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終戦の思い出 倉井 永治 その2

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通常 終戦の思い出 倉井 永治 その2

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/12/28 8:46
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 そして終戦後、私は下船し郷里へ帰った。「国破れて山河あり」、戦火に遭わなかった古里の山や川、そして人々は暖かく私を迎えてくれた。復員した人々は続々と帰郷し、私は小学校当時の同級生を尋ねた。彼等の殆んどは第一乙種で、甲種の人はいなかった。

 そして復員の際、払い下げ物資を担いできた話ばかりで、軍隊生活の厳しい話を聞く事は出来なかった。私は落胆した。配属将校による学校教練などは児戯に等しいと思っていた私は、かって世界最強を誇った日本陸軍の軍隊生活を体験する機会を失ったのである。万事要領が悪く、動作の鈍い私は軍隊生活を希望する筈は勿論無いが、戦後のある時期、野間宏の「真空地帯」を読むにつれ、「軍隊」と言う特殊社会の内部における人間模様を見聞し、体験する機会を永遠に失ったことを悔いた。そして、幼い頃の想い出だけが、いつまでも私の脳裏に残るのである。話は子供の頃(昭和初期)に遡る。

 数人の漢垂れ小僧が泥まみれで遊び惚けている時、あの懐かしい軍歌が聞こえてきた。私達は遊びを止めて競って往来(道路の事)へ駆け出してみると、整然と隊伍を組んだカーキ色の一団が挨を巻き上げながら行進してくるのが見えた。(当時の道路は殆んど舗装されていなかった)

 「兵隊さんだ、兵隊さんだ」。それは度々眼にする光景ではあったが、私達は夢中で傍へ駆け寄った。帯革や銃剣等に塗られた油と、兵隊さんの体臭と汗と、砂挨等がゴッチヤに混ざった匂いは、まさしく私達の大好きな「兵隊さん」の匂いであった。演習帰りであろうか、兵隊さん達は真っ赤な顔に汗を流し、重い銃を担ぎ、ザクザク、ザクザクと軍靴を響かせ、挨を巻き上げながら四列縦隊で行進して行く。隊長は先頭にあって子供達に対し、笑いもせず手も振ってくれません。列外の班長さんは私達に笑顔で手を振って応えてくれた。

 『ここは御國の何百里、離れて遠き満州の……』、一班が歌い、又次の班が繰り返し歌って行く。私達は、この大好きな軍歌に和して、隊列が舞い上げる挨の後を魅せられたようにぞろぞろと追った。垂れている青漢は挨で黒くなり、それを衣服の袖で拭ったりした。やがて、村外れで私達は立ち止まり、兵隊さんの一団が遠ざかって行くのを見送った。歌声も段々と小さくなり、赤い夕陽が西の空を染める頃であった。私達は子供心に、ちょっぴり浸った感傷を振り払い家路を辿ったのであるが、哀愁を含んだあの軍歌の余韻が、いつまでも私の耳底に残ったのである。

 そして、いつの問にか70年以上の歳月が流れた。ある時、私は訪ねてきた孫達に、話のついでに痩せた胸を反らしながら言ったものだ。「おじいちゃんはな、むかし甲種合格だったんだぞ」と。孫達の返答は「なに、それ」と。私はこれを聞いた瞬間、説明する気がしなくなった。隔世の感を改めて感じた。

 青年男児の義務であった徴兵検査は、明治6年の制定以来、昭和20年の敗戦に至る72年間でその幕を閉じたが、韓国では現在も実施されている。

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