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Re: レンパン島捕虜収容所 第三部

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としつる

通常 Re: レンパン島捕虜収容所 第三部

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/9/24 20:02
としつる  半人前 居住地: 東京  投稿数: 31
てっちゃんさんご無沙汰の としつるです。あの敗戦末期における海外派遣の軍隊がどのようにして対処したのか、あの時機随分と興味を持っていました。

結果はシベリヤ送りになってしまった関東軍など捕虜として敗残兵として已む無い結果など、それに較べたら米英軍の処置にあったてっちゃんなど、ご苦労は同じ悲惨でしたろうが恵まれたようですね。

ついぞ外地での従軍にまで到らなかった老生など、敗戦の数年後までは如何《いかが》推移《すいい》するものかと案じておりました。
引用:
俳句会の誕生 俳号の決定
2月初め臼田亜浪門下の俳人であった第一小隊長加籐燕雨が音頭を取り
滝本隊長が賛同して俳句会が作くられた。
加藤小隊長は、「俳句は誰でも作れる。先ず「句会」と言うものを始めて
日本的な風流に親しみ故国を偲びたい。俳句には俳号と言うものがある。
自分の俳号は燕雨である。みんなそれぞれ好きな俳号を作れ」との号令で、
滝本隊長以下好き勝手な思い思いの俳号を作り、にわか俳人が誕生した。

句会 第1回から10回まで 361句
昭和21年2月11日、紀元節の日に第一回の句会が将校宿舎で開かれた。
我々滝本隊は、昭和20年10月26日レンパン島上陸、翌21年6月14日
出港、鹿児島港へ同年7月2日上陸復員したのであるが、帰国までに
10回の句会が開かれた。

{中間部分略}ご免なさい。

生死を共にした戦友の絆に結ばれ、援けられて、激動の20世紀を超えて、21世紀まで
生き永らえた幸せを噛み締める今日この頃です。本当にありがとうございました。
                            
此処まで充分読ませて頂きました。結果から言えば味のある抑留期間
、何とも辛かったでしょうが、現在を思えば味わいある不思議な後生を過ごされた訳ですね。

又の昔語りをお聞かせ願えればと、益々のご健勝を祈らせて頂きます。

            04.09.24PM;としつる


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