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昭和初期のスキー 不虻

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編集者

通常 昭和初期のスキー 不虻

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2011/1/4 19:50
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 はじめに

 スタッフより

 この投稿(含・返信)は、メロウ倶楽部の公開サイト「大正の部屋」への
 投稿(2008/02/10)を、投稿者(含・返信者)のご承諾を得て転載するものです。

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 みなさん こんばんは。
 伸さんのローラースケートの話,愉しく拝見しました。それに吊られて今度は雪国の遊びを御紹介したいと思います。

 私が小学校4年の3学期、昭和5年、2月11日の紀元節を挟んで長野県野沢温泉スキー場で全国スキー大会が開催されました。今で言えば国体ですか。丁度、欧州のスキーの名手、H・シュナイダーが前年オーストリアから来日し、日本でもスキー熱が高まってきた時期でした。この大会には草津からも数人の選手が参加していましたので、父が私を連れて行ってくれました。

 選手の物は別ですが、当時の一般のスキーは、本体がイタヤや楢、樫などの木製、最上級は北米のヒッコリー製でした。靴は私など小学生はゴム長靴、そして当時ビンディング(正確にはビンドゥンクか)と呼んでいた締具は、靴の爪先と足首をベルトで締めてスキーと靴を固定させる方式。杖は竹に丸い輪の付いた杖2本(父の頃は1本杖だったそうですが、当時は2本杖になっていました)。

 また当時の主な技術は、全制動、シェーレン・クリスチャニア(シェーレはドイツ語で鋏みのこと、クリスティアニアはノルウエー、オスロの古名。鋏みのような形にスキーの一部を重ねて回転する技術の名称)、テレマーク(ノルウエーのテレマーク地方で生まれた回転方法。片膝は深く、もう一方の膝は浅く曲げ、大きな半径で回転する方法)などでした。いずれもシュナイダーが伝えたアールベルク・スキー術以前の技術でした。

 帰りは大雪で草軽電鉄が止まってしまい、泣きべそをかきながら遠回りしてやっと帰りました。あの頃の小学校では体操の時間は何時もスキーで、家へ帰るのも家までスキーで滑って帰ったものです。

 スキー技術も装置もゲレンデも今は今昔の感があります。草津からは荻原健二兄弟のよな名選手を出しましたがあ、最近スキー熱がやや冷えてきたのは残念なことです。

(1996年、niftyのメロウ・Fで「追憶博物館」という会議室を設け、「小学校時代の思い出」を募集したことがあります。これはその時応募した物の一部を再録しました)


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