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[No.325] ひとり言 投稿者:   投稿日:2007/09/07(Fri) 11:06
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 先人は偉かった。釈迦もキリストも西郷さんも確かに偉かった。幾ら偉くても人間である以上、どこか可笑しな処もあった筈だと思うのですが。よい所が伝わって、よくない処が伝わらないのではと思うのは、凡人のひがみでしょうか。また、伝える意味が無いともいえそうです。とまあ、平凡な自分を慰めている次第です。後世に伝わるのは、確かに人間的な魅力もあった筈です。西郷さんも池波正太郎によれば、会った瞬間に傾倒してしまう魅力があったようですね。時代小説短編集「刃傷」最後の一篇・「剣客山田又蔵従軍」に書かれています。それにしても、後世に伝えた池波さんも偉かったと思う訳です。やっぱり、真似が出来ませんね。違うのは、勇気と決断でしょうか、才能でしょうか、一途な情熱でしょうか。変人、奇人なんでしょうか。教えてください。


[No.329] Re: ひとり言 投稿者:   投稿日:2007/09/09(Sun) 08:49
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 「先生」には二つの意味があるようだ。尊敬と軽蔑の二つである。下の者や素人がその道に詳しい人を崇めていうのが本来の意味ではないか。先生はこの尊敬を裏切らないのが建前である。学校の先生やお医者さんや政治家や弁護士で多く使われている。(同じ聖職者でも、坊さんにはあまり使われない?)選挙区の代表で同じ立場の議員でも、相手を先生と呼んでいる。学校や病院でも同僚を先生と呼んでいる。最近、若干の違和感がある。昔「先生と、呼ばれて悦ぶ、バカはない」が流行った。「先生」と呼ぶ背景に、軽蔑と魂胆があるからか。その点で、政治討論で、司会者は決して相手を「先生」と呼ばない。誰々さんである。「さん」も同じ尊敬語であるが、公平感があって、特別、尊敬の念が厚くない。英語では、Mr.Mrs.である。中国ではやたらに、先生を付けるように聞いたが。それにしても、一度「先生」と呼ばれてみたいものだ。先生と呼ばないと許さない人もいるとか。ゾクゾクとする快感があるのかも知れない。
続いて、解説をお願いします。


[No.330] Re: ひとり言 投稿者:   投稿日:2007/09/09(Sun) 10:40
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続いて。誰彼となく、先生を付ける人もいる。真意が判らない。付けておけば間違いがないと思うのか、快感の表情をみて鼻で笑っているのか。作家先生も助手や編集者に先生と呼ばせるとか。画家や習い事のお師匠さんも、先生と呼ばれる。先生の臍を曲げると怖いからか。家内に臍を曲げられると実に怖いが、先生とは呼ばない。先生も一々「先生と呼ぶな」と断っても、キリがないのか、半ば諦めて、好きにさせている。その方が楽なようだ。
 しかし、不思議なもので、先生と呼ばれ続けると、いつの間にか先生の自覚が芽生えてくる。本当の自覚ならよいのだが、大した事ないのに、自分は偉いと錯覚するようになる。これが困るのである。これは先生に限らない。役職で呼ばれても同じことである。社長、社長・・、部長、部長・・、総理、総理・・も同じこと。本当に役目を果たしていると錯覚する。完全にとは言わないまでも。乗っかっているだけで、丸投げだけで、充分と錯覚する。汗を流すのは、下っ端のノンキャリアーの役目と錯覚する。協力者をもっと思いやって欲しい。しかし、人の痛みが思いやれないからこそ、生きて行けるともいえる。
 それにしても、不思議なことがある。あれ程安倍さんを非難した舛添氏が、唯一安倍政権を支えている。安倍さんの先見の明というか、懐の深さというか、大物に見えてくる。
 ひとり言の愚痴です。ご勘弁を。


