空爆下の友情と誤算 菊池 金雄 その2
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空爆下の友情と誤算 菊池 金雄 (編集者, 2012/12/17 9:06)
- 空爆下の友情と誤算 菊池 金雄 その2 (編集者, 2012/12/18 7:46)
編集者
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小川肇次席通信士(17/8選科)の羅津陸軍病院入院顛末
彼の緊急入院については前段で述べたが、自分史刊行に際し、彼のその後の動静を確認せねばと思い、本件も合併先の会社に丁重に問い合わせたが、やはり旧聞の記録なしの回答であった。次善策で船舶運営会資料も調べてみたが船員に関する記録は見当たらず暗礁に乗り上げてしまった。
しかるところ宮城県立図書館の書架に、日本殉職船員顕彰会企画「戦時徴用船の最後」という画集が目にとまったので、さっそく該顕彰会に小川肇氏の記録の有無を確認してみたところ「S20年8月10日羅津で戦没」との回答に接し、駄目だと思った向日丸が無事帰国したことは、結果的に彼の処遇を誤算したことになり、責任者のひとりとして誠に慚愧に耐えないものある。
当時あの空爆下では、自船の脱出が精一杯で、陸上サイドの情報をキャッチすることなく、まさか所在部隊が早々に転進(退却)するなどとは思いもおよばず、船内よりは病院が安全との認識で入院を選択したのであった。
若し、軍側から的確な情報があったなら、例え自船がやられるにしても彼を船に連れ戻したはずであり、情報不足が運命の分かれ目となったことは返す返すも残念至極で、故人ならびにご遺族にたいし、今日お詫びのことばもうかばない。
最近インターネットのお陰で、当時羅津中学二年生の方とメール交換の結果。陸軍病院は雄基にあったこと。羅津の埠頭付近には満鉄病院があったこと。同病院の元看護婦のひとりが仙台近郊に住んでいること。などの情報が入り、当時同病院入院者の実態を入手できるのではないかと思う。
他方、ご遺族の追跡を試みたがプライバシーの問題もあり、今日まで探し当てることができなかったので、若し、彼と同期のかたでご遺族の消息をご存知の向きは是非お知らせくださるようお願いいたします。
(〒983-0045 仙台市宮城野区宮城野2-9-12
TEL.022-293-0324)
付 記
自分史「硝煙の海」は自家版で市販はしていないが下記ホームページに掲載しているので、興味ある方はクリックしてください。
http://www.geocities.jp/kaneojp/
(第一部=自主出版分・第二部=続編追加中)