[No.289]
「バイカル湖のほとり」
投稿者:男爵
投稿日:2013/09/19(Thu) 05:37
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昴さん、 DeBugmanさん、みなさん
> 私もこのソ連の映画を見ました、丁度歌声運動がはやりだした頃で、
> この映画の中で歌われた「バイカル湖のほとり」を思い出します。
> 「石の花」もテレビで見たことがありました。昴
若いうたごえで歌われたロシア民謡の数々
こういうサイトもあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/utaroo65323/8752579.html
このサイトの内容について
以下私が独断的にまとめてみました。
☆中央合唱団からうたごえ喫茶「灯」まで
中央合唱団の創立当時、取り上げたレバートリーは、世界の革命歌プロテスト・ソングが主だった。
中央合唱団の演奏スタイルは、これらの歌に振りや演出をつけたものだった。
革命歌は腕を組んだり行進をしながら歌い、フォスターの「おおスザンナ」やドイツ民謡「村祭り」などは芝居仕立てで演奏し、「木曾節」などは樽の太鼓をたたき、鉢巻をして踊りながら歌う。
衣装も白のワイシャツとブラウス・黒のパンツとスカートに、女性は赤いネッカチーフを頭にまくという誰でも真似できるスタイルで、魅力あるものを考えだした。
1948年夏から秋にかけて、中央合唱団関西・東京公演がおこなわれた。
この公演での普及曲として、ソ連の作曲家ブランテルの「われらの仲間」が、土方与平粗訳・関鑑子訳でとりあげられ、歌唱指導したところ、大きな共感をよび、職場や学園・地域にひろがっていった。
この頃とりあげられた歌には、ロシア(ソ連)の「カチューシャ」「バルカンの星の下に」「仕事の歌」「青年よ団結せよ」「全世界民主青年歌」や、関忠亮曲の「若者よ」「晴れた五月の」箕作秋吉曲「嵐よ吹け」などがある。
また、関鑑子がピアノを弾き、歌を指導した「うたう会」もひらかれた。
そして「うたう会」で取り上げる歌の紹介として、中央合唱団機関紙「うたごえ」が発行され、それらの歌をまとめた「青年歌集」が関鑑子編集で出版されるようになった。
機関紙「うたごえ」の表紙絵や挿絵の多くを、いわさきちひろが書いている。
このような「うたう会」に大きな影響を与えるソ連映画「シベリヤ物語」が一般公開され、この映画で歌われた「バイカル湖のほとり」が爆発的に歌われるようになり、うたごえ喫茶のスタイルが生まれ、うたごえ喫茶「灯」などにひきつがれていった。