[No.331] Re:在る宗教団体に 先生とか博士と言われている実例 投稿者:やまちゃん  投稿日:2007/09/09(Sun) 12:36
[関連記事URL:http://yama1481.hp.infoseek.co.jp/

>  「先生」には二つの意味があるようだ。尊敬と軽蔑の二つである。下の者や素人がその道に詳しい人を崇めていうのが本来の意味ではないか。先生はこの尊敬を裏切らないのが建前である。学校の先生やお医者さんや政治家や弁護士で多く使われている。(同じ聖職者でも、坊さんにはあまり使われない?)選挙区の代表で同じ立場の議員でも、相手を先生と呼んでいる。

藤井さん この場にて はじめまして

俗に右寄り思想の持ち主の方が新聞を購読して、左寄りのアカハタを読んでいる人も
多々ある中で、私のところではある宗教団体の聖教新聞を永年購読して斜め読みしてい
ます。

その過去の宗教団体の掲示板で昔「天皇陛下と池田大作と比べて」→どちらが偉い
との論議をしたことがありますので、その内容を此処で紹介します。
聖教新聞は池田大作SGI名誉会長のことを先生・(名誉)博士と御上へ祭り上げるような尊敬の念で守り立てていまするその学会員たちの心情の一部を紹介します。

  天皇陛下と池田大作と比べて・・・→(12) 投稿者匿名:名無しさん

天皇陛下と池田大作と比べて・・・→ 1 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/04/09(金) 09:43
…→どちらが偉い

2 名前: タレモナシ 投稿日: 2004/04/09(金) 15:06
天ちゃんは日本一の信者を沢山持つ教祖であるが、大作はたったの天チャンの十分の一ぐらいだろう。だから天ちゃんの方が偉い。天ちゃんは日本の一等地に広大な住居を構えているが、大作はどうだ、
天ちゃんの髪の毛は沢山あるが、大作の神毛は相当に薄いのではないか。髪の毛の多いほうが偉いだろう。髪の毛の白いほうが偉い印であることは、日本人の常識であるが、大作の髪の毛は薄いばかりでなく、黒いだろう。だから天ちゃんの方が偉い。
天ちゃんの悪口を言うものは大して多くないよ、それはあの御仁は、国民の税金で食っているでけで、何も意味のあることをしない人であることもあるが、それでも大作ほどに悪く言われないよね。だから天ちゃんの方が偉い。
 まあ、このな風に、日蓮教学を勉強したものなら言うだろう。彼らは外面が重要、他人の評価が大事、之が彼等の信心なのだから。そして、自分も訳が判らずに、自分は釈迦の経典の中で一番の法華経よりも、それよりもすばらしい日蓮の法華経を信じているのだから、それだから自分は一番すばらしい人間であると妄想するのだ。
 自分のしていることはなんでも正しいと妄想するのだ。彼等の信心とは妄想であるよ。真理を知り、それを信じるのではないのだ。

3 名前: 注意! 投稿日: 2004/04/09(金) 18:40
くだらないスレをだらだらと立てないでほしいです。
管理も大変だし、容量のこともありますから。

4 名前: タレモナシ 投稿日: 2004/04/11(日) 13:43
くだらなくないと思う。タレモナシもナナシサンもまじめな人です。

5 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/04/11(日) 14:20
>タレモナシもナナシサンもまじめな人です。

君はまじめなのはわかるが、名無しさんがまじめというのはなぜわかる?w
さては多重か?ww

6 名前: Leo 投稿日: 2004/04/11(日) 23:31
>天皇陛下と池田大作と比べて・・・→

池田氏の正月一般参賀があれば今も私はバリだったであろう。

7 名前: タレモナシ 投稿日: 2004/04/12(月) 00:03
佛菩薩とビャクシ佛声門の優劣、即ち大乗と小乗の優劣。自称大乗の日蓮
 六道の中の天界かもしれない、天ちゃん。もっとも経典では、人の優劣を
 量ることのできる資格のあるものは、仏と等正覚の菩薩のみである。それ以下のものが
 そのような他者を評価するならば、自らを害するであろうとある。
 そうすると、我々は愚かであって、身の程知らずのことをしているのであろうが、まじめでないとか、くだらないことをだらだらと言っていると評価される
 のは当らないと思われる。むしろ其のように評価する人は、之が大変重大な問題であることをいささかも知らない人であるというべきではないか。

