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[No.15991] 五木寛之:旅のヒント 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/29(Fri) 06:41
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五木寛之の旅の考え方のヒントがいろいろ書かれてある。
内容は広く面白いので何度かにわけて記載する。

五木寛之の好きな日本人の三人の学者
いずれも旅を日常として生きた人々
 菅江真澄、宮本常一、沖浦和光
書斎にこもって思索にふけっているときよりも、この三人の学者は旅をしているときのほうが、はるかにいきいきと頭脳が活躍しているのではないだろうか。

日本には「聖」という放浪僧の伝統がある。
日本列島を体液のように流れ続ける移動遍歴の宗教者たちである。
ときには「修験者」の姿をとることもある。いわゆる山伏である。ときには「勧進」の姿で歩くこともある。

旅をすることができるためには健康がまず必要である。
とりあえず自分の足で歩ける。食べたい物を食べることができる。
重い鞄をかついで階段を上がり下りすることができるという、ごく普通に言うところの
健康というものに恵まれていることが旅の基本である。

正しい歩き方
基本的には三点接地法である。
つまり、足の親指と小指と踵(かかと)をきちっとホールドしながら、踵から着地する。
この歩き方を心がけていれば、自然と膝も伸びるし、歩幅も大きくなっていく。
足の裏にきちんと体重をかて踏んでいるかぎり滑らないが、足を引きずるような歩き方、こするような歩き方、跳ねるような歩き方、そういう歩き方をしていると転ぶ可能性がとても大きくなる。


[No.15993] 旅の七つ道具 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/29(Fri) 10:35
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> 五木寛之の旅の考え方のヒントがいろいろ書かれてある。
> 内容は広く面白いので何度かにわけて記載する。

五木寛之は鞄にこだわっている。
バッグマニアと言われるぐらいバッグには関心がある。
よく男性雑誌などでとりあげられている定評のあるバッグは
彼に言わせると大体は宣伝だと思って間違いない。
買って使ってみて「何、これは」と思うようなことが九割はあるという。
宣伝されなくても自分で使ってみて便利だと思うのがよい。
彼が三年間ずっと使っているのは
壊れもしないし、ポケットがいろいろ中にも外にも付いていて便利なものだ。
飛行機内に持ち込むことの許される大きさのバッグを持っていくのが
五木寛之の基本であるという。
飛行機に荷物を預けるときでも、ほんとうに大事な、それがなければやっていけないものは手荷物にすべきだ。
荷物を預けて出てこなかったという例が海外旅行では必ずあるからである。

キャリー(取っ手)が付いたバッグにしても、ソフトバッグにキャリーと、そこにキャスターの付いたものが便利である。
ソフトバッグの場合は布度が伸びたり縮んだりするから、その気になって詰め込むといくらでも入る。

五木寛之は、やわらかいバッグの中に、ファイルケースなどのハードケースを入れて自分流の仕分けに使っている。

タクシーに乗るときは
道を引っ張ってきたバッグを座席の上にのせることを運転手は非常に嫌う。
客席の白いシーツが汚れることを心配しているのだ。
必ず後ろのトランクに入れよう。そうでなければ自分の膝の上にのせる。
海外で日本人旅行客のもっとも嫌われがちな点に、食事などのときに椅子の上にバッグを置くことである。
小さなハンドバッグなら別だが、バッグは床の上に置かなければいけない。

駅のホームなどでも自分の座った隣の椅子の上にバッグを置く人がいるが、そばで立っている人に対してマナー違反である。下に置くか、膝の上にのせるべきだろう。

マフラー、雨具、防止で体温調節をする。
夏の東南アジアでは冷房の効きすぎで体に悪い影響を与える。
折りたたみのレインコートなどを持っていくと便利だ。

旅行にはガムテープを持っていって、冷房が効きすぎるときは
冷房の吹き出し口に自分でガムテープを貼って、冷房を止めるという。


[No.15996] お金の対策/警戒しつつ好意を示す 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/29(Fri) 18:23
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> > 五木寛之の旅の考え方のヒントがいろいろ書かれてある。
> > 内容は広く面白いので何度かにわけて記載する。

