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Re: ああ! 大廈、将(まさ)に顛(たお)れんとす

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あんみつ姫

通常 Re: ああ! 大廈、将(まさ)に顛(たお)れんとす

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/7/24 22:07
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
不虻さん

詳細な史実をありがとうございました。
教科書にもこれほど詳しくは出ていないでしょうね。

殊に8月12日の日記に書かれた、当時の新聞記事
など、貴重な資料ですね。
これほど詳しい記事が、実際に新聞で読み取れたとは
驚きです。もっと隠されていたのかと思っていました。


引用:
『8月19日』
昭和二十年八月十五日・正午、畏くも陛下御自らマイクの前に立たせられ「争終結の詔書」を下された。已んぬるかな!万事が終わってしまったのだ。
あの防空壕のなかで詔勅を拝した時は、予期していたこととは言いながら、涙滂沱として下り、唯泣くのみだった。そして、遂に聖慮を安んじ奉り得ざりし我等は死してなお罪をまのがれず、と思っていた。
………………
部屋に戻って部下総員を集めて話した時も、最後はついに泣き伏してしまっ何故かは知らず、ただ溢れ来る涙のみであった。


弱冠25~6歳の若者の文章のとはとても思えませんね。
当時の青年は みなこのような文章が書けたのでしょうか(@_@)

一途な若者の心に、敗戦がいかに色濃く失望感を与えたのか
とてもよく分る気がします。

引用:

如何に身を処すべきなのだろうか? 大西中将の遺言には「生き抜いて聖旨に添い奉れ」とあり、美原校長閣下は「生きて戦後の処理に全力を傾けよ」と諭された。

古屋副官!私も今、ややもすれば生きていく希望を失いそうです。


臨場感の溢《あふ》れる記録に、読むこちらまで涙ボーの思いです。

その時代を如実《にょじつ=真実のまま》に語る日記、
昭和10年から20年くらいのまさに激動の時代を生きられた不虻
さんだからこその、後世に残せる資料ですよね!
ありがとうございました。
終戦直後の様子など、またご披露ください。

--
あんみつ姫

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