、汲みたて
ではないので、美味となって、非常用との一石二鳥の効果があります。
その他に、健康飲料水の空き容器に入れた水道水が常時2リットル。これは、ご飯を
炊いたりする時に使います。
水やりとかに使う水も、常時、常温で10リットルくらいはあるかな?(^^;
これらは、腐っているかも知れない、と思うくらいほったらかしのものもあります。
古い水は、植物にとってもあまり良くない、というのですが、そればっかり使うわけでは
ないので、気にしていません(^^;
> 10年の保存期間のものは5年のものに比べて2倍以上の価格がするので5年のものにしました。
いったいどのくらいのお値段でしょうか? よく売っている、何とかの名水などは
2L入り1本で100円もせずに買えますが、そんなに安くはないのでしょうね。
> 保存期間をすぎた水は飲料に的さなくとも何かに役立つでしょうから1年はそのままにしておきます。
それがいいと思います(^^)v
> 保管場所は鉄製の物置です。何かが倒れかかって変形しても取り出しは可能とタカをくくっています。
小猿さんのお住まいの地方は、大地震の可能性の高い所でしょうか。
関東は、一様に地震が多い所、というイメージが、中国地方に住む私にはあるのですが、
どうもそうではないようですね。やはり、それぞれの狭い範囲での地盤とか活断層とか、
いろいろあるみたいで。
ともあれ、大地震は、実際はどこを襲うのか分かりませんから、小猿さんを見習って
誰もが出来る準備はしておくことが肝心と思います。
ほとんど何の準備もしていなさそうな娘が気になる私です(^^; 海抜マイナス0.2m
という海も川も近い所に住んでいるのに・・・
[No.165]
Re: SPEEDIは動いているか
投稿者:男爵
投稿日:2013/05/27(Mon) 20:04
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> > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > 放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
> > 放射性雲は、浪江町へと移動し、雨雪となって地上におちたが、その予測は住民には知らされない。
> 3月15日早朝、2号機の格納容器が損傷し、4号機建屋で爆発が起こった。
> その日は南向きの風が吹き、昼過ぎから北西に流れた。
> 同日午前、福島第一原発から半径20〜50キロ圏内の住民に出された指示は「屋内退避」だったが、南相馬市はこの日から希望者に対して市外への避難誘導を実施し始めた。多くの市民が飯舘・川俣方面に避難した。
> 浪江町は、この日の朝方、二本松市へ避難することを決め、住民避難を実施した。
> 浪江町の山間部から飯舘村長泥にかけて県道には車が殺到した。
> 長泥地区の村民は、炊き出しに精を出した。そこに逃げ込んでくる南相馬市からの避難民を支援するためである。
> その上をプルーム(放射性雲)が流れ、雨になり雪になりして、地上に落ちた。
> そんなことを人々は知らなかった。
しかし、政府は気がついていた。
15日夜、文部科学省のモニタリングチームは、福島第一原発から北西方向20キロ付近、浪江町のある地点の空間放射線率を計測した。
毎時330マイクロシーベルトという高い数値が出た。
彼らはその数字を文部科学省災害時対応センター(EOC)に伝え、EOCは安全委員会に通報した。
文科省は、ただちに官邸の緊急参集チームに報告。
16日午前1時過ぎ、そのデータを報道機関に資料配付し、またネット上でも公開した。
しかし、地区名は伏せた。肝心の浪江町には知らせなかった。
この地点をピンポイントで計測するように彼らに指示したのは文科省だった。
文科省はSPEEDIの試算によって、その方向にプルームが流れることを予想していた。
この地点を測定したのは渡辺真樹男と雨夜隆之という文部科学省の職員だった。
文科省は事故後、二人をはじめ現地に10人以上を派遣し、モニタリングチームを構成した。
14日朝、二人は茨城県の原子力オフサイトセンターから福島原発に車で向かった。
文部科学省のEOCの担当官から福島県・大熊町のオフサイトセンターに行くように指示されたのだ。
[No.164]
第18章 SPEEDIは動いているか
投稿者:男爵
投稿日:2013/05/27(Mon) 19:33
[関連記事] |
> > 船橋 洋一・著
> > カウントダウン・メルトダウン 下巻 (2012.12)
>
> >それにしても
> >この本は読みにくい。
> >時系列で書いていない。
> 第18章 SPEEDIは動いているか
> 放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
