[No.15000]
五能線木造と太宰治
投稿者:男爵
投稿日:2010/03/29(Mon) 20:55
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太宰治の「津軽」を読みました。
この作品は、1944年5月から執筆依頼のため、3週間にわたって津軽半島を旅行したもので、一種の紀行文になっています。
終戦中の物資の乏しいときに、しかし、彼の一族は金持ちだったので、どこに行っても何とかお酒が飲めたようです。幸せでしたね。
太宰の亡くなった父親の出身の町、五能線の木造駅に降りる。
知り合いの家に寄ると貴重なお酒をご馳走になる。
私がはっと思ったのは
木造はまたコモヒの町である、と書いてあったこと。
コモヒとは、家々の軒を一間ほど前に延長させて頑丈に永久的に作ってある
一種の通路です。雪国の冬の通り道になります。
コモヒは小店(こみせ)が訛ったものであると言われているが
太宰治は隠瀬(こもせ)あるいは隠日(こもひ)などという字を当てたほうがわかりやすいと述べています。
つまり、これは北陸の雁木ですね。
黒石や弘前ではコミセと呼ばれています。黒石には立派なコミセが保存されていますが、弘前にはほとんど残っていません。数えるほどしかありませんでした。
川端康成の雪国や松本清張の小説に、雁木のことが出ています。
それでは、機会をみつけて、木造に行ってみないといけませんね。
なるべく冬に行ってみたいものです。
この「津軽」の最大の見せ場は、太宰を育ててくれた乳母の「たけ」に会うことです。
彼は実際にたけと会ったのですが、事実と小説は違っているそうです。
小説はうまくまとめているが、実際に太宰はそんなに劇的な再会をして文学的な感動の場面に立ち会ったようではないみたいです。いっぱり歩き回って他の知り合いに会うのとお酒を飲むのに忙しかったみたい。
インターネットに全文が載っています。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2282_15074.html