「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 1 お姉ちゃんがお婿さんを
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- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 1 お姉ちゃんがお婿さんを (編集者, 2016/3/12 9:02)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 2 兄弟の共同作業 (編集者, 2016/3/13 8:36)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 3 朝ごはんを炊く (編集者, 2016/3/14 8:02)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 4 鶏を飼う (編集者, 2016/3/15 7:00)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 5 鶏の解体 (編集者, 2016/3/16 7:47)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 6 背くらべ (編集者, 2016/3/17 8:00)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 7 ちゃぶ台が潰れた (編集者, 2016/3/18 6:46)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 8 黒電話がきた (編集者, 2016/3/19 8:13)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 9 炭火アイロン (編集者, 2016/3/20 7:58)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 10 洗い張り板 (編集者, 2016/3/21 8:30)
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投稿日時 2016/3/12 9:02
編集者
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1. お姉ちゃんがお婿さんを 1961年
描き残しておきたい昭和です。「お姉ちゃんがお婿さんを連れてきた」
昭和36年(1961年)長姉の依子が豊島区長崎のわが家にこれからお婿さんになる義信さんを連れてきた。初めて迎えるので家の中はいつもとは違う空気になった。いいカメラを提げていた。何だかみんな嬉しくなった。義信さんはその日みんなを東京湾の遊覧船に連れて行った。みんな目を輝かせた。夕食をご馳走になっていい一日だった。
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やろうとすると邪魔をする。そのくせ居ないと探し回る。接近して邪魔をし離れては探す兄弟。積み木遊び。見ていると兄弟そのものが出ます。「兄弟の共同作業は難しい」積む。息をつめてそっと。兄の手が伸びてうまく積んだ。巧みな兄とうまくいかない弟。大きすぎる積木。兄の膝もとの小さいのを奪いとる。手を払いのけられた弟。共同作業はたちまち破たん。今も昔も兄弟の姿は変わりませんね。
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朝ごはんを炊く 1953年
描き残したい昭和です。椎名町商店街の朝が新聞配達、牛乳配達、納豆売りの声で明けると私の仕事は朝ごはんを炊くことでした。
「朝ごはんを炊く」昭和28年(1953年)「まだ?」と弟が。「もうちょっと」石油缶切り抜いて作ったカマドにお釜を据え薪を焚いてご飯を炊く。いいにおいが釜のふたから蒸気になって吹き出してくる。
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鶏を飼う 1945年
昭和20年疎開先福島県伊達市のことです。「おといさんの家」昭和20年(1945年)鶏は夕方になると目がよく見えなくなるので猫に狙われる前に集めます。庭に放たれた鶏。鶏は10m追いかけると身を縮めて止まるのです。これがおもしろい。後ろから両手で捕まえて鶏小屋に投げ込みます。
投げ入れると三段小屋の最上段まで飛びあがっていきます。毎日庭を駆けずりまわっているから足腰が強いのです。疎開先で私の仕事はこれでした。朝小屋を覗いて生みたての卵を取り出すこともしました。
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鶏の解体 1952年
描き残したい昭和です。こんなことはもう見ることはないでしょう。でもいつも食べる鶏肉はどこかでこうしているのです。「にわとりのいのちをいただく」昭和27年(1952年)農家はもちろんのこと一般家庭でも鶏を飼っていました。
鶏の解体はいつものことでした。手慣れた手つきでにわとりの目を塞ぎ
小脇に抱えて驚いて暴れないようにし、首にカミソリを「スー」と当てて頸動脈を切る。暴れると死後硬直で肉がまずくなるのです。血が「ドー」と迸り出る。
鶏には何が起こったかわからないうちに気が遠くなりやがて静かになる。
子供らは恐ろしさと見たい気持ちが交錯して見つめています。
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背くらべ
昭和を思い出して描いてます。「柱の傷は おととしの五月五日の 背くらべ」の小学唱歌背くらべ。この日は精一杯背伸びして測ってもらう。柱にしるしを刻んだものでした。もうすぐ5月5日こんな家今あるかなあ。
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ちゃぶ台が潰れた 1953年
「ちゃぶ台がつぶれた」昭和28年(1953) ご飯どきにはちゃぶ台を引き出してきて足を立てて膳を据えます。でも足の立て方が中途半端だと足がぐれて大変なことに。こうなったらもうたいへん。斜めに傾いて乗っていたごはん、おつけ、おかずが滑り落ちてひっくり返る。みんな蒼白大騒ぎ。覆水盆に返らず折角作った夕飯が台無し。母親の怒号の顛末は。こうなるとみーんなかわいそうでした。
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黒電話がきた 1962年
描き残したい昭和です。ご笑覧ください。「待望の黒電話が来た」
昭和37年(1962年)豊島区長崎の家に待望の電話が開通しました。
黒電話の600型。
番号は955-3992。居間の隅に置いて
いつ鳴るか。ときめいてベルの鳴るのをみんなで待ったものです。
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炭火アイロン 1948年
描き残したい昭和「炭火アイロン」昭和23年(1948年)
こういう時代があったのです。今じゃとても考えられないアイロンです。
鋳鉄製でいかにも鉄の塊のアイロン。これに赤く焼けた炭火を入れて洗濯物のしわを伸ばしたのです。どっしりと重いアイロンは扱いがたいへん。やけどしないように。昭和20年代の初めのころまで使われていました。火ごてというものもあって火鉢で熱して取り出し、頃合いを見てしわ伸ばしに使ったものです。
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洗い張り板 1953年
描き残したい昭和です。「洗い張り板のすべり台」昭和28年(1953年)呉服屋で使っていた洗い張り板。普通の家にもあった。ひなたの庭先。縁側に板を掛ける。長さ6尺の洗い貼り板。浴衣を貼りつけてピンと乾かす。短いからモノ足りないがそれでも子供は滑り台にしてうれしい。洗い張りのやりかたは室町時代からあったものだといます。