> 放射性雲は、浪江町へと移動し、雨雪となって地上におちたが、その予測は住民には知らされない。
ためしに第18章について
メモ的に紹介する。
これを読む方は、私の言っていることがわかってくださるだろうか。
ただし
ここでは長くなるので
別の項目の記事のほうに続けることにします。
http://www.mellow-club.org/cgibin/free_bbs/13-semi3/wforum.cgi?no=163&reno=138&oya=138&mode=msgview
[No.163]
SPEEDIは動いているか
投稿者:男爵
投稿日:2013/05/27(Mon) 19:30
[関連記事] |
> > 船橋 洋一・著
> > カウントダウン・メルトダウン 下巻 (2012.12)
>
> >それにしても
> >この本は読みにくい。
> >時系列で書いていない。
> 第18章 SPEEDIは動いているか
> 放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
> 放射性雲は、浪江町へと移動し、雨雪となって地上におちたが、その予測は住民には知らされない。
ためしに第18章について
メモ的に紹介する。
これを読む方は、私の言っていることがわかってくださるだろうか。
「原子力安全・保安院の緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム SPEEDIがフル稼働中ではないかな。しかし計算結果は公表されていない?」とツィッターがつぶやきはじめた。
3月15日に早野龍五東大教授の流したツィートである。
政府の防災基本計画では、文部科学省は第10条通報を受けた場合は原子力安全技術センターに対し、SPEEDIネットワークシステムを緊急時モードに切り替えて、原子力事業者または安全規制担当省庁からの放出源情報が得られ次第、放射能影響予測を実施するよう指示すること、そしてそこで得られた結果は文部科学省の端末に配信することが定められている。
その端末は文科省、保安院、原子力安全委員会に据えてある。
SPEEDIの運用は本来文科省が行うことになっている。文科省は原子力安全技術センターにオペレーターの委託契約をしている。
原子力安全技術センターは、文科省の指示に基づき、11日午後9時以降
福島第一原発から毎時1ベクレルの放射性物質の放出があったと仮定した場合の1時間ごとの放射性物質の拡散予測計算を行っていた。
原子力安全技術センターは、その計算結果を関係機関に送付していた。
保安院も原子力安全センターのオペレーターを保安院のERC(緊急時対応センター)に入れ、独自の予測をはじめた。
11日午後9時、保安院は1回目のSPEEDI試算結果を出し、官邸地下の危機管理センターの専用端末にその予測図を送った。
それは、翌12日午前3時半に福島第一原発1号機のベントを実施した場合を想定し、放射性物質がどのように拡散されるかを試算した結果だった。
放出された放射性物質が拡散されるさまは、風向き、風速、地形などによって違ってくる。
不通は、プルーム(放射性雲)は同心円状には広がらない。
しかし、この情報は首相には伝わらなかった。
12日午前1時、保安院は2回目のSPEEDIの予測結果を出し、官邸の危機管理センターの専用端末に送った。
これもまた、首相には伝わらなかった。
保安院から危機管理センターの専用端末に送られたのは、この2枚で終わった。
保安院はその後も、SPEEDI予測を行ったが、それらはERC内でとどまっていた。
その数は43回167枚にも及んだ。
3月15日早朝、2号機の格納容器が損傷し、4号機建屋で爆発が起こった。
その日は南向きの風が吹き、昼過ぎから北西に流れた。
午前9時、福島第一原発正門付近で毎時1万1930マイクロシーベルトが測定された。
午後11時台には、同じく正門付近で毎時7000〜8000マイクロシーベルトが測定され、大量の放射性物質がこのとき放出された。
同日午前、福島第一原発から半径20〜50キロ圏内の住民に出された指示は「屋内退避」だったが、南相馬市はこの日から希望者に対して市外への避難誘導を実施し始めた。多くの市民が飯舘・川俣方面に避難した。
浪江町は、この日の朝方、二本松市へ避難することを決め、住民避難を実施した。
浪江町の山間部から飯舘村長泥にかけて県道には車が殺到した。
長泥地区の村民は、炊き出しに精を出した。そこに逃げ込んでくる南相馬市からの避難民を支援するためである。
その上をプルーム(放射性雲)が流れ、雨になり雪になりして、地上に落ちた。
そんなことを人々は知らなかった。
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