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京都市電の乗車券(Pan)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/3/10 10:42
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
投稿者:pan
みなさん こんにちは。

 古い机を片付けていたらこんな物が出てきました。

 どんな路線があったか良く判ります。

 察するところ、昭和18年8月6日16:30頃に、河原町
丸太町から京都駅まで乗った乗車券のようです。

 切符《きっぷ》と云ったと思います。 車掌《しゃしょう》さんがパチパチと専用の
ハサミで要所要所に穴を開けてくれました。

 大人用だと思いますから父が使ったのかも知れません。

Pan





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編集者 (代理投稿)

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/3/15 10:52
紫竹の  一人前 居住地: 神戸  投稿数: 92
京都市電の乗車券に刺激《しげき》されて、探してみたら、捨てたか
と思っていた物が出て来ました。その頃、ずっと貯めて
いたものが残っていたのです。

実際は、これは乗継用《のりつぎ》の切符で、乗った所、乗り継ぎの場所、
行き先にパンチが入ります。もちろん、時刻なども。

で、とりあえず、Panさんのは午後の分でしたから、似たような
年月日の午前のものをアップします。あっ、8月のもありました。
時刻表示の形が変わっています。8月から変わったようです。

その後、仔細《しさい》に見ていて、小さな違いを見つけました。戦争中、軍需《ぐんじゅ》目的のため、市電の路線を増やしていました。そして、7月の券ではなかった白梅町~円町間と高野~百万遍間が8月の券には出来ています。

実物は横95mm、縦43mmくらいです。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/3/16 10:01
紫竹の  一人前 居住地: 神戸  投稿数: 92
京都市電の憲法施行記念乗車券です。昭和22年
この時は、運賃は40銭だったようですが、このあと、昭和29年の乗車券は25円になり、
36年も25円ですから、20年代《1945年~》のインフレが凄かったのでしょう。

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/3/17 6:29
紫竹の  一人前 居住地: 神戸  投稿数: 92
次は「増区記念乗車券」です。どの区が増区されたのかは、図柄《ずがら》を見ても、そのほかちょっと調べましたが、よくわかりませんでした。わかりましたら、書き加えます。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/3/17 8:30
紫竹の  一人前 居住地: 神戸  投稿数: 92
京都市の河原町今出川~洛北高校前間の開通記念乗車券です。
昭和36年10月12日ですが、何でこのような半端な日なのか。
宮水さんに、メロウ倶楽部神戸勉強会で教わった万年カレンダーによると、金曜日です。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/3/17 8:45
紫竹の  一人前 居住地: 神戸  投稿数: 92
京都市の市電記念乗車券のうち、四条通拡張50年記念のものです。
四条通と言えば、祇園祭(メロウ倶楽部のメロウ動画館にビデオあり)の通るメインストリート。
これが拡幅されて50年と言うこと。と言うと、この乗車券の日付が昭和34年(1959年)。
つまり、1909年(明治42年)に拡幅されたと言うこと。多くの老舗が移動しなければならなかったのでしょうね。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/3/17 9:02
紫竹の  一人前 居住地: 神戸  投稿数: 92
京都市は、最初、東京市、大阪市と同様に、特例による市となっていました(明治22年 1889年)。
特例による市というと、今考えると、自治権が大きいように思われますが、当時の特例は、中央の影響が大きいと言う意味だったのです。
それが、明治31年(1898年)、市制全面施行(市制特例廃止)ということになったと言うこと。
それから60年の記念乗車券です。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/3/17 9:14
紫竹の  一人前 居住地: 神戸  投稿数: 92
京都の市電は、日本で最初に走った市電でした。狭軌で、七条から伏見へ行っていた線です。実際は、京都電気鉄道株式会社。
市営交通事業は明治45年《1912年》で、烏丸通、四条通などを走るもので、標準軌でした。
いろいろ発展してきた市電でしたが、この昭和36年7月31日に、京都駅から北野神社までの狭軌の線が廃止になったのです。
http://www.city.kyoto.jp/kotsu/history/kotsu_history.htm
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/3/23 11:12
紫竹の  一人前 居住地: 神戸  投稿数: 92
ここにアップする乗継券は、補充券《ほじゅうけん》だったと思います。つまり、日にちしか印刷してありませんから、年月が違っても使えるわけです。その日の年月日が印刷してあるものがなくなったあと使うわけです。ただし、色の違いなどはどういう意味かわかりません。また、時間も8時から24時になっていて、午前から午後にかけて使用できます。
一番左の赤い線路のは、銀閣寺~天王町がつながっていますから、一番新しいもののようです。

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/3/27 16:51
紫竹の  一人前 居住地: 神戸  投稿数: 92
ここにお目にかけるのは、いよいよ紙が不自由になったころの乗継券だと思います。
何も書いてありませんから、どう使ったのかよくわかりません。
東西南北は方角でしょうね。あと、「自」はバスでしょうか。「電」は電車、「無軌」はトロリーバス《=電力の供給を架空線から受けて走るバス》でしょうね。「事」は事故のときに使うのではないでしょうか。
真ん中の数字は、1のもあるし、31もありますから日にちでしょう。周りの1から12までは時間でしょうか。でも、午前か午後かがわからない。色違いの券もないですし、どう使うのでしょう。とんでもない時間でなければいいのでしょうか。
大きさは、縦は他の乗継券と同じ45mmくらいですが、横は47mmくらいしかありません。
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