砂糖と豪雪 倉井永治 その2
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砂糖と豪雪 倉井永治 (編集者, 2013/1/14 6:52)
- 砂糖と豪雪 倉井永治 その2 (編集者, 2013/1/17 8:02)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
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私は、たった一つの財産であるトランクの中を空にして、代りに砂糖をいっぱいにつめ込んだのである。そして、内地へ寄港の機会を待った。
こうして今、そのトランクが私の肩に担がれていた。ずっしりと重く、30kg以上はあると思われるトランクは5分間と手に提げることはできなかった。私はそのトランクを肩に担ぎ、革の短靴を履いたまゝ豪雪に挑んだ。地元の人から見れば、それは狂気の沙汰と写ったであろう。雪国の冬季の常識であるゴム長靴や、藁靴(藁で編んだゴム長靴のような履物)も履かず重い物を担いで雪上を歩く行為は、体の垂心が不安定となり最も危険であった。それはツルツルに固った雪や、コンクリートの雁木の道路上にある雪に乗れば、忽ち滑って転倒し、頭部を強打して大怪我をすることは必定であり、私が柔道の有段者で「受け身」を十分心得てはいるが、その危険を避けることは至難と思われた。
私は慎重に歩を進めた。しかし雁木通りを横切っている小路は雪の山であり、私はその山に重いトランクを押し上げて這い上り、そして又トランクと共に滑り下りた。その度に革の短靴は脱げて靴下は雪にまみれた。そして重い外套の腎部はぐっしょりと濡れ、それが冷気によりゴワゴワとこわばった。雪の山を上り下りする度にその状態が繰り返された。いつの間にか体から汗が流れ外気に触れ寒さに変った。私は重いトランクを扇に、必死となって慎重に歩を進めたが、革の短靴は雁木通りの雪に滑り危険はこの上もなかった。然し、殆ど人通りの無いのが私の気を楽にし、漸く雁木通りは終り町外れに達したのである。
しかし、難関はこれからであった。私の村落まで路らしい路の無い皚々たる雪原が数百メートルにわたって展開しているのである。
私は一息入れて覚悟を決め、ずっしりと重いトランクを肩にこの苛酷な雪原に挑んだ。かつて通学に利用したこの道路も今は私の行く手を阻んでいた。そして此の雪原の路は大雪が降れば忽ち馬の背の様な路に変り、一歩踏み外せば柔い積雪の中に腰まで埋没するのである。しかも馬の背は寒風に曝されて堅く固まり、ツルツルと滑り易い。肩に担いだトランクは重く、靴の短靴に雪がつまり、一層私の歩行を困難にした。
雪に滑ってバランスを崩した私は、幾度となく転び雪に埋り、トランクは投げ出され、その度に靴を雪の中から掘り出さねばならなかった。私は靴を脱ぎ、紐を結んで首に掛けた。乍て靴下も雪にまみれて用をなさなくなった。そして足裏の感覚も無くなり凍傷の恐怖が私を襲ってきたのである。
全身から流れ出る汗は、少し休めば忽ち冷えて寒さに震えた。私は周囲を見渡したが人影は無く、目指す村落はまだ彼方にある。然し風は無く、雪がチラチラ舞う程度の気象条件に救われ、悪戦苦闘は漸く終り懐かしい村落の入り口に達したのである。
そしてカンジキ(竹で作った輪が下部についている藁靴の方言)で踏み固められた雪路が私を迎えてくれた。あゝ遂に難関を突破したのだ、私は安堵の胸を撫でおろした。中学の頃まで過した懐かしい我が家が眼前に迫ったのである。
そして、山のような積雪上から家の玄関へ、トランクと共に滑り降りた私は懐かしい我が家へ入った。突然の闖入者に両親は声も無かった。そして、トランクを前にして座った両親の、めっきり老いた姿を眼にしたとき、不意に萬感の想いが胸にこみ上げ、滂沱として溢れる涙を押さえることができなかった。
出征した三人の兄達の留守をまもり、黙々と野良仕事に励んだ両親も、今は此の世に居ない。
あゝ、私も今は亡き両親の年令をはるかに超える歳になってしまったのである。
(終り)