8 名前: タレモナシ 投稿日: 2004/04/12(月) 00:12
>池田氏の正月一般参賀があれば今も私はバリだったであろう。

 之はどう言う意味ですか?よろしければ解説してください。

9 名前: Leo 投稿日: 2004/04/12(月) 00:16
天皇:日本国民の幸福と世界の平和を祈っている(ように見える)
池田氏:学会員の幸福と敵対者の不幸を祈っている(ように見える)

10 名前: yuriko 投稿日: 2004/04/12(月) 00:17
>>33 注意! さん
>くだらないスレ
。。。。そうですかね?
私は、面白いと思いますね。
。。。。。管理人様、御苦労様です。

11 名前: Leo 投稿日: 2004/04/12(月) 00:21
>>池田氏の正月一般参賀があれば今も私はバリだったであろう。
>
> 之はどう言う意味ですか?よろしければ解説してください。

池田氏は学会やSGIだけに通用する人で、日本全般や世界全般に通用する人でないという意味です。
学会では正月には会館だけで衛星中継(正月だけのものではないです)がありますが、
一般の人に会見するということはありません。園遊会もありません。

12 名前: Leo 投稿日: 2004/04/12(月) 00:29
学会は普通に新興宗教ならよいですが、世界から賞賛されているのキャンペーンをやりますので、
余計パチもん臭くなっていますね。

13 名前: タレモナシ 投稿日: 2004/04/12(月) 15:53
本当に同感です。

14 名前: Leo 投稿日: 2004/04/14(水) 02:14
(自己レス)
池田氏をよりどころにされている学会員の方もおられますので、>>11は失礼な
書き込みでした。すみません。

非個人的な批判をしなければなりませんね(自己反省)。

15 名前: タレモナシ 投稿日: 2004/04/15(木) 21:36
貴方は偉い人です。修行者です、常に善を求めておられます。


[No.332] Re:在る宗教団体に 先生とか博士と言われている実例 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2007/09/09(Sun) 15:35
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やまちゃんさん(若しやLeoさん?)

> 天皇陛下と池田大作と比べて・・・

> 1 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/04/09(金) 09:43
> 2 名前: タレモナシ  投稿日: 2004/04/09(金) 15:06
> 3 名前: 注意!    投稿日: 2004/04/09(金) 18:40
> 4 名前: タレモナシ  投稿日: 2004/04/11(日) 13:43
> 5 名前: 名無しさん  投稿日: 2004/04/11(日) 14:20
> 6 名前: Leo      投稿日: 2004/04/11(日) 23:31
> 7 名前: タレモナシ  投稿日: 2004/04/12(月) 00:03
> 8 名前: タレモナシ  投稿日: 2004/04/12(月) 00:12
> 9 名前: Leo      投稿日: 2004/04/12(月) 00:16
>10 名前: yuriko    投稿日: 2004/04/12(月) 00:17
>11 名前: Leo      投稿日: 2004/04/12(月) 00:21
>12 名前: Leo      投稿日: 2004/04/12(月) 00:29
>13 名前: タレモナシ  投稿日: 2004/04/12(月) 15:53
>14 名前: Leo      投稿日: 2004/04/14(水) 02:14
>15 名前: タレモナシ  投稿日: 2004/04/15(木) 21:36

聖教新聞の購読者ではありませんが興味が出て参りました。

                           変蝠林(1917-)


[No.333] Re:在る宗教団体に 先生とか博士と言われている実例 投稿者:やまちゃん  投稿日:2007/09/09(Sun) 17:40
[関連記事URL:http://yama1481.hp.infoseek.co.jp/

> やまちゃんさん(若しやLeoさん?)
    
