|
[No.14632]
紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)
投稿者:
投稿日:2011/05/29(Sun) 21:48
[関連記事] |
[No.14631]
Re: 韓国の思い出
投稿者:男爵
投稿日:2011/05/29(Sun) 06:12
[関連記事] |
画像サイズ: 808×557 (51kB)オンドルの床
カラフルな布団
これを見ていると
また韓国に行きたくなります。
今年4月は地震のため韓国に行きませんでした。
[No.14630]
Re: 韓国の思い出
投稿者:男爵
投稿日:2011/05/29(Sun) 06:10
[関連記事] |
画像サイズ: 799×502 (78kB)そんなときに
白兎山人さんと一緒の韓国旅行だと
とても助かります。
自分一人の旅行と比べたら
天国と地獄。
[No.14629]
韓国の思い出
投稿者:男爵
投稿日:2011/05/29(Sun) 06:08
[関連記事] |
画像サイズ: 816×612 (61kB)私はたいてい
海外旅行は一人で行くので
荷物とか乗り物に乗るのが大変です。
ソウル駅
釜山の地下鉄は漢字表記もあるのに
ソウルはほとんどハングルの世界なので疲れます。
[No.14628]
Re: 阿倍仲麻呂の謎
投稿者:男爵
投稿日:2011/05/27(Fri) 17:24
[関連記事] |
> 阿倍仲麻呂つまり晁衡あるいは朝衡の名前ですが
> どうして朝の字がついたのか
> これにこだわる学者がいます。
この研究者によると以下のようになります。
姓の「朝」は、ふつう「朝臣」からきたものだとされている。
当時の中国の習慣では、外国人はその出身国の国名を名字にしているが、日本人だけがそうしない。
その理由としては、ひとつには、そのころ国名が、ちょうど倭(わ)から日本へと移行する時期だったからだろう。
だがもうひとつ私が考えるのは、彼はむしろ、「日出ずる(つまり朝日の)国、日本」だからこそ、「朝」と名乗ったのではないかという可能性だ。
ところが実は、日出ずるという名を持つ国は、わが日本よりはるかに昔から、東アジアにはもうひとつ存在していた。
しかもその国は、まさに「朝」の字そのものを、国名に用いていたのだ。
☆ ☆ ☆
この説によれば
阿倍仲麻呂は日本人ではなく、朝鮮人だったのではないか
ということですが
はたして、そのころは朝鮮という国名はあったのでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE
これによれば
「朝鮮」の名はすでに紀元前4世紀頃からあった。
史記や管子に「朝鮮」という地名に関する記述がある。
朝鮮王朝(李氏朝鮮)の官選地理書「東國輿地勝覧」によると中国人が朝光鮮麗の地と呼んだためといわれ、さらに、東方(=朝)の鮮卑に由来すると言う説もある。
しかし
百済、新羅、高句麗、日本の資料には「朝鮮」という呼び方はないのです。
朝鮮は、中国側の呼び方で、初めは遼東の地名であった。
ということで
阿倍仲麻呂は朝鮮の人ではなく日本人だということになりそうです。
[No.14627]
阿倍仲麻呂の謎
投稿者:男爵
投稿日:2011/05/27(Fri) 17:08
[関連記事] |
> > 西安の阿倍仲麻呂の碑です。
阿倍仲麻呂ははじめ朝臣仲満と称したが、のちに朝(晁)衡(ちょうこう)と
改名しました。 晁衡とも朝衡ともいったのです。
752年に衛尉少卿に昇進しますが、このとき藤原清河率いる第12次遣唐使一行が来唐します。
すでに在唐35年の仲麻呂は清河らとともに翌年帰国することになります。
この時王維は「秘書晁監(「秘書監の晁衡」の意)の日本国へ還るを送る」の別離の詩を詠みました。
しかし、仲麻呂や清河の乗船した第1船は暴風雨に遭って南方へ流されるのです。
このとき李白は彼が落命したという誤報を伝え聞き、「明月不歸沈碧海」の七言絶句「哭晁卿衡」を詠んで仲麻呂を悼んだといいます。
幸いにも安南(現ベトナム)に漂着した仲麻呂一行は長安に帰ることができたが
二度と日本の土を踏めなかったのでした。
藤原清河の遣唐使一行は阿倍仲麻呂とともに
密かに鑑真も乗船させたのですが
鑑真の船は無事日本に着いたのでした。
さて
