今回は、運動会・遠足・学芸会・展覧会など
小学校時代の懐かしい思い出、少し苦い思い出など書いてください。
中学校(女学校)時代のことでもいいです。
戦中・戦後、いろいろな事情で学校行事が開催できなかったこともあったと思います。
そんなことも書いてください。
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[No.149]
Re: 戦下のレシピ
投稿者:あや
投稿日:2013/11/26(Tue) 20:51
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>
> まず (1)増量法
>
> ご飯に混ぜる材料は、おいしさよりも栄養やカロリーが優先した。
> 加える具は、さつまいも、じゃがいも、里いもなどのいも類。
> 大豆、小豆、卯の花(おから)といった豆類。
大豆や、さつまいものご飯は子どもの頃食べたことありますが、
それ以外はありません。
もっとも小豆は赤飯として食べました。
じゃがいも、里いも、卯の花なんて入れたんでしょうか?
>
> 米に野菜やいもを混ぜるのは「かて飯」といって
> 貧しい農民がもともと常食していた食事である。
> それをわざわざ「節米料理」と呼んで大騒ぎするなど
> 農村の住民にはちゃんちゃらおかしかったかもしれない。
>
田舎に疎開しましたが、そこでは白米ばかり食べていました。
白米と刺身が大好きだった母は、東京に帰ってきて、すぐ亡くなって
しまったんです。贅沢が死を招いたといまでも思っています。
帰ってきてから、好きな白米や、刺身などあるわけがなく、仕方がなかったと
思っています。
祖母は、その分長生きをして、私たち姉弟を育ててくれたのです。
貧しい時代でした。
[No.148]
Re: 戦下のレシピ
投稿者:男爵
投稿日:2013/11/26(Tue) 18:54
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> > > 斎藤美奈子:戦下のレシピ 岩波書店
>
> > 節米には大きく分けて三つの方法がある。
> > (1)増量法
> > (2)代用食
> > (3)献立法
つぎは (3)献立法
いも、かぼちゃ、穀類など、満腹感のあるおかずを献立にとりいれる方法。
おかずだけで、ある程度満腹になるので、その分主食を食べる量が減り
米を節約できるはずである。
この本には
・うどんとベーコンのコロッケ
・胡桃ビーフ
のレシピが紹介されている。
こういう料理ができるうちは、日本もまだ食料に困っていない印象を受ける。
本当に食糧難になったら、とてもこんな献立はできないだろう。
・うどんとベーコンのコロッケ
うどんにベーコンと残り野菜を入れて丸め
コロッケのように揚げたもの。
・胡桃ビーフ
胡桃を刻み、すり鉢ですり、玉ねぎの半分をみじん切りにして炒め
胡桃、玉ねぎ、玉子、塩をご飯によく混ぜ合わせる。
大きめのどら焼きくらいの大きさにしたものをバタ焼きにする。
いつだったか寒い年に東日本で米作がよくなかったことがある。
外国から米を輸入した。 外国の米はチャーハン向きで評判が良くなかった。
私は、あの機会に米の代わりに、パン、ジャガイモ、蕎麦、うどん、豆、かぼちゃ等
を食べるようにしたので、今では米はなくても平気になりました。
米にこだわらず
かえって雑穀とか、いも類などを食べたほうが健康によいようです。
[No.147]
Re: 小学生の作文
投稿者:男爵
投稿日:2013/11/26(Tue) 16:52
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>>図書館で小学生の作文集を見つけました。
>
> >>この中から、比較的今回のテーマにあう、学校行事に参加した子どもの作文を
> >>何度か紹介したいと思います。
>
> 今度は2011年のものから紹介します。
☆ ☆
たのしかったやきいもかい
これは一年生の作文です。
さつまいもほりの子どもの学校とは違う小学校の子どもの作文ですが
さつまいもをほったこと、さつまいもをやきいもにしたこと
これらを並べてみます。
一年生と二年生のやきいもかいがありました。
朝に先生が「きょうは、やきいもかいをします」といったので
びっくりしてドキドキした。