変蝠林(1917-)さん 皆さん方に誤解されたくないので、

私は冒頭で問題提起したテーマ「天皇陛下と池田大作と比べて・・・→ 1 」

名前: 名無しさん 投稿日: 2004/04/09(金) 09:43
…→どちらが偉い

の「名無しさん」が、多数在る硬軟の掲示板のある所では、匿名を使い分けている
「やまちゃん」です。


[No.357] Re:先生とか博士と言われている記事の実例を紹介 投稿者:やまちゃん  投稿日:2007/09/15(Sat) 13:21
[関連記事URL:http://yama1481.hp.infoseek.co.jp/

みなさん 
私は聖教新聞の機関紙が毎日Webに載っている事とは知らなかった立場で、この新聞は
組織内では過去に外部へ極秘扱いと思っていましたから、今日は何けなしの不意に色々
とWebを検索した結果、皆さん方へ説得する材料としての実態を改めて追加として、
皆さん方へお知らせできます。

> >  「先生」には二つの意味があるようだ。尊敬と軽蔑の二つである。下の者や素人がその道に詳しい人を崇めていうのが本来の意味ではないか。先生はこの尊敬を裏切らないのが建前である。学校の先生やお医者さんや政治家や弁護士で多く使われている。(同じ聖職者でも、坊さんにはあまり使われない?)選挙区の代表で同じ立場の議員でも、相手を先生と呼んでいる。
>
> 藤井さん この場にて はじめまして
>
> 俗に右寄り思想の持ち主の方が新聞を購読して、左寄りのアカハタを読んでいる人も
> 多々ある中で、私のところではある宗教団体の聖教新聞を永年購読して斜め読みしてい
> ます。
>

Webから見た記事から9/14付、一面記事に
『国立南東フィリピン大学 池田SGI会長に名誉教育学博士号』
と大きく太字で注目するように載っていますので、その博士・先生とかの名が随時記事
の中に眼に付きます、その現実を参考までに紹介します。

http://www.seikyonet.jp/sg/sp?c=Page&cid=1161803070988&pagename=sp%2FLayout


[No.334] Re: ひとり言 投稿者:   投稿日:2007/09/09(Sun) 19:09
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先生、という敬称を日本人は使いすぎますね。
これに相当する英語は思いつきませんね。

私は、60歳を過ぎてから簡易裁判所で民事調停委員という仕事をしています。週に1-2度出かけて多重債務者の申し立てた調停案件を処理するのですが、裁判所では先生と呼ばれます。
実際には老後のアルバイトにすぎないのですが、そう呼ばれるのをよくも悪くもどうでもいいという感覚でいます。
しかし調停委員同士では先生と呼ばないようにしようや、というなんとなく申しあわせができてお互いは○○さん、と呼んでいます。
ところがこの「先生」と呼ばれることに無上の喜びを感じる人がいるのです。
それは公務員出身の調停委員でノンキャリアの人なのです。
この人たちにとっては、学識経験者(調停委員は一応学識経験者ということになっています)の列に加えられ先生と呼ばれるのが無上の喜びのようなのです。
調停委員協和会といった「業界団体」の長になりたがるのもこの人種です。一円の収入にもならないのにそういうのをやりたがるのは、叙勲です。公務員としては叙勲に手の届かない地位にいたから退職後の調停委員でなんとか勲章を、と思うらしいです。
ノンキャリア公務員というのも一種独特のインフェリオアコンプレックスをもっているのですね。
該当者がおられたら失礼お許しください。
ちなみに私は総合商社のOB、100%民間人です。


[No.335] Re: ひとり言 投稿者:   投稿日:2007/09/10(Mon) 08:16
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SHIG 様

