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戦時下を送る日々

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編集者

通常 戦時下を送る日々

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2014/7/17 7:52
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

はじめに

 この記録の
 メロウ伝承館への転載につきましは、長野清一様のご了承を
 いただいております。

 メロウ伝承館スタッフ

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戦時下を送る日々 1

 第二世界大戦が、昭和十六年十二月八日、日本は、米英ソ連中国など四か国に、対して宣戦布告し、早三年の歳月が、経ち敵味方、各方面に於いて連日の激戦を展開、戦局は、益々熾烈の度を、極めて来た。 私の住まいは、深川高橋の一角から月島の学校及び、工場まで、5キロ程あり、その当時市電が、通っていたが、乗ることは、禁じられ、身体強化訓練を、目途として5キロ~10キロは、徒歩にて、通う事を旨とした。

 私は、深川尋常小学校を卒業後昭和十八年四月より、月島にある京橋実業校に入学、当時戦況は、益々激化の度を増し、学校から5,6百メートルに位置する巴鉄工所(日本発送電会社より受注し、鉄塔工事を生産加工をする会社)に中学生といえども報国隊として、学徒動員に、加わった。私共も、各部所に鉄板鉄骨の運搬等の業務を担当、私は、鉄塔建設部門の設計部に、配属される。のちに、設計図面等には、仕事上大いに役立った。 工場の勤務時間は、午前9時~午後5時まで就業、昼食後1時間は、各科目毎、勉強する事となり、学生としての、ひと時の分際を、守る事が出来た。

 昭和十九年初冬十一月、何時もと変わらず、工場に出勤、就務中、突然{空襲警報発令}と、ラジオ放送が、流れる。間もなくすると、上空から、爆音がしたので、
 フト!頭上をみあげるとB29が数機、ユウユウと飛来して来るでわないか、そして突然ヒュウヒュウと、猛烈な音がし、白い筋状の落下物、目に入り、思わず、壕の中に伏せる。{これが、戦争だな}と初めて実感する。 後でラジオ報道で、分かった事だが、B29機より爆弾が、数発投下の空襲であった。

 銀座四丁目の近くに、富士バンクの裏手の料亭で将校連中が打ち合わせ会合!爆弾にて飛ばされたとの事のようだった、、、、、、亦有楽町の日劇の前でキップを求める為 三、四十人程並んで居た人ひとが、爆風で多数の死傷者があったとの事 
 爆弾は{1トン級のもので}例えば、鉄骨鉄筋のコンクリート造りの丸ビル8F~B2まで、楽に、貫通する程の破壊力の代物である事、、、、、、、亦三原橋の袂に1トン爆弾が、投下20M余りの穴が、深く抉られて、其のうち雨水が溜まり池の様になり其のまま、数年放置されていた。昨日の空襲後、私は、社用にて、青写真を焼きに、銀座の会社へ赴く。爆弾によって建物は破壊、瓦礫となり、無残に未だ白い煙をだして燻っていた。

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