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先人は偉かった。釈迦もキリストも西郷さんも確かに偉かった。幾ら偉くても人間である以上、どこか可笑しな処もあった筈だと思うのですが。よい所が伝わって、よくない処が伝わらないのではと思うのは、凡人のひがみでしょうか。また、伝える意味が無いともいえそうです。とまあ、平凡な自分を慰めている次第です。後世に伝わるのは、確かに人間的な魅力もあった筈です。西郷さんも池波正太郎によれば、会った瞬間に傾倒してしまう魅力があったようですね。時代小説短編集「刃傷」最後の一篇・「剣客山田又蔵従軍」に書かれています。それにしても、後世に伝えた池波さんも偉かったと思う訳です。やっぱり、真似が出来ませんね。違うのは、勇気と決断でしょうか、才能でしょうか、一途な情熱でしょうか。変人、奇人なんでしょうか。教えてください。
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「先生」には二つの意味があるようだ。尊敬と軽蔑の二つである。下の者や素人がその道に詳しい人を崇めていうのが本来の意味ではないか。先生はこの尊敬を裏切らないのが建前である。学校の先生やお医者さんや政治家や弁護士で多く使われている。(同じ聖職者でも、坊さんにはあまり使われない?)選挙区の代表で同じ立場の議員でも、相手を先生と呼んでいる。学校や病院でも同僚を先生と呼んでいる。最近、若干の違和感がある。昔「先生と、呼ばれて悦ぶ、バカはない」が流行った。「先生」と呼ぶ背景に、軽蔑と魂胆があるからか。その点で、政治討論で、司会者は決して相手を「先生」と呼ばない。誰々さんである。「さん」も同じ尊敬語であるが、公平感があって、特別、尊敬の念が厚くない。英語では、Mr.Mrs.である。中国ではやたらに、先生を付けるように聞いたが。それにしても、一度「先生」と呼ばれてみたいものだ。先生と呼ばないと許さない人もいるとか。ゾクゾクとする快感があるのかも知れない。
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続いて。誰彼となく、先生を付ける人もいる。真意が判らない。付けておけば間違いがないと思うのか、快感の表情をみて鼻で笑っているのか。作家先生も助手や編集者に先生と呼ばせるとか。画家や習い事のお師匠さんも、先生と呼ばれる。先生の臍を曲げると怖いからか。家内に臍を曲げられると実に怖いが、先生とは呼ばない。先生も一々「先生と呼ぶな」と断っても、キリがないのか、半ば諦めて、好きにさせている。その方が楽なようだ。
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> 「先生」には二つの意味があるようだ。尊敬と軽蔑の二つである。下の者や素人がその道に詳しい人を崇めていうのが本来の意味ではないか。先生はこの尊敬を裏切らないのが建前である。学校の先生やお医者さんや政治家や弁護士で多く使われている。(同じ聖職者でも、坊さんにはあまり使われない?)選挙区の代表で同じ立場の議員でも、相手を先生と呼んでいる。
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やまちゃんさん(若しやLeoさん?)
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> やまちゃんさん(若しやLeoさん?)
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みなさん
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先生、という敬称を日本人は使いすぎますね。
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SHIG 様
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皆さん、まいど。
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69.思考は様々 2007.9.19
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宇宙や自然の物質界は法則で動いているといったが、解からないという立場でみると解からないことばかりである。何故、物質には引力があるのか、何故存在するのか、何故そうなるのか、解からないことばかりである。精神世界においても、法則があるようである。今の段階では仮説であるが、作用と反作用。必要必然。因果応報。輪廻転生説などである。
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> 宇宙や自然の物質界は法則で動いているといったが、解からないという立場でみると解からないことばかりである。何故、物質には引力があるのか、何故存在するのか、何故そうなるのか、解からないことばかりである。精神世界においても、法則があるようである。今の段階では仮説であるが、作用と反作用。必要必然。因果応報。輪廻転生説などである。
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やまちゃん
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さしもの暑さもやわらぎ、庭先では
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思考の様々(2)
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