貴重で、且つ判りやすいご意見を戴きました。
涙が出るほど嬉しいです。
自分をキチッと見詰めることは難しいですね。
今尚、民生調停委員という大事なお仕事を
されて、世の中の色んな問題に遭遇されると
想像します。
今後とも、ご健闘をお祈り申し上げます。
                 藤井拝


[No.354] Re: ひとり言 投稿者:Toshichan  投稿日:2007/09/13(Thu) 22:29
[関連記事

 皆さん、まいど。

>  「先生」には二つの意味があるようだ。尊敬と軽蔑の二つである。下の者や素人がその道に詳しい人を崇めていうのが本来の意味ではないか。先生はこの尊敬を裏切らないのが建前である。学校の先生やお医者さんや政治家や弁護士で多く使われている。(同じ聖職者でも、坊さんにはあまり使われない?)選挙区の代表で同じ立場の議員でも、相手を先生と呼んでいる。学校や病院でも同僚を先生と呼んでいる。最近、若干の違和感がある。

 独断と偏見かもしれませんが、日本語の難しい点に、敬語に尊敬語、と謙譲語が有り、しかも文末に置かれる、というのが、関係しているような、気がします。

 このため、自分と相手の位置関係が解らないと、極めて使い難い。海外で知らない日本人らしい人に会った場合なんか、本当に困ってしまう。取り敢えず、英語でしゃべり掛けることになります。名刺が日本で発達しているのが、この為かもしれません。

 しかも、主語は最初の方に持って来る必要がある。そこでまあ、多少自分より上かも?と思うときは
 「藤井さん」より「藤井先生」としておくと、動詞の語尾が選び易い。
「よろしくお願いします。」でも「よろしくお願い申します。」「よろしくお願い申し上げます。」でも自由になります。喋ってる間に考えて、適当に選べるのです。

>昔「先生と、呼ばれて悦ぶ、バカはない」が流行った。「先生」と呼ぶ背景に、軽蔑と魂胆があるからか。

 したがって、これは、聞いている方が解ってなくては、ほんまの「阿呆」でっせ。

 坊さんですが、「和尚さん」が「先生」の代わりに、使えます。大僧正から小僧さんまで、使えて結構便利ですよ。

                              Toshichan in Kyouto-fu


[No.372] Re: ひとり言 投稿者:   投稿日:2007/09/19(Wed) 09:18
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69.思考は様々 2007.9.19

 子供のころから詩よりも数式が好きだった。その所為か物事を理屈っぽく考え、分析する癖が抜けない。宇宙や自然界の殆んどは理屈で動いて、理屈で説明されるではないか。しかし、世の中や、人間関係は理屈が通らない、理屈では動かないようである。正論が通らないのである。したがって、生真面目で純粋な性格は世渡りが下手ということになる。

 ある数学者は「論理は破綻する」と言った。論理の代表選手がいうのである。この意味は何かと考えている。そもそも思考とは、思うと考えるの共同作業である。簡単にいえば、考えるとは「こうすればこうなる」という理屈や論理の世界である。思うは「心に浮かぶ」というか「閃く」というか、理屈ではなくて情緒や感性の世界のようだ。人間は何かを考える訳であるが、その何かを決めるのは、心であり、情緒なのであろう。
 論理で気を付けなければいけないのは、思考の過程である。

下世話に「風が吹けば桶屋が儲かる」というのがある。あまり論理を重ねると、とんでもない結論になる。「こうすれば、こうなる」の確率が1.0より小さいからである。確率1.0未満の論理をかさねると、掛け算すると、限りなく確率0に近づくからである。途中で確率0の論理が一つでもあると、そこから論理は成り立たなくなるのである。

 主題は世の中が理屈通りにいかないことの説明である。原因は心という得体の知れない者が入るからであろう。心理学といって、心にも法則を見付けようとしているが、ようとして知れないのである。催眠術に掛かりやすい人と掛からない人もいる。
しかし、世の中は、mind controlや催眠術で動いているようにも思える。何故、心にvariationやgradationがあるのか、心の創造主がいれば、聞いてみたい気がする。情緒不安定にならないように。