つぎは盗難対策ですね。
大切な者を腹巻きに入れたり
靴下の中にお金を入れたり
みんな苦労しています。

五木寛之は洋服の左サイド、脇の下あたりに隠しポケットをひとつ自分で付けているそうです。
ニューヨークの刑事が拳銃のホルスターをさげるのは脇の下のこの部分とか。
あるいはG13もそうなのでしょうか。
この脇の下の位置に、ワイシャツにもポケットをつくってもらい、そこに老眼鏡や万年筆(古い?)もちょっと差し込んでおくと、表からは見えないそうです。

ヨーロッパに行くと、あきらかに集団スリが乗っていると思われるバスに乗ったりすることがあります。ど゜うしても乗らなければならないことがあります。
そういうときは保身のために、ポケットにはお小遣いくらい入れておいて、とられてもいいようにしておくそうです。
これはアメリカを歩く時はよく聞く話ですね。
持っていかれては困るものはズボンの内側とか隠しポケットの中に入れておくのです。

韓国の家具には、隠しポケットがいっぱい付いているそうです。
それに気がつかないで使ってる人も多いかもしれません。
このように隠しポケットが付いているのは
半島ではくり返しくり返し、いろんな国々に侵略されたり支配された人たちの生きていく上での知恵なのです。
島国で安心して暮らしているような、昔の日本人は考えなかったことでしょう。

イスラムの人たちも、訪れた人たちに対しては笑顔で接してホスピタリティを発揮するが、いったん裏切ったら殺そうというぐらい、常に警戒しつつ好意を示すのです。
この「警戒しつつ好意を示す」ということが、日本人にはなかなかできないことです。
だから、追っ払うか、むやみとべたべたして迎え入れるか、そのどっちかしかないというところがありますね。
特に昨今の日本の政治家には、この「警戒しつつ好意を示す」ということが大切と思われます。
世界の国々の人は単純ではありませんから。


[No.16008] Re: お金の対策/警戒しつつ好意を示す 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/31(Sun) 19:28
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> > > 五木寛之の旅の考え方のヒントがいろいろ書かれてある。
> > > 内容は広く面白いので何度かにわけて記載する。
>
> つぎは盗難対策ですね。

その町には危険地帯というところがある。
そういうところを避けるべきであるが、五木寛之の場合どうしても行かなくてはならないことがある。
そういうときは、物を盗られたりすることは日常のことである。
だから、盗もうとする者が怒らない程度の金額で、盗られて惜しいと思うほどは多くない
ほどほどの金額の「見せ金」を必ず持って行くという。
それは危険地帯に出入りする人間のチップだというふうに考えて。

「見せカード」も必要である。
カメラ量販店などのポイントカードを入れておく。
向こうではその場ではそれがクレジットカードと見分けが付かないから、期限の切れたクレジットカードでもいい。とりあえず、相手は日にちまでは確かめる余裕はないだろう。
それらを入れた「見せ財布」は、お尻のポケットなど目立つところに入れておいたほうがいい。
きちんと揃えて入れておく。それは貢ぎ物みたいなものだ。

お金やカード以外でも、小物を盗まれることもある。
五木寛之はその対策として、ひもを活用しているそうである。
たとえばトートバッグは上が開いているから、物が落ちたり、泥棒に持って行かれたりしやすい。
だから、伸び縮みするひものようなもので、携帯電話やカメラなど、なかのものをぱちんと結び付けておく。
それぞれにクリップをつけてつながっている。
彼の持ち物はそうやっていろいろなものが全部ひもでつながっているから、ひとつの物だけを持って行かれないようになっている。
鞄の中から何かつかみ出して持って行こうとしても、ひもでつながっているから、鞄ごと動いてしまう。
それ専用のひもも売っているそうです。

