防寒頭巾
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投稿日時 2004/11/23 15:01
かれい
投稿数: 137
終戦の翌年1946年に疎開先の宮津《京都府》で入学しました。そこでの思い出は楽しく、懐かしいものばかりですが、冬の寒さだけは辛かったです。
屋根から大きなつららが何本も垂れ下がったり、雪が軒下まで積もったこともありました。
通学時はみんな、綿のいっぱい入った防寒頭巾《ずきん》を被《かぶ》ってました。
これは手放せない防寒具で、私のは水色の麻の着物を利用して作られたもので、冬に麻というのも変ですが、子供心には色が誰のより綺麗《きれい》だったので気にいっていました。
でも、手足はしもやけでばんぱんに腫《は》れあがってました。
その頃は毎朝校庭で朝礼があり、全校生徒が「きおつけ」状態で校長先生のお話を聞くことになっていたのですが、この時がいちばん情けなかったかったです。もちろん、この時は頭巾は被れません。
一年生から六年生までがクラス毎に列を作るのですが、これがどういうわけか背の高い順でした。一年生の中でもチビだった私は端列の最後尾。
さえぎるものもない吹きさらしの中で、寒くて、冷たくて、ただただ、早く終わらないかと、そればかり考えて立っていました。
靴の中に(はき物の記憶は定かではないのですが藁靴(わらぐつ)だったのかもしれません)唐辛子(鷹《たか》の爪)をいれると血行がよくなるという話があったようで、そんなものを入れて貰ったりもしましたが、効果があったのかどうかわかりません。
冷たくて、半べそで帰ると、母がバケツにお湯をいれてくれるので、その中に足を浸すと、しもやけが痛くなったり痒《かゆ》くなったりしました。
屋根から大きなつららが何本も垂れ下がったり、雪が軒下まで積もったこともありました。
通学時はみんな、綿のいっぱい入った防寒頭巾《ずきん》を被《かぶ》ってました。
これは手放せない防寒具で、私のは水色の麻の着物を利用して作られたもので、冬に麻というのも変ですが、子供心には色が誰のより綺麗《きれい》だったので気にいっていました。
でも、手足はしもやけでばんぱんに腫《は》れあがってました。
その頃は毎朝校庭で朝礼があり、全校生徒が「きおつけ」状態で校長先生のお話を聞くことになっていたのですが、この時がいちばん情けなかったかったです。もちろん、この時は頭巾は被れません。
一年生から六年生までがクラス毎に列を作るのですが、これがどういうわけか背の高い順でした。一年生の中でもチビだった私は端列の最後尾。
さえぎるものもない吹きさらしの中で、寒くて、冷たくて、ただただ、早く終わらないかと、そればかり考えて立っていました。
靴の中に(はき物の記憶は定かではないのですが藁靴(わらぐつ)だったのかもしれません)唐辛子(鷹《たか》の爪)をいれると血行がよくなるという話があったようで、そんなものを入れて貰ったりもしましたが、効果があったのかどうかわかりません。
冷たくて、半べそで帰ると、母がバケツにお湯をいれてくれるので、その中に足を浸すと、しもやけが痛くなったり痒《かゆ》くなったりしました。