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Re: 私の戦後はまだ終わらなかった

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しんちゃん

通常 Re: 私の戦後はまだ終わらなかった

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2005/7/23 11:06
しんちゃん  新米 居住地: 河内長野市  投稿数: 20
スカッパーさん。

“私の戦後はまだ終わらなかった”を最後まで感慨深く読ませていただきました。

戦後58年(この文書の紹介の当時)経《た》っても、肉親を思う切々な気持ちが伝わってきます。
特別攻撃隊の基地としては、知覧《ちらん》が余りにも有名になりすぎて、串良は良く存じませんでした。

私が軍需工場で油まみれになっていた14歳の頃、(昭和19年10月頃)フイリッピンで初めて神風特別攻撃隊なるものが編成され、敵の航空母艦を撃沈したとの新聞報道があったのを記憶しています。たしか「忠烈《ちゅうれつ=忠義のきわみ》万世《ばんせい=永遠》に燦《さん=きらびやか》たり!」とあったように思います。
当時は戦果ばかりが報道されて、国の未来を信じて死んでいった方々(20歳前後)の気持ちを推しはかる余裕はありませんでした。

昭和20年頃からですか、鹿児島の各基地から特別攻撃機が沖縄に向けて片道燃料だけで飛び立ちましたね。
国民の多くは新聞・ラジオによりウソの戦果に鼓舞《こぶ=ふるい起こす》され続けました。今にして思えば、18才から23歳位の特攻隊の方々の気持ちはどの様であったかと推察致します。

日本は60年間も平和が続いております。これからも戦争の悲惨《ひさん》さを後世に伝えて、2度と戦争を繰返さないようにこの伝承館で伝えていかねばと思います。

しんちゃん

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