[No.373] Re: ひとり言 投稿者:   投稿日:2007/09/19(Wed) 15:10
[関連記事

宇宙や自然の物質界は法則で動いているといったが、解からないという立場でみると解からないことばかりである。何故、物質には引力があるのか、何故存在するのか、何故そうなるのか、解からないことばかりである。精神世界においても、法則があるようである。今の段階では仮説であるが、作用と反作用。必要必然。因果応報。輪廻転生説などである。

 科学が発達したといっても、緒に就いたばかりの感がある。人体の神秘についてもそうである。医学が発達したといっても、解からないことばかりに思える。肉体と精神の密接な関係は否定できない。これが解明できれば、医学も飛躍的に進歩するであろう。

 遺伝子学者・村上和雄氏は、心の持ち方と、遺伝子(DNA)の特定部位のON、OFFに密接な関係があると提唱している。遺伝子のON,OFFでホルモンの生成分泌や免疫力が変わり、病気や老化にも影響すること大であると。

 古典物理学では、無から有を生じない。しかし、それでは説明出来ないものがある。どうして宇宙が誕生して、将来消滅するかである。難しい物理学は解からないが、精神とエネルギーと物質とに何か直接的な関係があるような気がする。

 坂本政道氏の「死後体験」によれば、特殊な音楽と環境にあれば、心が体外から離脱し時空を超えて移動する。そして元の肉体に間違いなく戻るという。日常でも、睡眠中に夢をみる。気を失っても、気が付く。どうも、心や魂は命とちがうようである。いずれにしても、不思議な世界があるようだ。


[No.374] Re: ひとり言 投稿者:やまちゃん  投稿日:2007/09/19(Wed) 21:32
[関連記事URL:http://yama1481.hp.infoseek.co.jp/

> 宇宙や自然の物質界は法則で動いているといったが、解からないという立場でみると解からないことばかりである。何故、物質には引力があるのか、何故存在するのか、何故そうなるのか、解からないことばかりである。精神世界においても、法則があるようである。今の段階では仮説であるが、作用と反作用。必要必然。因果応報。輪廻転生説などである。
>
>  科学が発達したといっても、緒に就いたばかりの感がある。人体の神秘についてもそうである。医学が発達したといっても、解からないことばかりに思える。肉体と精神の密接な関係は否定できない。これが解明できれば、医学も飛躍的に進歩するであろう。
>
>  遺伝子学者・村上和雄氏は、心の持ち方と、遺伝子(DNA)の特定部位のON、OFFに密接な関係があると提唱している。遺伝子のON,OFFでホルモンの生成分泌や免疫力が変わり、病気や老化にも影響すること大であると。
>
>  古典物理学では、無から有を生じない。しかし、それでは説明出来ないものがある。どうして宇宙が誕生して、将来消滅するかである。難しい物理学は解からないが、精神とエネルギーと物質とに何か直接的な関係があるような気がする。
>
>  坂本政道氏の「死後体験」によれば、特殊な音楽と環境にあれば、心が体外から離脱し時空を超えて移動する。そして元の肉体に間違いなく戻るという。日常でも、睡眠中に夢をみる。気を失っても、気が付く。どうも、心や魂は命とちがうようである。いずれにしても、不思議な世界があるようだ。

フ〜さん 藤井さん  皆さん こんばんは

この難題の話題から思い出した事がありまして、昔、私は人生に悩んだ時に宗教関係で
解りやすい硬軟の本を多数購入して、色々な角度から多読した事があります。

その中で、戦後の日本で始めて物理学中間子理論でノーベル賞を授与された湯川秀樹博士も晩年、宗教に染まったと言われています。

その本を読ん実績から、我が家の本箱で探し出そうとしましたが、引越し後に何処にし
まったかは不明、インターネットの検索で、それらしき関連タイトルを見つけましたので、そのWebを紹介します。

