昭和初期のスキー 不虻
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- 昭和初期のスキー 不虻 (編集者, 2011/1/4 19:50)
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- Re: 昭和初期のスキー Pan (編集者, 2011/1/5 15:34)
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投稿日時 2011/1/4 19:50
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
はじめに
スタッフより
この投稿(含・返信)は、メロウ倶楽部の公開サイト「大正の部屋」への
投稿(2008/02/10)を、投稿者(含・返信者)のご承諾を得て転載するものです。
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みなさん こんばんは。
伸さんのローラースケートの話,愉しく拝見しました。それに吊られて今度は雪国の遊びを御紹介したいと思います。
私が小学校4年の3学期、昭和5年、2月11日の紀元節を挟んで長野県野沢温泉スキー場で全国スキー大会が開催されました。今で言えば国体ですか。丁度、欧州のスキーの名手、H・シュナイダーが前年オーストリアから来日し、日本でもスキー熱が高まってきた時期でした。この大会には草津からも数人の選手が参加していましたので、父が私を連れて行ってくれました。
選手の物は別ですが、当時の一般のスキーは、本体がイタヤや楢、樫などの木製、最上級は北米のヒッコリー製でした。靴は私など小学生はゴム長靴、そして当時ビンディング(正確にはビンドゥンクか)と呼んでいた締具は、靴の爪先と足首をベルトで締めてスキーと靴を固定させる方式。杖は竹に丸い輪の付いた杖2本(父の頃は1本杖だったそうですが、当時は2本杖になっていました)。
また当時の主な技術は、全制動、シェーレン・クリスチャニア(シェーレはドイツ語で鋏みのこと、クリスティアニアはノルウエー、オスロの古名。鋏みのような形にスキーの一部を重ねて回転する技術の名称)、テレマーク(ノルウエーのテレマーク地方で生まれた回転方法。片膝は深く、もう一方の膝は浅く曲げ、大きな半径で回転する方法)などでした。いずれもシュナイダーが伝えたアールベルク・スキー術以前の技術でした。
帰りは大雪で草軽電鉄が止まってしまい、泣きべそをかきながら遠回りしてやっと帰りました。あの頃の小学校では体操の時間は何時もスキーで、家へ帰るのも家までスキーで滑って帰ったものです。
スキー技術も装置もゲレンデも今は今昔の感があります。草津からは荻原健二兄弟のよな名選手を出しましたがあ、最近スキー熱がやや冷えてきたのは残念なことです。
(1996年、niftyのメロウ・Fで「追憶博物館」という会議室を設け、「小学校時代の思い出」を募集したことがあります。これはその時応募した物の一部を再録しました)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
不虻さん、みなさん
引用:
選手の物は別ですが、当時の一般のスキーは、本体がイタヤや楢、樫などの木製、最上級は北米のヒッコリー製でした。靴は私など小学生はゴム長靴、そして当時ビンディング(正確にはビンドゥンクか)と呼んでいた締具は、靴の爪先と足首をベルトで締めてスキーと靴を固定させる方式。杖は竹に丸い輪の付いた杖2本(父の頃は1本杖だったそうですが、当時は2本杖になっていました)。
明治26年生まれの父も、会社の同僚とヘタなスキーを楽しんでいたようです。
写真が残っているのですが、当時は、スキーウェアはなかったようですね。彼らは、これでも「格好いい」と思っていたのでしょう。
多分、この写真はアフタースキーに、茶店で「鍋物」など突きながら、いっぱいやるつもりで、やってきたところだと思います。
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
不虻さん、マーチャン、みなさん こんにちは。
スキーと聞くと浮かんでくるのは映画「銀嶺セレナーデ」です。
まさに別世界の美しさで、あのすばらしさには嫉妬しました。
引用:
明治26年生まれの父も、会社の同僚とヘタなスキーを楽しんでいたようです。
私が初めてスキーに行った時は、父のお古を使いました。
板はエッジなどは無く、幅も狭くて、先端の湾曲部が長かったように思います。
自分で鉄板を細く切って自家製のエッジを付けていた人もありましたね。
昭和27年です。
靴は革ですが、十年以上も使っていなかったので、皮はバリバリになっていて割れた箇所もありました。
分厚くて長い毛糸の靴下も残っていましたからそのまま使いました。
締め具も勿論皮で、踵は板から浮くようになっていましたね。
ストックは竹製で、竹の輪が皮でつないでありました。不虻さんの仰っているのと同じです。
足もとがグラグラで、スキーを履いて少し登るのも大変だし、滑り降りるのはもっと大変で、絶対に曲がれませんでしたが、スキーとはそんな物かと思っていました。
近い場所で日帰りでしたが、帰ってから2日間は熱を出して休み、1週間以上も片側の尻が紫色になっていました。
数年以上も後に貸しスキーを使ったとき、初めて私の使った道具が如何に無茶苦茶なボロボロであったかを知りました。
30歳を越してから初めて自前の道具を買いましたが、上達することもなく今に至っています。
しかし、スキーのお陰で毎年の冬はチェーンを巻いて雪の峠道を越え、戸隠で過ごすことを覚えました。
何時の頃からか、スキー場はファッションを競うようになったので興味を失い、自分はさっぱり上達しないこともあって、むしろ雪道を車で突破することの方が目的になりました。(^^;
引用:
多分、この写真はアフタースキーに、茶店で「鍋物」など突きながらいっぱいつもりでやってきたところだと思います。
スキーの後で、熱い善哉や甘酒を飲むときの美味しさは格別ですね。(^o^)
***** Pan *****