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元イギリス人空軍兵士生野町訪問

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通常 元イギリス人空軍兵士生野町訪問

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2010/2/15 8:55
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 スタッフより

 この記事は、兵庫県朝来郡生野町(現在は「朝来市」(あさごし))の広報誌紙に掲載されもので、佐藤文夫さんおよび当時の関係者のご了解を得て掲載するものです。
 なお、この記事は、このメロウ伝承館に長く掲載させていただきました「捕虜と通訳 (小林 一雄)(第1部・第2部)」の後日譚ともいうべきものです。
 どうぞ、合わせてご覧ください。
 

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 元イギリス空軍兵士
 59年ぶりに生野町訪問


 生野銀山や捕虜収容所跡を家族と共にめぐる

 戦時中生野銀山の捕虜収容所で働かされていた、元イギリス空軍兵士4人と家族4人が、終戦から59年目の終戦の日の8月15日に生野町を訪れました。

 4人は元イギリス空軍の兵士で、1942年(昭和17年)にシンガポールから船に乗って退去する途中、日本軍の潜水艦に撃沈され捕虜となりました。
 ジャワ島で1年余りの捕虜生活を送った後、1943年に船で日本に移送され、和歌山の収容所へ行きました。その後和歌山分所が閉鎖になったため、1945年3月に生野収容所に移送され、三菱鉱業の管理下で終戦まで働きました。
 生野収容所では、鉱山の仕事に従事していました。


思い出をたどる旅
 
 ジョン・フィリップスさん (87)
 ロバート・ポグソンさん (87)
 ジョージ・ダンパーさん (84)
 エリック・ロビンソンさん(82)

 の4人とその家族4人は、生野駅からマイクロバスに乗り、まず史跡生野銀山に向かいました。
 今は観光坑道として多くの見学者が訪れている「金香瀬坑」は、捕虜生活時代に過酷な作業をしていたところです。ゆっくり坑内を見学しながら、昔の過酷な作業のことなど思い出話をしてくれました。
 その後猪野々の収容所跡に移動し、今は町営住宅が建つ一角や、白口川の流れを懐かしそうに見ていました。
 猪野々の収容所には終戦時、イギリス人やアメリカ人など約440人が収容されていたそうです。
 収容所での生活は不衛生で監視兵による殴打は絶えなかったそうですが、ポグソンさんは同じ場所で働いていた親切な日本人技師のことを「ある日の昼食時、腐りかけたような私の弁当を見かねて、それを川の中へ捨てさせて、自分の弁当を半分分けてくれた」と言い、生野の町を「山の緑と折々に咲く花が美しい山間の町」と覚えていてくれました。

 イギリスから来られたみなさんを佐藤文夫さん(奥銀谷)、自瀧祐三郎さん(竹原野)、山木武男さん(6区)がJR生野駅で出迎え、町内を案内したり昔の思い出話をしてくださいました。
 ひとつずつ思い出を紐解きながらとても和やかなひと時を過ごすことができました。
 59年という時間が過ぎて、再び日本を訪れ、自分達のつらい心の傷を振り返り、これからの人生を前向きに生きていきたいというみなさんは、「多くの人が死んだ戦争、勝者などいない戦いだった」と話し、生野で終戦を迎えた時、赤十字から贈られた救援物資を町民に贈ったりして町民との交流が深まったとも笑顔で話してくれました。
 生野での滞在は、わずか5時間ほどでしたが、JR生野駅で「ありがとう」と何度も繰り返し列車に乗り込んだみなさんを、「いつまでもお元気で…」と願いながら見送り、改めて平和の大切さを強く考える機会を与えられたことに感謝した一日でした。

 案内をしてくださった、佐藤さんに当時の捕虜の思い出や、59年ぶりに生野を訪れ
たみなさんとの話などを寄稿していただきました。
















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