「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び
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- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 31 鉱石ラジオ (編集者, 2015/12/22 6:50)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 32 棒のぼり (編集者, 2015/12/23 7:53)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 33 影絵遊び (編集者, 2016/1/1 9:13)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 34 ターザンの映画 (編集者, 2016/1/2 7:40)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 35 浅草花やしき (編集者, 2016/1/3 7:38)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 36 釘さし (編集者, 2016/1/5 6:42)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 38 ドジョウとり (編集者, 2016/2/7 17:16)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 39 ギンヤンマを追う (編集者, 2016/2/20 15:37)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 40 ビー玉を星に (編集者, 2016/2/25 8:30)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 41 兄と将棋 (編集者, 2016/2/27 20:17)
編集者
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鉱石ラジオ 1950年
描き残したい昭和です。このラジオ番組を知っている人はもうあまり多くはないでしょう。鉱石ラジオで夜の番組を寝床で聞くのです。昭和25年(1950年) 銅線をコイルにしてバリコンを作る。
黄銅鉱で微弱な電波をキャッチする。
電池も電気もいらないのです。不思議でした。夜9時NHKドラマ「えり子と共に」が始まる。爽やかな鈴虫のような声の阿里道子。ドラマの挿入歌は「雪の降る街を」でした。「日曜娯楽版」という番組は夜7時半チャッツチャッチャッツと鈴が鳴って始まりを告げます。
「ニチヨウゴラクバーン」
三木鶏郎作のコント
愉快なトークが始まる。
楠木トシ江、中村メイ子、三木ノリ平、丹下キヨ子、有島一郎、太宰久雄、千葉信男、河井坊茶、逗子とんぼ、なべおさみ、左トン平。三木鶏郎楽団はとぼけた演奏で、ジョージ川口、小野満、鈴木章治。どうです?!ご存知の方は懐かしいでしょう。
編集者
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棒のぼり 1951年
描き残したい昭和です。「棒のぼり」昭和26年(1951年)吊り下げられた竹竿をよじ登る。両手はしっかりと棒を掴み、足の指は大きく開いて棒に絡ませる。グイッと両足の膝を伸ばし上に体を引き上げる。ただ登るだけでなく早く登ること。この運動は木登りの基礎体力を増強するのに役に立ちました。
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影絵遊び 1951年
「太陽がいっぱいの縁側」昭和26年(1951年)
どこのうちにも縁側(えんがわ)があった。座敷の外側にそう細長い板敷。万能の家族の居場所だった。太陽の光をいっぱいに浴びて影を作って遊ぶ。本を読んだり子守をしたり。
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「ターザンの映画に熱狂した」
昭和25年(1950年)
みんな手を叩いて狂喜した。
間一髪助かった。
川に流されていく白人の子ども。
川の先は滝。「アッアアー」ターザンの雄叫び。危急をチンパンジーのチータが知らせた。森の中から蔦を伝って現れたターザン。
川に飛び込み抜き手を切って。チータは木を揺らして喜ぶ
アフリカ生まれのジャングルの王者として活躍したターザンの物語。水泳のオリンピック金メダリストだったジョニー・ワイズミュラー(一九〇四~一九八四年)が主役を演じた。ターザンの復讐、同逆襲、同猛襲、同黄金など子供らはターザンの活躍に熱狂したものだった。なにしろ強い。正義の味方。ハラハラする場面に必ず現れて悪党どもを退治した。捕らわれの身になってあわや殺される寸前にチータの機転で生還するなど、子どもらはターザンが大好きだった。
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「浅草花やしきの生首女」 1952年
いまだにそのカラクリがわからないのですが。
どうなっているのか、どうしてもわからない。テーブルの上に女の首が乗っていて、ちょっと動いたり微笑したりしている。下にあるはずの体がない。
1853年(嘉永6年)に開園した浅草花やしき。昭和27年には、ローラーコースター、メリーゴーランド、ビックリハウス、お化け屋敷、トリックなど多彩なアトラクションがあった。
隣りでは「びっくり鬼」。玉を当てると金棒を上下させて「ワウー」と叫ぶ。
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釘さし 1954年
「釘さし。1センチ四方のエリアに刺す技」 1954年
高木保幸さんから昔懐かしい「釘さし」遊びを懐古していただきました。私も同じころ、所は異なりましたが同じ遊びをしていました。使う道具は5寸釘。釘の頭は玄能で潰す。高木さんはさらに先端を砥石で研いで鋭くする。できた釘は指でつまみ、右手を振り上げて鋭く振り下ろす。手首のスナップを利かして。目は目標を見据えて正しく命中させる。釘刺点のエリアは1平方センチに設定する。遊び方は①線を引く②じゃんけんで先攻を決める。③釘を刺し、そこを線で結ぶ④後攻は先攻の先端を追う⑤ゲームが進むと蜘蛛の巣のようになり相手を包み込む⑥隘路脱出不可能となれば降参⑦線のクロスはできない、というルール。少年時代にタイムスリップして高木さんと夢の対戦。さて勝敗はどちらに。
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ドジョウとり 1950年
「泥の中からドジョウを取る」東武浅草線玉ノ井駅から歩5分。墨田区寺島町5丁目57番地の実家。東武線の際にあった。線路際に長細い水路があった。いつもは沼のようになっているが水が乾くと水の生物は泥の中に深くもぐりこむ。乾いた泥の表面を見ると小さな穴ができている。穴を辿って掘り下げると、「いました」ドジョウが。キューと泣き声をあげて掴んだ手から逃げようとする。こうして捕まえたドジョウは一家の蛋白源になった。
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ヤンマを追う 1951年
「大倉別邸でギンヤンマを追う」昭和26年頃の東京の墨田区向島の光景です。遊び場は大倉別邸。あの大倉喜八郎の別邸です。江戸時代は徳川第11代将軍家斉公の屋敷だった。トンボの楽天地。無傷のギンヤンマを捕りたい。まずメスを捕獲して糸で縛り篠田家に糸を結んで放す。雄のギンヤンマはメスを追う。飛びついたらもう離れない。糸を手繰って雄を捕らえる。夕方虫が飛び交う時がチャンス。いいヤンマの捕獲競争。形姿いいのが捕れると仲間の間で自慢にしていた。
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ビー玉を星に置く 1952年
「狙いすましの一投、はじけ散るビー玉」 1952年
地面に星を描く。ビー玉を星に置く。第一投者は狙いをすます。星のビー玉に当ててはじけ出たビー玉を獲得するゲーム。みんな、自慢の「親玉」を持っている。ルールによって鉄でできたビー玉、「鉄ビー」を親玉に使ってもよい。第二投者以降は先行の親玉に当ててもいい。命中できれば相手はアウト。自分の投げた親玉が星に留まると失格でアウト。
精神を集中し、腰を落として初速度をコントロール。3メートルの距離ならば10中8、9は命中できる技量をみんな持っていた。そのためにみんなシャドウ練習で腕を磨いた。
思えばこんなに面白く熱中した遊びはなかったです。
編集者
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兄と将棋 1951年
将棋のプロは次男が多いのだという。僕も次男。じゃあ、もっとやっとけばよかった。小学4、5年頃から将棋が盛んになった。兄とやる。どうしても勝てない。愉快そうに兄は笑うので余計に悔しい。盤を蹴飛ばし駒を振り払う。しばらくすると、ほとぼりが冷めて「またやろう」「おこるからやらない」「もう、おこらない」。孫が来て次男のほうを見ると、兄に負けまいと一生懸命真似をしている。長男お蔭で次男は早めに遊びを習得する機会に恵まれている。