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Re: 八瀬物語

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  • 通常 八瀬物語 (ほのぼの, 2007/7/26 10:46)
    • 通常 Re: 八瀬物語 (ほのぼの, 2007/7/27 11:14)

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ほのぼの

通常 Re: 八瀬物語

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/7/27 11:14
ほのぼの  半人前   投稿数: 33
中学や高校への通学には、京福電車(俗に叡山電車と呼ばれていた)を利用することが多かった。
その頃の思い出である。

男女共学、そして死

 昭和23年、我々が旧制中学4年生の頃、京都市では、進駐軍の命令により、突如、実際に学生達にとっては正に「突如」、それまでの男子の中学校と高等女学校が、男女共学体制をとる事となった。 それまでは男子中学生は、硬派であれ、軟派であれ、道ですれ違う女学生達に、常に強い関心と興味と、そしてあわよくばという冒険心を持っていたものだった。 その原点には、女学生に対する憧憬《しょうけい=あこがれ》があった。 その故にこそ数々の青春の詩歌が詠まれた。 小説が書かれた。 学生達はラブレターの哀歓を体験するのであった。 かの琵琶湖周航の歌の歌詞の中に、何度「乙女御《おとめご》」という憧憬の言葉が出てくることか。

 それが、幸か不幸か、いや、やはり大方の意味では幸であったのだろう、有無を言わさない進駐軍からの絶対的命令によって、強制的に、夢にまで見た共学の中の学生とされてしまったのである。 男子学生と女学生が、机を並べるごく身近な存在となったのである。
 それまでお互い声をかけることすら遠慮していた学生同士が、いつでも話が出来る環境となった。 これだけでも、我々にとっては、正に天地がひっくり返る大事件だったのである。 今から思えば、あのときのあの事態は、例えば青年心理学的実験として、関係する心理科学者には、実に面白い課題であったに違いない。

 男子学生の中に、純粋に恋愛するものが出始めた。 その多くは、しかし片想いであった。 或いは恋愛すると言うことに恋していたのかもしれない。 憧憬が具象《ぐしょう=具体》化されたと見ることもできるかもしれない。 しかし、当時はまだまだ、それまでの儒教《注=1》的教育概念、或いは教育勅語的躾(しつけ)が、学生達の身にしみこんでいたこともあって、今の世に見るような無軌道的行動は少なかった。

 事はあくまでも純粋であった。 純粋はそれ自体、貴いのであるが、それ故に危険でもあった。 片想いの男子学生は、真面目な彼の恋が成就《じょうじゅ》できないという事実に直面したとき、彼は一人で、鉄道自殺してしまったのだった。 純粋な、真面目な、静かな学生だった。

 或る男子学生はまた、多くの女子学生にアッピールするべく、いわゆる「目立ちたがりや」、自己顕示《じこけんじ=自分をはっきり示す》的になった。 それは多分、決して意識的ではなく、自然とでそうなったのであろうと思う。 彼は我々男子学生でも、惚《ほ》れこむ様な剛毅《ごうき》、快活、且つ行動的な人物だった。 学業成績も優秀で、常に好奇心の強い積極的な男性であった。 彼はある時には、登校に際して、学校の正門前まで、タクシーで乗り付けたりした。 その時、新制高校生でありながら、高下駄にマントのスタイルであった。 当時は未だ、タクシーの数も少なく、それらはいわゆるブルジョア階級の乗り物であった頃である。 確かに彼のこの行動は学生達にアッピールしたことは事実である。 このような子供じみた無邪気さは、或る意味で明るい話題ではあった。 しかしアッピールが遂に不幸を導くこととなった。 彼は、理科事典で調べた青酸カリの、人間に対する致死量を実験的に確認するとして、自ら、その辞典に記載された致死量の半分の量を、これだったら致死量ではないはずだと、言いながら、服用したのだった。
 彼は苦しみ悶《もだ》えて、そして死んだ。救急車というものも未だ無い頃だった。 これも事故死と言うのであろうか。 それにしても、実に勿体ない彼の生命だった。

 今一人の男子学生は、私のピンポンの強敵手であった。 しかし彼はいわゆる年頃になっても背が伸びなかった。 周りの学生達が、大人びた姿格好、体格になり、女子学生は眩《まばゆ》いばかりの姿に、成長して行くのに、己は何時までたっても子供子供した体格である。 精神的には皆と同様に成長しており、成績も優秀であった。 男子学生だけの環境にあるのであったら、例えそれで、からかわれることがあったとしても、そんなことは、あまり気にはしなくて済んだであろうが、女子学生から「可愛いい」なんて言われたら、男としては極めてつらいものだ。 彼は悩んだ末、ある日、遂に、自らの頸動脈《けいどうみゃく》を切って、出血多量で死んでしまった。

 これら3人の男子学生は、いずれも、有能有才な青年達であったし、もし今まで生きていてくれたのであれば、今の世にあって、それぞれに、大成したであろう人物である。 誠に惜しい、彼らの死であった。 男女共学の始まりという、学制維新に於ける過渡的な時期での犠牲者である。   合掌。

それにも拘《かか》わらず、女子学生からは、遂にただの一人の犠牲者、自殺者も出なかった。 そして、私はこの事実に気づいたとき、まこと「女は強い」と言うことを実感し、恐怖したのだった。

注1 儒教=仁を根本とする政治・道徳を説いた孔子を祖とする中国の教説

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