ノーベル賞科学者のアタマの中 築地書館
http://www.tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/ISBN4-8067-1187-X.html


[No.375] Re: ひとり言 投稿者:   投稿日:2007/09/20(Thu) 07:15
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やまちゃん

有難うございます。ひとり言もいってみるものですね。
助かりました。ご健闘をお祈りします。


[No.376] Re: ひとり言 投稿者:   投稿日:2007/09/20(Thu) 13:57
[関連記事

さしもの暑さもやわらぎ、庭先では
例年のごとく彼岸花が芽吹いています。
みなさまには、お変わりありませんか。

 親戚に80歳になる坊さんがいます。
二十年前から手術の失敗とかで、盲目ですが
電話の声は元気そのものです。
彼は、念仏がいいとか、座禅瞑想が
いいとか、墓だ仏壇だとか、一切いいません。

 ただ一言言った言葉が今も焼きついています。
この世には「アッとホウしかありゃせん」
というのです。

 アッと驚くことと、ホウと感心することかなあ。
つまりは「阿呆」だと言っているのかなと
自分なりの解釈で妙に納得しているこの頃です。
盲目だけれど、大変な高僧だと思うのは
私だけかも。

 退屈したので、そろそろと思っているような
気がしました。


[No.382] Re: ひとり言 投稿者:   投稿日:2007/09/23(Sun) 09:47
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 思考の様々(2)

 政治の本道について考えてみる。多種雑多にいわれるが、掻い摘んでみると、大きく言って二つであると思う。一つは国の方向の舵取り。もう一つは、行き届かない所の気配りと思う。ほおって置いてもよい所の配慮は要らないと思う。公平が第一義である。今回の総裁候補も格好いいことを言っているが、強い声には弱いという弱点がある。選挙中は庶民の声を聞いているが、終わると、業界や財界や派閥の強い声に負けてしまう。彼等が正確に民意を代表していればよいのだが、彼等は自分の裕福な生活を大事にし過ぎる嫌いがある。
 
 彼等は実弾の圧力を掛けられるが、庶民はそれが出来ない。税金の納付は拒絶できないような仕組みになっている。たまには拒絶するツワモノがいるが、発覚すると厳重に処罰されてしまう。それに比べて、議員や公務員の甘さよ。舛添氏はよくやっていると思う。次の総理は彼を再任する勇気があるか。安倍総理は期待をつないだ訳である。

 総理大臣の選挙も世襲制ではなく、国民の直接選挙にしてみたい。裕福な世襲制では、庶民の痛みは解からないのである。ブッシュ氏の例もあってか、直接選挙は影を潜めてしまった。当然ながらブレーンが大事になる。そうすれば、庶民の声を無視できなくなると思う訳である。党員や議員の間接選挙では甘い。国政は国民のために、国民によるものである。何故なら、等しく1票であり、1票しかないのである。もっとも、底辺には1票がない大人もいる。これを忘れては政治とはいえない。

 もう一つ言っておくことがある。財政再建は、無駄な歳出の削減と歳入の増大である。二つは車の両輪である。利益を上げた企業や個人の増税である。消費税の増加ではない。お年寄りやワーキング・プアー、母子家庭などの難民をいじめてはいけない。更に、経済と命は車の両輪である。命の大切は言うまでもない。拉致や戦争は言うけれど、これをとうとうと述べる政治家がいない。これは国内問題に留まらず、テロ対策や軍縮や世界各国の問題である。自殺や殺人や犯罪を減らして欲しい。毎日の報道を聞くに堪えない。

 東国原知事が就任当初、公共事業団体、平たく言えば、土方の親分達が大挙して県庁に詰め掛けてきた。しばらくすると、打って変わりおとなしく帰っていったという。どうやって手なずけたのか、たいしたものである。一説によれば、普賢岳に行けば、いくらでも仕事があるといったとか。