[No.16035]
Re: お金の対策/警戒しつつ好意を示す
投稿者:男爵
投稿日:2010/11/04(Thu) 09:43
[関連記事] |
> > > > 五木寛之の旅の考え方のヒントがいろいろ書かれてある。
> > > > 内容は広く面白いので何度かにわけて記載する。
この本を本日返すので
あと少しだけ書きます。
ホテルの従業員がルームサービスにきても本当に従業員なのかチェックする必要があるとか
トランクに鍵をかけておいても開けられることがあるとか
諸々の注意が続きますが、それらは省略します。
コンビにもルームサービスもないところでは、携帯食とか非常食も必要
五木寛之は乾燥イモを持っていくという。チョコレートでも乾燥バナナでもいいのです。
よく噛んで食べること。 しかし、一年中よく噛んでばかりだと、働きを忘れた胃腸が退化する。
たまにはよく噛まずに乱暴に飲み込むことも胃腸の機能を維持するためにはよい。
「黒か白かどっちかにしてくれ」と人は簡単に言うけれど、現実や真実というものは、そういうものではない。
黒と白とは両極端に分かれているが、まんなかはグレーの無彩色で、グレーから自然に白に近づいていって白になる。どこで切れるというものでもない。黒と白とは、連続しているのである。真実はグレーゾーンにある。
同じように「人を見たら警戒したほうがいいですか」と聞かれれば、先に書いたように警戒しつつ心を開け、という言い方しかできない。心を開きっぱなしでも閉じっぱなしでもだめ。心を開きつつ常に警戒心を忘れないことだ。
プライドを持って相手に優しく。優しくするだけではだめ。厳しさも自分のなかに持ちつつ優しさとか、卑屈にならず丁寧に、傲慢(ごうまん)にならずプライドを持ってとか、そういうところが非常に難しい。
今の世の中はどっちかに言い切ったほうが人は聞きやすいから。
人生ははかないものだという考え方が片方にある。人生は実り多きものだという考え方も片方にある。どっちが本当かと言われたときに、実り多き面もあれば、はかない面もあると言うしかない。
日本人は、そういう二重構造みたいなものを同時につかむこと、つまり、高音と低音を同時に受け止めることが不得手な民族だ。だけど、二元法だけでなく、それをやらないと奥行きがでてこない。
東京に住んでいる人はよく「うちは東京なものですから、差別の問題はどうも現実感がピンとこないところがあって」と弁解する人がいる。
しかし歴史をさかのぼると、東京ほど闇の深い差別の王国はないということに気がつく。
江戸という町は当時のいわゆる「非人」制度の存在によって成立していた。
東京の浅草地区の非人頭、非人たちの親分に、車善七という人がいた。その車善七と
住所不定でもって日本国民のヒーローである寅さんのセリフ「姓は車、名は寅次郎」
そこに通底するものを直感的に無意識のうちに感じないわけにはいかない。
住所不定ということは無宿者ということだ。香具師(やし)というのは、かつてその人たちの商売だった。
寅さんは、そうした職業の人々の、輝ける末裔であると五木寛之は思う。
寅さんが国民的なヒーローになるという事実は、日本人が股旅芝居とか氷川きよしの歌などに今も強く引かれることに通じている。
日本人は、放浪し、無宿者として社会から阻害されるような人間を、もうひとつの民衆のヒーローとしてずっと憧れてきたのだ。