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玉砕戦に生きた兵士 ( 倉田 洋二 )・3

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通常 玉砕戦に生きた兵士 ( 倉田 洋二 )・3

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2008/10/7 8:17
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 戦後、海洋生物学を学ぶ

 東京都水産試験場の職員として働き始め、出張ということで東京深川の水産講習所で堀重蔵、妹尾秀頼教授、他の学生に混じって数々の講座を受講した。新宿の資源科学研究所で岡田彌一郎博士等。パラオの熱帯生物研究所の研究員であつた阿部宗明、江口元起博士他、パラオに居た加藤源治先生等からも個人的に色々ご教示いただいた。岡田彌一郎博士の戦前パラオのタイマイ(亀)の研究は特に私の注意を引いた。


 品川、お台場でマガキ養殖

 堀教授からの教示により品川台場でのマガキの採苗試験に松本技師と取組み成功した。
 その時に浦島橋で見たアカウミガメに興味を引かれたのを発端に東京湾、伊豆七島、小笠原のアオウミガメに目を付けた。岡田教授の指導でもある。

 伊豆大島、小笠原に海亀を追って

 日本沿岸のアオウミガメは小笠原から来遊すると推定し、岡田教授の指導の下で研究を続けた。世界にさきがけた小笠原のカメの人工孵化は明治時代に島庁長官の小花作助により開始され惜しくも第二次大戦で中断していたのを小笠原返還後私は復活させた。


 米国のP・O・Wとなった日本の一兵士、三十年後に米国へ

 国際ウミガメ会議が米国で開催され、私は外務省より日本代表とし出席する為、バンクーバー経由でワシントン、ケネディ空港へ向った。会場となった国務省で小笠原のアオウミガメの放流成果を発表し、世界にさきがけた人工孵化の再開は注目を浴びた。 
 ゼロ戦乗りであつた東京大学の鯨博士こと西脇教授にほめられたのも嬉しかった。パラオ諸島アンガウル島で米国捕虜となった一兵士が三十年後に米国国務省の講堂で講演をするなど夢にも考えなかった事であつた。生きていて良かつた。


 再びアンガウル島に暮らす

 私の海産爬虫類の研究はアオウミガメからタイマイも含め、やがて比国の絶滅危惧種ミンドロワニに及んだ。比国パラワン島に国立ワニ研究所をJICAで建設しミンドロワニ・イリエワニの研究を開始、今も継続している。そして今、パラオのタイマイ・イリエワニの研究を継続し、再び玉砕島アンガウル島に暮らしている。

 (2003年4月) 

 ー完ー

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