兼ね合い
ここでいちばん大切なことは「兼ね合い」ということだ。
反対のことを同時に持つということである。
たとえば、ロシアでもヨーロッパでも、コーラスはそれぞれの人が精いっぱい自分の個性を出して、精一杯うたう。
それでふしぎなことに三部合唱、五部合唱という、ちゃんとしたハーモニーになる。
合唱という共同作業のなかに自己をおきながら、ちゃんと自己を表現している。
ところが、日本のコーラスは、それぞれの自我を消すことによって協調しようとする。だからコーラスに芯がない。

ひとりひとり違った人間たちが集まって共同作業をするためには、自分を殺さなければいけないけれど、殺しても殺しきれない自己というものがある。
それをちゃんと表現しなければいけない。
自己を残しつつ共同する。「ばらばらでいっしょ」というのは非常にいい言葉だと思うが、日本の考え方は、ばらばらか、いっしょか、どっちかだ。


[No.16035] Re: お金の対策/警戒しつつ好意を示す 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/04(Thu) 09:43
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> > > > 五木寛之の旅の考え方のヒントがいろいろ書かれてある。
> > > > 内容は広く面白いので何度かにわけて記載する。

この本を本日返すので
あと少しだけ書きます。

ホテルの従業員がルームサービスにきても本当に従業員なのかチェックする必要があるとか
トランクに鍵をかけておいても開けられることがあるとか
諸々の注意が続きますが、それらは省略します。

コンビにもルームサービスもないところでは、携帯食とか非常食も必要
五木寛之は乾燥イモを持っていくという。チョコレートでも乾燥バナナでもいいのです。

よく噛んで食べること。 しかし、一年中よく噛んでばかりだと、働きを忘れた胃腸が退化する。
たまにはよく噛まずに乱暴に飲み込むことも胃腸の機能を維持するためにはよい。

「黒か白かどっちかにしてくれ」と人は簡単に言うけれど、現実や真実というものは、そういうものではない。
黒と白とは両極端に分かれているが、まんなかはグレーの無彩色で、グレーから自然に白に近づいていって白になる。どこで切れるというものでもない。黒と白とは、連続しているのである。真実はグレーゾーンにある。
同じように「人を見たら警戒したほうがいいですか」と聞かれれば、先に書いたように警戒しつつ心を開け、という言い方しかできない。心を開きっぱなしでも閉じっぱなしでもだめ。心を開きつつ常に警戒心を忘れないことだ。
プライドを持って相手に優しく。優しくするだけではだめ。厳しさも自分のなかに持ちつつ優しさとか、卑屈にならず丁寧に、傲慢(ごうまん)にならずプライドを持ってとか、そういうところが非常に難しい。
今の世の中はどっちかに言い切ったほうが人は聞きやすいから。
人生ははかないものだという考え方が片方にある。人生は実り多きものだという考え方も片方にある。どっちが本当かと言われたときに、実り多き面もあれば、はかない面もあると言うしかない。
日本人は、そういう二重構造みたいなものを同時につかむこと、つまり、高音と低音を同時に受け止めることが不得手な民族だ。だけど、二元法だけでなく、それをやらないと奥行きがでてこない。

東京に住んでいる人はよく「うちは東京なものですから、差別の問題はどうも現実感がピンとこないところがあって」と弁解する人がいる。
しかし歴史をさかのぼると、東京ほど闇の深い差別の王国はないということに気がつく。
江戸という町は当時のいわゆる「非人」制度の存在によって成立していた。
東京の浅草地区の非人頭、非人たちの親分に、車善七という人がいた。その車善七と
住所不定でもって日本国民のヒーローである寅さんのセリフ「姓は車、名は寅次郎」
そこに通底するものを直感的に無意識のうちに感じないわけにはいかない。
住所不定ということは無宿者ということだ。香具師(やし)というのは、かつてその人たちの商売だった。
寅さんは、そうした職業の人々の、輝ける末裔であると五木寛之は思う。
寅さんが国民的なヒーローになるという事実は、日本人が股旅芝居とか氷川きよしの歌などに今も強く引かれることに通じている。
日本人は、放浪し、無宿者として社会から阻害されるような人間を、もうひとつの民衆のヒーローとしてずっと憧れてきたのだ。