二時間目に、二年生が迎えに来て、家庭科室に行った。
はじめに、新聞紙を水にぬらした。
つぎに、ぬれた新聞紙で、いもをつつんだ。
二年生がやさしくわかりやすく教えてくれたから
一人でもスイスイできた。
さいごに、いもをアルミホイルに巻いた。
五時間目に、みんなでいもをもって外に行った。
はたけでは、ようむいんの先生が火をたいていてくれた。
いもをポーンと火のところになげた。 少しあつかった。
ようむいんの先生に教えてもらって、みんなでおちばを入れた。
けむりや火がボウボウもえていた。
たき火を見ながら、みんなでうたをうたった。
やけたやきいもをぐん手でキャッチしたら、あたたかかった。
アルミホイルをむいたら、プーンとあまいにおいがした。
中からまっきいろのいもが出てきた。
一口たべたら、あまくておいしかった。
−−−−−
一時期、ダイオキシン問題で
落ち葉焼きはすたれたようだったが
この小学校では、落ち葉でさつまいもをやいて良かった。
学校の先生のつくった文集なので、学校公認の「やきいもかい」でした。
[No.146]
小学生の作文
投稿者:男爵
投稿日:2013/11/26(Tue) 16:32
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>> 運動会・遠足・学芸会・展覧会について話題を広げるため
>> 図書館で何か参考になりそうな本を探したのですが
>> なかなか見つけられません。
>> 一番ほしいのは、小学生の時の思い出を書いた本です。
>> あるいは
>> 私が小学生の時に、全国の作文コンクールの入賞作品をまとめた本があり
>> それを読むと作文の書き方の参考になるのですが
>> 学校行事の感想などが書かれてあって、いまのテーマには参考になるのですが
>> 探し方が悪いのか見つかりませんでした。
>>なんとか
>>図書館で小学生の作文集を見つけました。
>>この中から、比較的今回のテーマにあう、学校行事に参加した子どもの作文を
>>何度か紹介したいと思います。
今度は2011年のものから紹介します。
☆ ☆
二年生の作文です。
さつまいもほり
生活科の時間に、さつまいもほりをしました。
前の日に先生から言われて、この子も楽しみだった。
毎年夏休みに、おじいさんのところでじゃがいもほりをするが
さつまいもほりは初めてだ。
さつまいもほりとじゃがいもほりの似ているとろこは、つるを引っ張るところ。
土の中にうまって出てこないいもは、手で土をかきわけて、いもが出てきたら、いもがおれないようにやさしく取り出す。
じゃがいものくきは、みじかくてまっすぐだったが、さつまいものつるは、長くてからまっている。
じゃがいもの色は茶色だったが、さつまいもはむらさく色をしていた。
[No.145]
Re: 母の時代の修学旅行
投稿者:男爵
投稿日:2013/11/26(Tue) 13:31
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マーチャン
> 1920年ころと思います。
1920年といえば大正9年
> 兵庫県北部の県立女学校。
> 行き先は、お伊勢さん、京都、神戸など だったようです。
やはり伊勢参りですか。
[No.144]
母の時代の修学旅行
投稿者:マーチャン
投稿日:2013/11/26(Tue) 10:14
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画像サイズ: 640×476 (96kB)1920年ころと思います。
兵庫県北部の県立女学校。
行き先は、お伊勢さん、京都、神戸など だったようです。
[No.143]
Re: 戦下のレシピ
投稿者:男爵
投稿日:2013/11/26(Tue) 05:43
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> > 斎藤美奈子:戦下のレシピ 岩波書店
> 節米には大きく分けて三つの方法がある。
> (1)増量法
> (2)代用食
> (3)献立法
つぎは (2)代用食
ご飯ではなくパンや麺を主食にすること。
三度の食事の1回分を別の主食で代用させれば
その分、米の消費量が減る。
小麦粉などで作った「すいとん」や「だんご」もこれに入る。
当時、一番安い主食は米だった。