阿倍仲麻呂つまり晁衡あるいは朝衡の名前ですが
どうして朝の字がついたのか
これにこだわる学者がいます。
詳しくはここにあります。
http://www.aurora-net.or.jp/doshin/silkroad/hakuyoju/NO24/index.html
これは札幌の新聞社のホームページなのですが
シルクロード展が終わっても
なかなか役に立つからと私が頼んで
残してもらったものです。
[No.14626]
Re: 厠の説明
投稿者:男爵
投稿日:2011/05/26(Thu) 21:49
[関連記事] |
> あっしはむかし、著者名はわすれましたが、文章のヘタクソなひとのための本を読んでいたとき、この読み方を知りました。
> それは良い文章いい表現の思い浮かぶ場所と云うのを三つ挙げていて、その一つは馬上、もうひとつは枕(チン)上、つまり寝床ですか、そうして最後のひとつがここでいま話題になっている厠(シ)上なのだそうです。これを合わせて『三上』というらしいですね。
さん
唐辛子 紋次郎 さんは欧米の言葉に詳しいのに
中国古典にも知識がありますね。
考えるによいシチュエーシュン 「三上」
私もいくつかの本で読みました。
たとえば、ここにありました。
http://eliesbook.co.jp/review/%E3%80%8E%E6%80%9D%E8%80%83%E3%81%AE%E6%95%B4%E7%90%86%E5%AD%A6%E3%80%8F
”三上”という語がある。その昔、中国に欧陽修という人が、文章
を作るときに、すぐれた考えがよく浮ぶ三つの場所として、馬上、
枕上、厠上をあげた。
[No.14625]
Re: 厠の説明
投稿者:
投稿日:2011/05/26(Thu) 21:24
[関連記事] |
> > いかにも優雅な{厠}を見つけました。
> > 厠は中国でも通じます。
>
> 「かわや」はやまと言葉
> 音読みは知りません。
あっしはむかし、著者名はわすれましたが、文章のヘタクソなひとのための本を読んでいたとき、この読み方を知りました。
それは良い文章いい表現の思い浮かぶ場所と云うのを三つ挙げていて、その一つは馬上、もうひとつは枕(チン)上、つまり寝床ですか、そうして最後のひとつがここでいま話題になっている厠(シ)上なのだそうです。これを合わせて『三上』というらしいですね。
トイレの中でほんとうにいい思い付きが浮かぶのか、それはひとにもよるでしょう。アルキメデスと湯川博士はたしか、風呂のなかで名案が浮かんだとか。
人と会話中に、素晴らしいアイデアが浮かぶことだってあるでしょう。
[No.14624]
Re: 厠の説明
投稿者:瀬里恵
投稿日:2011/05/26(Thu) 15:13
[関連記事] URL:http://homepage2,nifty.com/Avenue-Serie/ |
男爵さん…。
> > いかにも優雅な{厠}を見つけました。
> 「かわや」はやまと言葉
> 音読みは知りません。
音読みは「し」または「しょう」と読みます。
やまと言葉の「かわや」は「川家」の意味で古代の便所は
川の上に杭床式の水上家屋を建て天然の水洗便所とした処
から来たようです。下記サイトに面白い話題があります。
http://homepage2.nifty.com/Avenue-Serie/salon-de_serie.html#12p
瀬里恵
[No.14623]
厠の説明
投稿者:男爵
投稿日:2011/05/26(Thu) 09:35
[関連記事] |
画像サイズ: 936×824 (90kB)> いかにも優雅な{厠}を見つけました。
> 厠は中国でも通じます。
「かわや」はやまと言葉
音読みは知りません。
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 | 61 | 62 | 63 | 64 | 65 | 66 | 67 | 68 | 69 | 70 | 71 | 72 | 73 | 74 | 75 | 76 | 77 | 78 | 79 | 80 | 81 | 82 | 83 | 84 | 85 | 86 | 87 | 88 | 89 | 90 | 91 | 92 | 93 | 94 | 95 | 96 | 97 | 98 | 99 | 100 | |