時計屋の息子 田多幸雄 その2
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時計屋の息子 田多幸雄 (編集者, 2013/1/18 21:42)
- 時計屋の息子 田多幸雄 その2 (編集者, 2013/1/19 7:48)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
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◆時計屋の廃業
戦後私は、船乗りから足を洗いサラリーマンになり定年を迎えた。その間家業の時計屋になろうとは思わなかったが「門前の小僧なんとやら」で時計に興味を持ち一応分解修理が出来るようにはなった。弟達、誰ひとり家業を継ぐ者もなく皆サラリーマンになった。
細々と独りで店を続けてきた親父は、七十歳の古希を迎えたのを機に時計屋の廃業を決意し「昭和47年5月26日を以って父開業以来80有余年の永きに亘り営業を続けてきた時計屋を閉店し能登から加賀の方へ転居することになりました」と新聞折込し町の皆さんに挨拶を述べ能登の輪島を離れた。田多の時計屋は親父一代で終りを告げた。古里を離れた両親は長男である私の近辺に家を構え二人だけの気楽な余生を送っていたが、遊び続けることに苦痛を感じ、永年やってきた時計の修理が忘れられなかったのか、玄関のドアに「時計の修理受けたまわります」とはり紙をし、近所の人が持ってきた時計を、背を丸めキズ見(目にあてがうレンズ)で覗き込みながら分解修理をしている後姿は生き生きしていた。この親父も平成3年3月25日、89才の天寿を全うし、先に他界した母の後を追う如く静かにあの世へ旅立って行った。
店頭に置かれていた先祖伝来の大きな古時計(文字盤にANSONIAと刻印がしてあり高さ2メートル20センチ)を私に残してくれた。子供の頃店先にあったこの時計を見て学校に遅れまいと急いだものだった。
◆大きな古時計
平井堅が歌っている「大きな古時計」。我が家の玄関にどんと鎮座しているこのおおきな古時計は歌にある「もう動かない その時計」だ。
私はそれから機械を取り出し市販の電子クロックの部品と取替えクオーツ式時計に生まれ変わった。だが骨董価値は無くなってしまった。外観は古くても中身は現代のものだから。
大きな振り子は左右にゆっくりと揺れている。親父からの唯一の形見であり我が家の顔でお宝だ。親父が生き返ったように今日も正確に時を刻んでいる。
◆時計の発達
時計の発達はめざましい。電子化された時計、精度は凄く良く値段も安くなった。時計は高価で貴重品な一昔前、銭湯に行ったら腕から時計を外
し番台に預けたものだった。
ゼンマイを原動力とする機械式時計は昭和40年くらいまで全盛を極めた。振り子やヒゲゼンマイの長さなどで時の精度を決める機械式時計は誤差が多く一日に1分以上の狂いはざらであり時計職人は如何に正確に時計の精度を保つかに大変苦労した。
昭和50年代に入り時計は電子化されて行った。ゼンマイ巻きから電池を使用しトランジスター、IC、LSI、水晶(クオーツ)ステップモータの超小型化など技術革新が進み時計の精度は飛躍的に高くなった。月10秒以内のクオーツ時計から、最近は標準電波を受信して殆ど誤差のない電波時計が登場した。科学の進歩に目を見張るものがある。
◆時は金なり
我々人間は時の経過の延長線上で生かされている。時間を大事にしたいもので、諺(ことわざ)に「時は金なり」と言われる所以だ。心臓と同じで一時も休まず日夜黙って時を刻む時計は可愛い。
脚立に登り時計のゼンマイをギリギリと巻き「ボオーン、ボオーン」とのんびりとした柱時計の音を聞いて育った子供の頃が懐かしく思い出され郷愁の念にかられる。