米より安い代用食はジャガイモぐらいしかなかった。
家計の面からみれば、小麦粉で作るパンや麺などの代用食は高くついた。
主食になる食品の値段(1kgあたり)
大豆粉 80銭
コーンスターチ 56銭
ひもかわうどん 50銭
そば粉 50銭
メリケン粉 40銭
大豆 30〜40銭
米 31銭
ジャガイモ 8銭
(主婦の友 昭和15年6月号)
[No.142]
Re: 雪国はなったらし風土記
投稿者:男爵
投稿日:2013/11/26(Tue) 05:22
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> 写真集「雪国はなったらし風土記」 無明舎出版編 1988
> ちょっと写真を紹介しましょう。
・ソリあそびをする子どもたち なんとソリに6人の子どもがのっている。
・女の子のゴムとび ゴムはけっこう高いところに張られている。
・中学校のグランドの高台下は梨畑 畑にむけてグライダーを飛ばし回収がてら梨をポケットに
・秋の田で首や背中にチカチカしながら大きな稻束を担ぐ女の子
[No.141]
Re: 戦下のレシピ
投稿者:男爵
投稿日:2013/11/25(Mon) 12:28
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> 斎藤美奈子:戦下のレシピ 岩波書店
戦時中は物が少なく
とくに食料が大問題。
そこで節米です。
節米には大きく分けて三つの方法がある。
(1)増量法
(2)代用食
(3)献立法
まず (1)増量法
ご飯に他の材料を混ぜて、米の量を減らす方法。
いわゆる「混ぜご飯」「炊き込みご飯」で、混主食とも呼ばれる。
水の量を多くして全体のかさを増やした「おかゆ」や「雑炊」も増量法だ。
たけのこご飯、栗ご飯、釜飯などいまでもご馳走だが
戦争中はそういうものはほとんどない。
ご飯に混ぜる材料は、おいしさよりも栄養やカロリーが優先した。
加える具は、さつまいも、じゃがいも、里いもなどのいも類。
大豆、小豆、卯の花(おから)といった豆類。
とうもろこしや押し麦など、米以外の穀類。
米に野菜やいもを混ぜるのは「かて飯」といって
貧しい農民がもともと常食していた食事である。
それをわざわざ「節米料理」と呼んで大騒ぎするなど
農村の住民にはちゃんちゃらおかしかったかもしれない。
おしんやその家族が毎日食べていた食事を
大部分の日本人も食べるようになった?
[No.140]
雪国はなったらし風土記
投稿者:男爵
投稿日:2013/11/24(Sun) 19:55
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写真集「雪国はなったらし風土記」 無明舎出版編 1988
文章はなく
モノクロ写真とその説明なので
これを、ここで紹介するのはなかなか困難。
紅白歌合戦をテレビではなく、ラジオで聞くと
アナウンサーが華やかな舞台や歌手の衣装を説明しても
テレビ画面を見るのにはかなわない。
それと同じで
写真を見れば感動したり、何か感じることも
文章で説明しても、いまいちの感がある。
それでも
地方の子どもの生活の記録なので
ここで紹介することの意味は少しはあるだろうと考えて
紹介してみましょう。
この出版社(無明舎)は、明治・大正・昭和の秋田県の写真集十三巻にして
出版したのだが、収集した写真は膨大なもので、出版した写真集に使わなかった写真は八割も残った。
そこで、残った写真の中から、感動的な子どもたちの映った写真をまとめて
この写真集にしたというわけである。
いわば秋田の子どもたちの昭和史といったところであろう。
だが、同じ頃に東京の大手の出版社があいついで子どもの昭和史をテーマにした
写真集を出したので、それを意識して
「雪国の遊びや子どもの生活」の写真集にしたという。
そして、昭和二十年代後半から高度経済成長期前までとした。
ちょっと写真を紹介しましょう。
・刈り入れの終わった田んぼで草野球をする子どもたち
・スキーを滑る女の子のモンペのストライプは当時のファッションである。
・コタツの上の「ケン玉」と月光仮面のマスク(お面)、かたわらでプラフープで遊ぶ女の子
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